「動作ができて見える」ことと、「目的の神経回路が使われている」ことは、なぜ一致しないのか
1.現状整理
― なぜその治療・指導が「当たり前」として行われているのか
臨床現場において、棒体操や抗重力下での肩挙上練習が頻繁に選択されること自体は、決して特殊なことではない。多くの施設で共通して見られる光景であり、教育・実習・臨床文化の中で自然に継承されてきた選択でもある。
教育カリキュラムの中では、「ADLに直結する動作を練習すること」「できない動作を実際の動作に近い形で練習すること」が強調されやすい。座位や立位での肩挙上は、更衣や整容といった日常場面を想起しやすく、学生や新人にとっても理解しやすい。さらに、肩が挙がったかどうかという結果は視覚的に明瞭で、患者・家族・他職種への説明もしやすい。
臨床の制約も大きい。限られた時間、安全配慮、説明責任の中で、「今ここでできている動作」を提示できる介入は、現場適応性が高い。結果として、「抗重力でできるようになった=良くなっている」という経験則的理解が、明示されないまま共有されていく。
ここには悪意はない。むしろ、「分かりやすく」「安全で」「説明可能な形に簡略化する」という善意の簡略化が積み重なった結果である。しかし、この簡略化が進むほど、ある前提が問い直されにくくなる。それが、「動作が成立していること」と「目的とする神経回路が使われていることは同義である」という暗黙の前提である。
2.概念・前提の分解
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