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「はかる」と「はかられる」のアンバランス、「えらぶ」と「えらばれる」のアンバランス

・「はかる/はかられる」 ⇒ 「おさめる/おさめられる」 ⇒ 「しずめる/しずまる」

 上のように書くと、どういうことだろうと考えこみそうですが、下のように書くと、事の次第の重大性がわかってくるかもしれません。

・「計る/測る/量る・図る/謀る/議る/諮る」 ⇒ 「治める・修める・納める・収める」 ⇒ 「沈める・鎮める/静める」

 一連の語の並びと流れから、ドラマやストーリー、そしてさまざまなシチュエーションが浮んできませんか? 

 それらは、いま起こりつつある「こと・事・出来事」です。

     *

・かつて、おこった ⇒ いま、おこりつつある ⇒ これからも、おこるだろう

・おこる・起こる・興る
・おごる・驕る・傲る・奢る

・かつて、おごった ⇒ いま、おごりつつある ⇒ これからも、おごるだろう


*大和言葉に漢字を当てる、漢字に大和言葉を当てる


 ひらがなでしるした大和言葉は、じわりと心と身体に染み入ってきて腑に落ちる。漢字を当てた大和言葉は、視覚的にぐさりと来て脳を納得させてくれる。そんなふうに私は感じます。 

・大和言葉に漢字を当てる/漢字に大和言葉を当てる

 大和言葉をひらがなで眺めていると、大和言葉の多義性がつぎつぎと浮んできます。多義性を思い浮かべ、さらには思い描くのですが、それを助けてくれるのが漢字です。

・漢字に大和言葉を当てる/大和言葉に漢字を当てる

 以下に例を挙げます。今回の記事では、正確を期するために「広辞苑」と「日本国語大辞典」を参考にします。

*はかる/はかられる・計/測/量


・はかる
・計る・測る・量る

 見比べると、なるほどと感心しないではいられません。感動に近い感覚です。「計る・測る・量る」にまつわる記憶がつぎつぎと断片的に浮んできます。こういうことが好きなのです。

・はかられる
・計られる、測られる、量られる。

 こういう体験が、かつてはありました。いまでも、あります。昔は学校や仕事で、いまでは、もっぱら病院が舞台です。

「はかる・計る・測る・量る」のさまざまな思い出については、以下の記事「ドナドナ」に書きましたので、よろしければお読みください。

 いまになって思うと、学校という場所は「はかる」と「わかる」に満ちあふれていました。そもそも、学校は「わかる」と「はかる」に二分されると言ってもいいのではないでしょうか。
 なにしろ、はかるとわかる、はかるはわかる、なのです。恐ろしいことですけど。「はかる」は、ほんわかとした、いいこと尽くめではないのです。
 黒板と教科書とノートをつかってのお勉強は、たいていが「わかる」ためです。理科の実験・観察や体育や家庭科や図工なんかは、だいたいが「はかる」の世界です。
 保健室も「はかる」の領域という感じがしませんか。体温計、体重計、そして何と呼ぶのか知りませんが、身長や座高を測る計器が置いてあるところです。
 そして、最後は通知表で、これが「はかる」の総決算になるのです。
 はかられる気分は決していいものではありません。少なくとも私には悲しい思い出しかないです。人間が数字に還元されるのですから。
 はかるとわかる――。いや、はかってもわからないことが、ありそうですね。たくさんありそうです。
(拙文「ドナドナ」より)

 いずれにせよ、「大和言葉に漢字を当てる/漢字に大和言葉を当てる」という工夫を編みだした先人たちの努力に感謝したいと思います。

*はかる/はかられる・図/謀/議/諮


 
はからずも、彼らは諮りもしないで、私たちを分類し区分けして、量ったり、測ったり、計ったりして、その結果を文字や数字に置き換え、何かに備える、あるいは何かを企て謀る――。

 こんなことが起きています。まかりとおっていると言うべきでしょう。

     *

・はからずも、はかられる
・はからずに、はかる

「はかられる」のは多数で、「はかる」のはたった一人か少数であることに気づきます。つまり、アンバランスなのです。balance という語は、二枚の天皿(はかりざら・皿)から来ているそうです。

・はかり・秤

     *

・はからずも、はかられる
・はからずに、はかる

 上の太文字のフレーズに、「計る、測る、量る、図る、謀る、議る、諮る」を当てはめてみると「はかる」と「はかられる」のアンバランスが実感できます。

 それにしても、このところ「はからずも、はかられる」と「はからずに、はかる」という事態が急増していませんか? 私の杞憂であるとか誇大妄想ならいいのですけど。

*「はかる」と「はかられる」のアンバランス


 ご自分が、計られる、測られる、量られる、図られる、謀られる、議られる、諮られるさまを想像してみてください。目に浮かべてみてください。

「はかる」と「はかられる」は多くの場合、集団としての行為の一部として行われるのではないでしょうか? 社会的行為の一環とも言えます。
 
 社会や集団や組織や共同体には「はかる」側と「はかられる」側があるという意味です。そして、そこには(「はかる」と「はかられる」場には)、何らかの思惑があるはずです。

・思惑・意・意志・意思
 構想・画・陰
 デザイン(グランドデザイン)
・たくらみ・企み
 もくろみ・目論見
 はかりごと・

     *

 両方の側がその思惑の当事者であり利害関係者だと言えます。「する/される」の関係だから当然なのですが、とても大切な点です。すぐに忘れるから大切なのですが、忘れるのはたいてい「される」側であるのは悲しいことだと思います。

「される」が「おこる」のが続いているうちに、「される」側は「おこる」のを忘れてしまうのでしょうか? すると、「する」側が「おごる」という事態に陥ります。そうだとすれば、悪循環です。

・起こる ⇒ 怒る ⇒ 驕る

 この悪循環を絶ちきるために必要なのは、まず行動を「おこす・起こす」ことではないでしょうか? がむしゃらに「おこる」というよりも。

     *

 私たちは「はかられる」側 < あの人たちは「はかる」側

 そんなふうに考えると、なんだかぞっとするし、怒りもこみ上げてきます。もちろん、「はかられる」ことで有り難いこともあるはずですけど。特に、医療の場では。

 被害妄想とか杞憂なのかもしれません。最近、そんなふうに感じることが多くなってきたのは事実です。

 年のせいかもしれません、この時代だからかもしれません。私にはわかりません。 

*「わかる」と「わけられる」のアンバランス


*はかる:人が最も苦手とする行為。人は、「はかる」ための道具・器械・機械・システム(広義の「はかり」)をつくり、そうした物たちに、外部委託(外注)している。計測、計数、計算、計量、測定、観測。とりわけ機械やシステムは高速かつ正確に「はかる」。誤差やエラーが起きることもある。 

*わかる:人が自分は得意だと思っている行為。「わける」は見えるが、「わかる」は見えない。見えないから、その実態も成果も確認できない。お思いと同様に共有できない。行為や行動と言うよりも観念。一人ひとりのいだく思い込み。「わかる」は自己申告制。「わかった!」は自己申告。解釈、判断、判定、判決、理解、誤解、解脱、悟り。

*わける:人が得意な行為。ヒトの歴史は「わける」の連続。分割、分離、別離、分断、分類、区別、差別、分岐、分別、分解、分節、分担、分裂、分配、分け前、身分、親分・子分。言葉と文字の基本的な身振りは「わける」。つかう道具は、縄と刃物とペン。線を引き、切り、しるす。

     *

 上の図式的なまとめは、以前から記事を書くさいにつかっている自家製のものです。

 まとめを見ていると、アンバランスが生じているのは「はかる」と「はかられる」だけではない気がしてきます。「わける」と「わけられる」もそうではないでしょうか。

はからずも、わけられる
・はからずに、わける

 これもよくあります。恐いし、腹立たしいし、悲しい場合もあります。「わける・分ける・別ける・分割・分断・分離・別離・差別・区別」は残酷なのです。されるほうは痛いのです。

・私たちは「わけられる」側 < あの人やあの人たちは「わける」側

「はかる」と「わける」は一方的かつ一方向的な行為(ときには暴力的な行為)で、されるほうは黙って突っ立っているしかない感じがします。

 ある個人やある集団が「する」側にあり、「される」のが多数であるのは、悲しく残酷な事実である現実でもあります。こうなっているのは、力の差(ときには圧倒的な差)があるからにほかなりません。

 力とは、声の大きさ、腕力、武力、資力・金力、組織力、権力、権威のことです。

*えらぶ、わけられる、はかられる、あつめられる


 
はからずも、彼らは諮りもしないで、私たちを分類し区分けして、量ったり、測ったり、計ったりして、その結果を文字や数字に置き換え、何かに備える、あるいは何かを企て謀る――。

 私たちから見れば、「わけられた」あとに「はかられた」結果である、私たちのデータや私たちに関するデータが、私たちの「えらんだ」一部の人たちによって「あつめられた」というわけです。

・私たち:
 えらぶ  ⇒ わけられる ⇒ はかられる ⇒ あつめられる
・一部の人たち:
 えらばれた ⇒ わける ⇒ はかる ⇒ あつめる

 アンバランスが起きています。チェック・アンド・バランス(checks and balances)という言葉がありますが、チェックする、つまり抑える必要がありそうです。

 三権間のチェックではなく、権力に権利をゆだねている私たちが三権をチェックする必要があります。この記事で言うアンバランスとは、そういう意味です。

(なお、三権間のチェック・アンド・バランスが、法に則った形で、つまり合法的に無効にされて機能していない状況は世界各地に見られますが、ゆゆしき問題です。) 

*おさめる、おさめられる


・はからずも、はかられる
・はからずに、はかる

・はからずも、わけられる
・はからずに、わける
・はからずも、あつめられる

 どうしてそうなっているのでしょう? 

 一つには、任せている、委ねている、委任しているからでしょう。誰がって「私たち」が「彼らに」です。代理や代表(私たちの代わり)のことです。

 私たちの代わりである代理と代表に「治める」権利を与えているとも言えます。権力に権利を与えている、正確には与え続けるのです。それが「委ねる」です。

 この「治める」権利とは、人びとを「わけて、はかり、あつめる」権利と言い換えることができます。分類し、数値化しないで統治/政治と召集/動員ができるでしょうか?

・私たち:
 えらぶ  ⇒ わけられる ⇒ はかられる ⇒ あつめられる
・一部の人たち:
 えらばれた ⇒ わける ⇒ はかる ⇒ あつめる

 あつめるのは人に関するデータ(分類・数値化のため)だけではありません。最終的な目的は人そのもの(召集と動員のため)なのです。

・治める・わける・はかる・あつめる

     *

・わけられる(分類・分析・数値化) ⇒ はかられる(図・謀・議・諮) ⇒ あつめられる(召集・没収・動員)

 こうした流れに沿った仕組みが、合法的に/法に則ったかたちで、固定化されようとしています。もっともやってはいけない方法で、法制化が進んでいるのです。私たちに、ろくにはかることなく(図/謀が優先されて議/諮がないがしろにされているのです)。はからずも。

*「えらぶ」と「えらばれる」のアンバランス


 ここで大切なのは、代理や代表は言葉の定義からしても一人か少数であり、「治める」権利(ひいては「あつめる」権利)を与える側、つまり「治められる」側(つまり「あつめられる」)は多数だということです。

「おさめる」と「おさめられる」のアンバランスは、究極的には「あつめる」と「あつめられる」のアンバランスであるが、そもそもは(その原点は)、「えらぶ」と「えらばれる」のアンバランスであることを思いだしましょう。

 原点に「えらぶ」と「えらばれる」のアンバランスがあるのです。

・一人か少数:えらばれる・おさめる・あつめる
・多数   :えらぶ・おさめられる・あつめられる

・選挙 ⇒ 政治・統治 ⇒ 召集・動員

 この「えらぶ ⇒ おさめられる ⇒ あつめられる」という流れに敏感でありたいと私は思います。多数である私たちにとっては、一人や少数にすぎない代理人を「えらぶ」行為が決定的に大切だという意味です。

*おさめる/収める/納める/修める/治める

 
・おさめる、収める、納める、修める、治める

 おさめているのに、
 おさめられているだけでは、
 おさまりがつかない。

 税者がいつのまにか、ずっとめるだけの、そしてずっとめられるだけの存在になってしまっている。これではまりがつかないではありませんか。

 この「ただおさめているだけ=ただおさめられているだけ」問題は、政治、つまり統治だけでなく、あらゆる人間関係や契約関係で起こりうるものだと私は思います。代理=代行者=エージェント=「代わって〇〇いたします」という意味です。

     *

 代理がいつのまにか代理ではなくなっている。こうした本末転倒は、古今東西を問わず、見られます。つまり、腐るのです。ジョン・アクトンの言ったように。

「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」
(ウィキペディアの「ジョン・アクトン」から引用)

'Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely'
(ウィキペディア英語版「John Dalberg-Acton, 1st Baron Acton」から引用)

 私たちは選んだ結果にがっかりして、くさってなんかいられません。私たちが、くさっているとあの人たちの思うつぼです。もっとくさりますよ。私たちが、おこるのを忘れると、もっとおごるという意味です。

*うつしている、うつされている、とられている、はかられている


 少し話を変えます。

 近年、知らないまに「はかられている」ことが増えてきました。言い換えると、「うつしている」のに「うつされている」のです。

・写しているつもりが写されている
・映しているつもりが映されている

・撮っているつもりが撮られている
・取っているつもりが取られている

・うつしている、うつされている、とられている、はかられている
・写/映している、写/映されている、撮/取っている、撮/取られている、計/測/量・図/謀られている

 お察しのとおり、常時接続された電気仕掛けの機械と画面のことです。私もいま、その種の画面をつかってこの記事を書いています。

 写されている、映されている、撮られているとは、映像や音声「だけでなく/と同時に」個人的な情報やデータを取られていることにほかなりません。同時に瞬時にです。はからずも。

・観ている/聴いている/撮っているつもりが観られている/聴かれている/撮られている(視聴/閲覧 ⇒ 監視/傍受/盗聴)
・取っているつもりが取られている(データ・情報を取得する=取得される)

 こうした仕組み/仕掛けを、あの人たちが利用しないわけがありません。

 もうそうでしょうか? もうそうでなければいいのですけど、きっともうそうであるようです。

 気をつけましょう。気をつけて、どうなるものであろうと、なかろうと。

     *

・とる・取・採・捕・獲・盗・摂・執・撮・録

 大和言葉の「とる」を漢字分けすると、その多義性を感じ分けすることができます。当てた漢字を眺めていると、短いのに恐ろしいところのある言葉(語)だと思います。

 なお、「広辞苑」には、「と・る」の「と」が「(「て(手)」と同源)」という記述が見えます。うーんと唸らずにはいられません。手もなかなか恐ろしい。まさに手強い感じ。

 なお、「つまむ」(「つむ・摘む・抓む・採む」と同じく「つめ・爪」から来ているそうです)は、「摘む」や「抓む」のほかに「撮む」とも書けますが、これは撮影の「撮」でもあります。
 漢字の解字によると、親指と人差指と中指でつまみとることらしいのですが(漢字源・学研より)、「写す・映す」における、その三本の指による仕草の親和性は無視できない気がします。
 たとえば、カメラでシャッターボタンを押す仕草、スマホの画面を指でいじって操作する仕草です。今の時代には、この三本の指を怪我すると、ずいぶん不自由をするにちがいありません。
(拙文「指で「うつす」」より)

     *

 大切なことなので、くり返します。

「おさめる」と「おさめられる」のアンバランスは、究極的には「あつめる」と「あつめられる」のアンバランスであるが、そもそもは(その原点は)、「えらぶ」と「えらばれる」のアンバランスであることを思いだしましょう。 

・「計る/測る/量る・図る/謀る/議る/諮る」 ⇒ 「治める・修める・納める・収める」 ⇒ 「沈める・鎮める/静める」
・「はかる/はかられる」 ⇒ 「おさめる/おさめられる」 ⇒ 「しずめる/しずまる」

・沈める・鎮める/静める
 鎮圧・沈静化

     *

 それにしても、なんだか、静かですね。このところ、みょうに静かに感じられます。

 みんなが静かになってきているのか。それとも、世の中が静かであると感じられるように、はかられているのか。はからずも。

 体調のせいで、いくら気分が沈んでいるからといって、くさってなんかいられません。これだけは確かです。

     *

 みなさん、暑さに負けずに元気を出しましょう。私たち(圧倒的多数)は、あんなに寒い日に出かけたのですから。代理人(一人か少数)をえらぶために。

 それにしても、選りに選ってすごい時期をえらんだものですね、はからずも。ひょっとして、はかられたのかしら。


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