「時を聞く」から「時を見る」へ(時間・時刻・時計・02)
「地球は大きな日時計(時間・時刻・時計・01)」の続きです。
「時を聞く」から「時を見る」へ
日時計の他にどんな時計が大昔にはあったのでしょう? 砂時計が頭に浮かびましたが、大昔っぽくないですね。では、水時計はどうでしょう?
高校時代に英語の先生が教えてくれた話があります。結論から言うと「とき」は「聞くもの」から「見るもの」へと変わったというのです。英語で「時計」にあたる単語を挙げましょう。
*clock: 置き時計や掛け時計のたぐい。語源は「鐘」。「なぐる、打つ」の意味もある。
*watch: 懐中時計や腕時計のたぐい。語源は「眠らずに起きている」。「じっと見る、見張る、不寝番をする」の意味もある。
確か、こんな話でした。
授業よりも余談がおもしろく、冗談の多い先生だったので、ひょっとして話をおもろくするために、つくったところがあるのかもしれませんが。
鐘(かね)のある所には金(かね)があった
その英語の先生から習った話を続けます。
「とき」とは、次のような順で、人の日常生活において活用されるようになったらしいのです。大昔は別にして、この国やヨーロッパの中世くらいからのお話だと思ってください。
教会やお寺や集会所など、共同体のセンター(本部)で、鐘を打って「とき」を共同体のみんなに知らせる。たぶん、そのセンターには、当時は非常に高価で珍しいものであったと思われる、置き時計や掛け時計のたぐいがあったらしい。
ふつうの人たち(庶民)にとって、「とき」は、遠いところにある「鐘の音」として「聞くもの」であった――。
ここからは私の意見になりますが、どうやら、「鐘(かね)のある所には金(かね)があった」、と言えそうですね。
建物が立派だったりします。一概には言えませんけど。現在でも、東西を問わず、鐘と金が同居する施設が多いような気がしますが、気のせいでしょう。
ひょっとして、鐘の鳴る所には金の成る木がある、のかも。
それはともかく、みんなで一斉に「とき」を聞くという光景には、共有とか統一というイメージがあります。
統一ですから、権力の匂い(あるいは臭い)がします。政治的なものであれ、宗教的なものであれ。「まつりごと・政」という言葉を思いださずにはいられません。
・まつりごと【政】
(「祭事」または「奉事」の意)
・ほうし【奉仕】
①つつしんでつかえること。奉事。
なるほど……。金の成る木とは、人びと、それも治めるほうではなく納める側の庶民なのかもしれません。鐘は時を告げる時だけでなく、人びとを召集するためにも使われたのではないでしょうか。
金 → 鐘
↑ ↓
鐘 ← 金
(※ときはかねなり。かねは天下の回りもの。ときもかねもサイクルしているようです。)
「とき」を人びとのあいだで共有して統一すると、時刻と時間になるような気がします。そうやって共同作業(奉事・奉仕・大事業)と統治への道が開けたのです。きっと。
想像はこれくらいにして、先生から聞いた話に戻ります。
長短二本の針の組み合わせとして、時を「見る」
経済的余裕がある人たちは、自分の家で、おそらく一台だけ高価な置き時計や掛け時計のたぐいを設置するようになった。
一部の人たちにとって、「とき」は、ボーンボーンとかチャリンチャリンとかいう具合に、時計に付属する小型の「鐘の鳴る音」が家のなかで響くという形で、「聞くもの」となったと同時に、「長短二本の針の組み合わせ」として、「見るもの」にもなった――。
しかも、円を描き、サイクルのある時間です。毎日毎日同じ時刻がめぐってくる、毎週毎週同じ曜日がやってくる。ほぼ毎月毎月同じ日がまわってくる。毎年毎年同じ月と日がめぐってくるのです。
直線ではなく円環状の「とき」と言えます。
「とき」というより、時刻(刻まれた時)であり、時間(抽象的な観念)であり、「暦・こよみ・カレンダー」(循環する景色・「こよみ」は眺める景色なのです)というべきかもしれません。
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現在では「とき」は圧倒的に見るものとしてあるようです。
みんなで「とき」を「一斉に聞く」という共有ではなく、ひとりひとりが時刻を「個々に見る」というかたちの共有が実現しているのです。
かつてのように、持続した音の流れにあちこちでみんなが同時に耳を澄ますというかたちで一時(いっとき)を過ごすのではなく、現在では刻まれた時間をポータブルな機器に表示されたものとして個人単位で共有するという感じでしょうか。
いまでは、ポータブルでウェアラブルな watch・腕時計ではなく、世界と接続されたグローバルなスマホが時計です。
(共同体単位での共有よりも、個人単位での共有のほうが、はるかに徹底していると言えそうです。時がローカルではなくグローバルになっているからです。こうなると、あるはずの時差が無視されます。すると、睡眠不足の人がグローバルな規模で急増します。)
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時間(時刻)の共有が実現したのは、時間が統一された、つまり時刻と暦が制度として確立したからにほかなりません。
いまや時間は人工物であり制度なのです。しかも、各地域の(ローカルな)自然からどんどん懸け離れたものになっています。
グローバルな規模で時を共有するという不自然(あるいは反自然)が当然になっている、とも言えるでしょう。
個人の生活と共有されている時間とが、かつてよりも乖離しているとも言えそうです。共有と統一の代償でしょう。
なお、接続された時計であるスマホが、アラーム・alarm だけではなく、たとえばアラート・alert というかたちで、人びとを召集するための鐘としても使用可能であることを忘れてはならないと思います。
アラートは警鐘なのです。
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以上は、高校の英語の先生から聞いた話と、その後に得た知識を組み合わせて即席でつくった、素人の思いつきです。詳しいことをお知りになりたい方は、どうかお勉強なさってください。
この連載は「知るよりも考える、考えるよりも思う」のスタンスで書いています。
フランス語とドイツ語での「時計」
ちなみに、フランス語でも、懐中時計や腕時計のたぐいを意味する語 montre は、「見せる」という意味の語 montrer と同系です。
一方の置き時計や掛け時計のたぐいの horologe は、英語の hour と同系の語です。horloge (「オルロージュ」みたいに発音します)と hour (「アウアー」みたいに発音しますね)って、何となく似てませんか。
両方とも、h を発音していない点に注目してください。英国が、かつて、フランスの北にいた民族に征服されて(「ノルマン・コンクエスト」と高校時代に「世界史」で習いました)、フランス語が英語に混じったさいの名残だそうです。honest (「オネスト」)、honour = honor (「オナー」)なんかも、そうらしいです。
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ドイツ語では、この英語の hour と同系の語 Uhr (「ウーア」みたいに発音します)が、置き時計や掛け時計のたぐいと、懐中時計や腕時計のたぐいを意味する語の両方で使われています。
区別するさいには、前後に何かをつけて造語しているようです。 hour と Uhr も似ているような気がしませんか。
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英語の hour を英和辞書で調べてみました。
*hour: 時刻、(60分という意味の)時間、時代、(特別な)時。語源は、「ある特定の時・時期・季節」、あるいは「過ぎ行くもの」
なるほど……。気になるのは「(60分という意味の)時間」という記述です。
英和辞典で見出し語の日本語訳を眺めているとと、どきどきしてきて収拾がつかなくなることがあります。快感なのです。たとえば小説を読むよりも刺激的な読書になる場合が多々あります。
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ところで、hour と言えば、忘れられない歌があります。話が長くなりそうなので、次回にまわします。
この連載では短い記事を目指しています。
