須原一秀を読み直す――『自死という生き方』だけの人ではない
All eyes on…
須原一秀という名前を、どこで知ったか。おそらく多くの人にとって、それは『自死という生き方』だろう。あるいは、「自死した哲学者」という形で記憶しているかもしれない。
実際、『自死という生き方』は新書化され、須原の著作の中では最も読まれた本だと思う。だから、須原を語る入口として、この本を置くことは間違っていない。
しかし、そこだけで須原を読むと、須原は読み過ごされる。
ただし、最初に注意しておくべきことがある。
『自死という生き方』というタイトルは、須原本人が自分の遺稿に付けたタイトルではない。須原本人は、その遺稿を『新葉隠』と名付けていた。
この違いは小さくない。『自死という生き方』というタイトルは、読者をどうしても「自死」へ向かわせる。だから須原は、自死を思想化した人として読まれやすい。しかし、須原本人が置いていたのは『新葉隠』という題だった。つまり、問題は自死そのものに閉じていない。死をどう受容し、その死を通して生をどう全うするか、という問いだった。
だとすれば、須原の『新葉隠』は、単なる自死論ではない。死を通して生をどう全うするかという問いを、現代において読み替えようとしたものだったはずである。その現代的な読み替えの一つとして、自死がある。
ここを押さえないと、須原は「自死という生き方」を唱えた思想家に見えてしまう。しかし、須原本人の構想は、おそらくもう少し広い。彼が問うていたのは、自死だけではない。自然死を含め、死をどう受容するか。そして、死をどう受容することが、生をどう全うすることになるのか、という問題だった。
須原一秀は、『自死という生き方』だけの人ではない。自死を語った人ではある。しかし、自死だけを語った人ではない。むしろ、『自死という生き方』だけが読まれたことで、須原の思想の全体像は見えにくくなっている。
須原には、『弱腰矯正読本』がある。『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』がある。そして、その先に『新葉隠』がある。
この順番が重要である。
自死論は、孤立した奇説ではない。哲学が普遍的な真理や正義を保証できなくなった後に、なお哲学を実践として扱おうとした人間の、危険な一帰結である。
ぼくがここで描きたいのは、単に自死した思想家としての須原ではない。変性意識を扱い、現代社会を読み、大文字の哲学の無効性を見届け、それでも諦めず、生活、行為、身体、芸術、死の側へ哲学を降ろした人としての須原である。
論理学・科学哲学から出発した人
須原は、最初から哲学の無効性を唱えていたわけではない。死について考えを巡らせる実存主義者だったわけでもない。もちろん、スピリチュアルな死の思想家だったわけでもない。そもそも最後までそんなものではなかった。
出発点は、論理学と科学哲学である。
初期の研究発表を見ても、信念文、確証、様相、文副詞といった、かなり硬い論理学、言語哲学、科学哲学寄りの主題を扱っている。さらに、A・C・マイクロス『虚偽論入門』の翻訳もある。これは、須原が人生論や死生観から出発した人ではなく、論証、虚偽、推論、科学的思考の側から出発した人だったことを示している。
大阪市立大学の周辺には、神野慧一郎のように、論理学、分析哲学、ヒューム、エイヤー、ポパー的批判的合理主義に関わる研究者もいた。須原と神野との具体的な師弟関係をここで断定する必要はない。ただ、須原の背景に、論理学、科学哲学、批判的合理主義、反全体主義的な問題圏があったことは押さえておきたい。
つまり須原は、論理学と科学哲学をくぐった人が、哲学の限界を見たうえで、現代社会、変性意識、自死へ向かったケースである。
この順番を取り違えると、須原はかなり変な人に見える。しかし、順番を正しく置くと、問いはむしろ鋭くなる。論理学と科学哲学の側から出発した人が、なぜ「哲学の学問的不成立」を語り、社会思想家を名乗り、変性意識や自死へ向かったのか。
ここに、須原一秀を読み直す意味がある。
哲学が最高審級ではなくなった後で
『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』というタイトルは、かなり奇妙である。大きいのか、簡単なのか。現代の全体とは何なのか。そもそも「全体」をとらえるとは、かなり危うい言い方でもある。
しかし、この本で須原がやっているのは、古典的な意味での哲学体系を建てることではない。ヘーゲル的な全体性でもない。マルクス主義的な歴史法則でもない。哲学が世界の根拠を保証できなくなった後で、なお現代社会をどう見通すかという試みである。
ここで重要なのが、リチャード・ローティである。ローティは、哲学を知の最高裁判所から降ろした。哲学は、科学、道徳、政治、文化を裁く最終審級ではない。真理を保証する基礎でもない。語彙であり、会話であり、文化的実践である。
須原もまた、哲学を最高審級から降ろしている。だが、そこで冷笑には行かない。すべては相対的だから何も言えない、という話ではない。哲学が普遍的な基礎を保証できないからこそ、現代社会を読むための枠組みが必要になる。絶対的な正解がないからこそ、いまの社会で何が起きているのかを、なるべく大きく、なるべく簡単に見る必要がある。
須原はそこで、「社会思想家」と自称する。というより、他に適切な肩書がないから、仕方なしにそう名乗っている。論理学者でもない。科学哲学者でもない。大文字の哲学者でもない。だが、単なる評論家でもない。哲学が最高審級ではなくなった後で、哲学を社会思想として稼働させようとした人間が、ひとまず「社会思想家」と名乗る。
この腰の引け方は、かなり須原らしい。
ぼくは以前、「哲学者は死んだ」と書いた。現代に残っているのは、多くの場合、哲学についての学問をする哲学学者か、哲学語彙を使うスピリチュアル業者である。もちろん、哲学学者は必要である。原典を読み、訳し、注釈し、研究史を整理する人がいなければ、哲学の知識基盤は維持できない。しかし、それは哲学についての学問であって、哲学そのものではない。
では、哲学者が死んだ後に、哲学はどうなるのか。
須原は、その問いに対する一つの実例である。
須原は、哲学学者に閉じなかった。哲学語彙でスピリチュアル業者にもならなかった。哲学が最高審級ではなくなった後で、哲学を社会思想として稼働させようとした。
だから須原は、「哲学者が死んだ後」の思想家として読める。
芸術とは変性意識の発生装置である
次に読むべきなのが、『弱腰矯正読本』である。
この本は、タイトルだけ見るとかなり怪しい。高学歴男性向けの自己啓発。男性論。反フェミニズム的な挑発。弱腰な知的男性を矯正する本。現在の読者からすれば、かなり引っかかる語彙も多い。
実際、その要素はある。
しかし、この本の核心はそこではない。核心は、変性意識である。
須原は、芸術を「変性意識の発生装置」として捉えた。これは単なる美学ではない。芸術とは、意識を変える装置である。日常の意識状態をずらし、価値や意味への感受性を高める装置である。
ここで須原は、変性意識を神秘体験として扱っていない。彼はそれを、日常と地続きの意識パターンとして、さらに言えば、科学的に扱いうるものとして見ていた。もちろん、その研究は完成していたわけではない。しかし、少なくとも須原は、変性意識を単なる神秘主義や宗教体験に回収しようとはしていなかった。
宗教へ逃がさない。世間へ逃がさない。科学にも甘えない。
この三つが重要である。
一見すると、最後の「科学にも甘えない」は変に見える。須原は変性意識を科学的に研究しようとしていたのではないか。そうである。だが、科学的に研究しようとすることと、科学を最後の保証にすることは違う。
須原は、変性意識を科学的に扱おうとした。しかし、それを「科学がいつかすべて説明してくれる」という安心へ逃がしたわけではない。宗教や世間に逃がさないのと同じように、科学にも甘えない。
この感覚が、須原の危うさであり、強さでもある。
彼は、変性意識を大きな意味へ回収しなかった。だが同時に、変性意識をただの気分や主観として捨てもしなかった。それを身体で感じられるものとして、生活や行為の中に位置づけようとした。
ここで、『弱腰矯正読本』は、単なる男性論ではなくなる。芸術、変性意識、価値や意味への感受性、身体、生活、行為。それらを、哲学の外側ではなく、哲学が降りていくべき場所として扱っている本になる。
変性意識、極み、スピ
ここで種明かしをしておく。
ぼくが使っている「スピ」という言葉は、ある意味では、須原の「変性意識」の現代的でカジュアルな焼き直しである。
最初に「スピってる」という言葉を見かけたとき、何だこれは、と思った。単なる若者語に見えた。あるいは、スピリチュアルなものを雑に揶揄する言葉に見えた。
しかし、使ってみると、これがかなり使える。
須原が「変性意識」と呼んだものは、かなり重い概念である。芸術、極み、価値や意味への感受性、身体、生活、行為、自死の問題にまで接続する。ぼくの「スピ」は、それを現代の言説を検品するための、より軽い批判語彙に変換したものである。
ただし、変性意識とスピは同じではない。
須原にとって変性意識は、意識の強度である。芸術は変性意識の発生装置である。極みもまた、日常と地続きの意識の強度として考えられる。
ぼくの語彙で言えば、これはドスピである。
芸術はスピである。変性意識もスピである。極みもスピである。だが、それ自体は悪いことではない。
問題は、スピが「スピってる」と軽侮されるときである。
スピが芸術や身体や生活のレイヤーに閉じている限り、それは意識の強度である。だが、それが制度、身体、責任、因果を飛ばし、大きな意味へ逃げるとき、それは「スピってる」と軽侮されることになる。
ぼくは「スピってる」を、占いやオカルトを馬鹿にするためだけの言葉として使っているのではない。むしろ、もっと広い。
現実の制度、身体、責任、因果を踏み倒して、大きな意味や理念に逃げること。それが「スピってる」と呼ばれる状態である。
その意味で、須原はスピを否定したのではない。むしろ、スピを救おうとした。変性意識を宗教や世間や科学への甘えから切り離し、身体と生活と行為の側へ戻そうとした。
ここが、須原をいま読み直す理由である。
現代社会には、スピがあふれている。宗教的なスピだけではない。政治にも、ビジネスにも、教育にも、心理学にも、自己啓発にも、リベラルな道徳にも、保守的な美談にも、科学を名乗る雑な決定論にも、スピはある。
そのとき必要なのは、スピを全部否定することではない。
芸術もスピである。恋愛もスピである。山登りもスピである。変性意識も極みもスピである。人間は、スピなしには生きられない。
問題は、どこでそれが現実を踏み倒すかである。
須原の変性意識論は、その問題を考えるための地下水脈である。
生活右派/生活左派
『弱腰矯正読本』でもう一つ重要なのが、生活右派/生活左派という区別である。
これは、通常の政治的左右ではない。保守かリベラルか。自民党か野党か。右派論壇か左派論壇か。そういう話ではない。
須原の区別は、行為論である。
行為そのものの中に意味や報酬があるものが、生活右派である。行為を媒介にして、承認、利益、地位、道徳的優位、安全、免責といった外部利得を得ようとするものが、生活左派である。
この区別は、いま読むとかなり刺さる。
近年のリベラル左派的言説が失速している理由も、ここから読める。問題は、左派が間違っているという単純な話ではない。むしろ、正しさ、被害者性、倫理性、多様性、弱者性といったものが、行為そのものではなく、外部利得を得るための媒介として見られ始めたことにある。
中道も同じである。
中道を計算づくで狙うと、それは中立そのものではなく、中立であることによって得られる利益を狙う態度になる。その瞬間、それは生活左派になる。
須原の「右寄りに考える訓練」とは、政治的に右へ行けという号令ではない。行為を外部利得の媒介にするな、という生活上の訓練である。
これは、かなり厳しい。
なぜなら、現代社会では、多くの行為が外部利得化されるからである。正しいことを言う。弱者に寄り添う。多様性を尊重する。社会問題に関心を持つ。公共性を語る。倫理を語る。これらは、それ自体としては必要である。しかし、それらが承認、安全、免責、道徳的優位、知的ポジション取りのための媒介になった瞬間、生活左派になる。
逆に、生活右派は、単に乱暴な右派ではない。行為そのものの中に意味があるか。報酬が行為の外側にあるのではなく、行為そのものの中にあるか。須原の右左は、そこを見るための区別である。
この区別を、現在の政治状況へそのまま適用することは危険である。須原の議論は、現代のSNS政治やキャンセル文化やアイデンティティ政治を直接論じたものではない。
だが、補助線としてはかなり効く。だから、いまこそ読まれるべきだ。
須原は、政治的な左右を、生活と行為のレベルへ降ろした。ここでもまた、哲学や政治思想は、大きな理念のままではなく、生活の中の行為として読まれている。
自然死の脱理想化、自死の脱神秘化
ここで、改めて『新葉隠』へ戻る。
『葉隠』は、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という言葉で知られる。もちろん、それは単純に死を勧める言葉ではない。死を引き受けることで、生をどう全うするか。死をどう覚悟することで、日々の行為をどう定めるか。そういう意味で、『葉隠』は死による生の全うを説いた書物だった。
須原の『新葉隠』は、その現代的な読み替えである。
ただし、それは武士道の復古ではない。三島由紀夫的な美学の反復でもない。死を英雄化することでもない。むしろ須原は、死にまとわりつく過剰な意味を剥がし、自然死、自死、事故死、人工死といった複数の死を、現代においてどう並列に考えうるかを問うていた。
その一つとして、自死がある。
須原は、自死を最高の死として語ったわけではない。自死を、死の一形式として、自然死と並列に扱いうるものとして考えた。だから、須原の自死論は、自死の礼賛ではない。『葉隠』的な「死による生の全う」を、現代においてどう読み替えるかという問いの中に置かれている。
須原は、自死を英雄化していない。
ソクラテス、三島由紀夫、伊丹十三の死を扱ったとしても、それは英雄的な死を集めたかったからではない。むしろ、死にまとわりつく過剰な意味づけを剥がそうとしていたように見える。
ソクラテスの死は、哲学者の殉教として読まれやすい。三島の死は、政治的パフォーマンス、武士道、天皇制への執着、文学的自己演出として読まれやすい。伊丹十三の死は、スキャンダルや謎として読まれやすい。
しかし、須原はそこに、もっと身も蓋もない契機を見ていたのではないか。
英雄的に死んだのではない。ある意識状態と行為の流れの中で、ついうっかり、そうしてしまったのではないか。
事故死が、日常の延長で起こるように、自死もまた、ある意識状態の中で起こりうる。そう考えると、自死は、大義や殉教や悲劇から少し降ろされる。
これは、自死の美化ではない。
むしろ、自死の脱神秘化である。
須原がやったのは、死の並列化である。
自然死だけが正当な死なのか。自然死を受動的に待つことだけが、尊厳ある死なのか。自死は常に逃避であり、病理であり、否定されるべきものなのか。
須原はそこを問うた。
ここで重要なのは、須原が自然死を軽く見ていたわけではないことだ。むしろ逆である。
自然死を積極的に受容することは、苛烈な覚悟を要する。徐々に鈍り、衰え、身体や認知や生活の質が失われていく過程を、それでも引き受ける。それはすごい。
須原は、実際に著書の中で、その覚悟を賞賛していた。
だが、自分にはそれは無理だと思った。
そこで須原は、自死の理屈をこねた。身も蓋もなく言えば、そういうことだと思う。
これは英雄的ではない。むしろ弱い。しかし、その弱さを理屈として最後まで通そうとしたところに、須原の危険さと強さがある。
最終的に須原は、合理的な自死主義者として、自分で組み立てた思想に殉じた。
須原は、自死を積極的に推奨したのではない。自死を最善の死としたのでもない。自死を、死の一形式として、自然死と並列に扱いうるものとして脱神秘化した。
言い換えれば、須原が行ったのは、死の並列化、自然死の脱理想化、自死の脱神秘化である。
この点を外すと、須原はただの自死礼賛者に見える。しかし、それは違う。
須原は、自然死の積極的受容に必要な苛烈な覚悟を見ていた。そして、自分にはそれが無理だと判断した。そのうえで、自死を、死の選択肢の一つとして考えた。
これは立派な思想か。
分からない。
危険な思想であることは間違いない。
だが、危険だから読まなくてよい、という話にはならない。むしろ、危険だから読む必要がある。自死をただ病理化し、自然死をただ美化する死生観では見えないものを、須原は見ていた。
須原の実践を継ぐということ
須原一秀は、『自死という生き方』だけの人ではない。
むしろ、『自死という生き方』だけで読まれたことで、須原は読み過ごされている。
彼は、論理学と科学哲学から出発した。哲学の限界を見た。現代社会を読むための枠組みを作ろうとした。芸術を変性意識の発生装置として捉えた。変性意識を、宗教でも世間でも科学への甘えでもなく、身体と生活と行為の側から扱おうとした。生活右派/生活左派という行為論を提示した。そして最後に、自然死の脱理想化と自死の脱神秘化へ向かった。
これは、単なる死の思想ではない。
哲学を実践として扱う思想である。
改めて身も蓋もなく言うと、ぼくの「スピ論」は須原のパクリである。よく言えばオマージュである。
もちろん、ぼくは須原そのものではない。須原と同じ場所に立っているわけでもない。政治的にも、倫理的にも、思想的にも、そのまま重なるわけではない。
しかし、須原がやろうとしたことは、ぼくがいまやろうとしていることの地下水脈にある。
哲学を安全な読書に閉じない。哲学を制度内の専門知に閉じない。哲学語彙でスピリチュアル業者にならない。哲学を、生活、行為、身体、変性意識、現代社会へ降ろす。
その意味で、須原は「哲学者が死んだ後」の思想家である。
須原一秀を読み直すことは、自死した哲学者を記念することではない。
哲学が死んだ後に、なお哲学を実践として使うための、危険な先行者を読み直すことである。
Word up.
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