おとなが誘惑される街 成瀬が教えてくれない大津観光案内 ⑨
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なぜ大津なのか
私は滋賀県民ではない。プロフィールに掲げたように、大津市長の佐藤健司と同じく尾張人だ。尾張人と言えば、真っ先に織田信長と豊臣秀吉が思い浮かぶだろう。比叡山を焼き討ちした信長と同郷の佐藤を市長に選んだ大津市民は、実に人間ができていると感心しきりだ。秀吉も坂本城を廃して大津城を築くなど、大津とは縁が深い武将だ。

子供の頃に流れた紅葉パラダイスのCMは、多くの方が懐かしく思い出すであろう。琵琶湖に飛び出すジェットコースターに乗りたいと親にねだったが、勤め先の保養所のほうが近くて安いからと却下された。
びわ湖温泉紅葉パラダイスのCM
話が逸れたが、自宅からは直線距離で100km弱の大津に行く際には、日帰りにするか泊まりするか常に悩ましい。こんな私が大津観光案内を書くのはおこがましい気もする。しかし、私は大津に並々ならぬ愛情を注いでいるのだ。そのきっかけをお話ししよう。
大津は人目を忍んで逢瀬を重ねる地
なぜ私は、そんなに大津を好きになったのか。大津そのものが放つ魅力以外に、二つの大きな原因によって大津愛に火が点いた。
一つ目は、時あたかもバブル真っ盛りの頃に遡る。ナウな男女が映画みたいな恋をするトレンディードラマが流行ったものだが、私が好きだったのは、夫(演・林隆三)の不倫相手(演・紺野美沙子)から紹介された若い男(演・宇都宮隆)の誘いに乗ってしまう専業主婦の藤家美冴(演・篠ひろ子)が主人公という、昭和後期らしい設定のTBSドラマ(通称金ドラ)「誘惑」だった。ちなみに原作は連城三紀彦の小説「飾り火」である。
村木は遊び人だけあって女性を誘い出すための穴場に通じており、言葉巧みに美冴を東京から大津へのロングドライブに誘い出すのだ。次のデートもやはり京都には目もくれずに大津へと。浮気をしているらしい夫への不信感から、大津贔屓でモノがわかっている感じがする村木に、美冴は徐々に心を許し出す。そして、身体も。

あらすじはさておき、当時はまだ珍しかったランドマークタワーの大津プリンスホテルのプールサイドで楽しいおしゃべりをしたり、堅田の浮御堂で募る想いを打ち明けたり。

ちなみに美冴の夫が不倫相手をナンパしたのは金沢だ。その頃の私は、まだマイカーを所有しておらず、付き合っている女の子もいなかったが「これが大人の恋なのか。やっぱり大人なら大津だよな、しかも金沢よりも大津のほうがさらに灯台下暗し感があっていいよな」と完全に制作者の意図にハマってしまった。ここまで書いてふと気づいたが、私は生年月日非公開にしているのに、歳がバレてしまったな。
ニュータウンから見下ろす絶景
今思えばドラマ放送の数ヶ月前に、京都へのはじめての一人旅という通過儀礼を経験したことが、背伸びしたい少年の好奇心を掻き立てたのもあるだろう。定番の京都を避けて大津を一人旅の地に選ばなかったことを悔いた。それ以前の私の大津の認識は、八瀬からロープウェイで比叡山に行けるらしい程度だった。八瀬などという地味な所に関心があったのも、単に終着駅が好きだったからだ。だから、叡山電車の終着駅の先にある鞍馬や貴船にも惹かれる。子供の頃から地図を眺めるのが大好きな私は、京都と大津の位置関係だけは正確に把握していた。
『誘惑』が終わってから1年くらい後だったか、バイト先で知り合った友達が、暇だから今から遠出しようと言い出して無計画に京都へと赴いた。このまま真っ直ぐ帰るのもつまらないからと、北白川から山中越をして、比叡平のニュータウンの脇を下りながら、目に飛び込んで来たのが琵琶湖だった。

バブル当時はまだ比叡平が古びておらず、高原リゾートのようなロケーションで日常を過ごしている人を羨ましくも思った。
琵琶湖大橋の袂に車を停めて、さざ波を打つ琵琶湖を眺めた。
その次に大津を訪れたのは、お金を払ってイケナイことをするためだったのは内緒だからな。その店では御丹珍と陰口を叩かれていたかもしれない。
大津炎上
仕事の都合もあり、大津をしょっちゅう訪れるわけでもなかったが、大人になってから改めて滋賀県や大津市の過小評価を知るにつれ、少年期に大津が気になったことに、運命的な意味があるようにも感じていた。とはいえ、比叡山をはじめとする有名どころを一通り回った程度であった。
そして大津愛を激しく燃え上がらせた二つ目の出来事が起きる。2012年7月、ネットでは大津の話題で持ち切りになった。その騒ぎの大きさは成瀬ブームの比ではなかった。大津市の中学生がいじめを苦に飛び降りて亡くなったというのだ。しかし、学校や教育委員会はいじめの事実をなかなか認めようとせずに大炎上してしまった。
某巨大掲示板(死語)では、加害者探しの私刑が横行し、大津市どころか滋賀県に住所があるだけで異常人格者かのように煽られていた。亡くなった方には心よりご冥福をお祈りいたすし、いじめは断じて許されるべきではない。しかし、ネット民がやっていることはいじめ加害者の非行に通じるものがあるではないか。私はいたずらに加害者認定したり、大津を貶める書き込みに対して、激しい憤りを覚えた。この当時の大津市民はどんな心境だったのだろう。
既にその頃には一人旅で大津を粗方回り終えていた。いじめ事件で大津が炎上したことに奮い立った私は、職場のメンバー、顧客、家族と、あらゆる機会で大津に人を伴って訪れた。バスツアーも自ら企画して参加者を募集までした(大きな声では言えないが、真の目的は正業の販売促進で、ツアー中にこっそり参加者を撮影し、思い出の写真をご自宅まで持参するのと引き換えにご契約をいただいた)。参加者からは「京都の手前にこんないい所があるなんて」と好評を博した。
そんな訳で累計で何百人かを大津に連れて行った。大津にお住いの方々や何かの折に大津を訪れる方ほどには、彼の地に詳しいわけではないが、誰かに紹介したいという気持ちだけは、「成瀬シリーズ」を著した宮島未奈にも大きく劣らないだろうと、勝手に自信を持っているのだ。
成瀬ブームに想う
大津市在住の小説家宮島未奈による『成瀬は天下を取りにいく』、『成瀬は信じた道をいく』がベストセラーになったことによって、その舞台である大津市はにわかに注目を浴びた。
もちろん自他ともに認める大津贔屓の私には吉報であった。しかし、私は必ずしも成瀬シリーズを手放しで褒め称えるわけではない。
成瀬がヒットしたのは現実離れした自己啓発小説だから
成瀬シリーズは、ジュヴナイル小説・青春小説の体を取っているが、主人公の成瀬あかりに自らを投影しながら読む方は少ないのではないか。なぜなら、成瀬はあなたと同じように泣いたり笑ったりするキャラクターではないからである。
私の推測が当たっているとしたら、共感できない主人公の青春小説がヒットした理由はどこにあるのだろう。
成瀬が言うには、大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人すごい」になるという。だから日頃から口に出して種をまいておくことが重要なのだそうだ。
幼馴染の島崎によると、成瀬は学業も優秀で、県内でも指折りの成績であり、子供の頃から駆けっこをしても歌を歌わせても、周りの子に抜きん出て優れていたという。
そんな成瀬が、閉店が決まった西武大津店まで毎日欠かさずテレビに映りに行くとか、M-1グランプリを目指すとか、生産性がなさそうなことに血道を上げるのがウケたようだ。
優れた能力を活かして、独自に研究したり難しい資格を取得するのではなく、成瀬にしかわからない意味を持つ課題に邁進する。
noteもそうだし、昨今のベストセラーもそうだが、ヒットしたコンテンツの多くが自己啓発の要素を含んでいる。
成瀬が平凡な中高生という設定であったなら、おそらくそんなに話題になることはなかっただろう。昨今のお手軽に上手くやる方法を知りたがる風潮を、私は快く思っていない。
地元からの発信ほど価値があるものはない
私が成瀬を評価する点に、大津の日常がそのまま描かれていることを挙げたい。

西武大津店の何階に何が売られていたかまで描写している。
一階の食品売り場、二階の婦人服売り場、四階の紳士服売り場と、西武大津店を振り返るかのごとく上がっていく。
成瀬シリーズの特徴は、土産に持ち帰りたくなるような郷土銘菓を扱う老舗の和菓子屋などではなく、地元の中高生が行きそうな店舗や施設にスポットを当てていることだ。スポットの一つ一つはありふれたものでも、これらを線で結んで歩くうちに、大津の街の息遣いを肌で感じられるのがミソだ。
聖地巡礼はガッカリスポットめぐり
敢えて言わせてもらおう。
実在するセブン-イレブン 大津膳所駅前通り店には、特色なんて何もない。もちろん成瀬の読者には感慨深い場所だろう。作品中に成瀬がアイスを買った店は、現地に行けば確かに存在することを確認できるからだ。しかし、成瀬に登場するスポットであることを知らない者にとっては、どこにでもあるコンビニに過ぎない。

話は海外文学に飛ぶが、20世紀文学最高傑作の一つとされるジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』は、アイルランドの首都ダブリンが舞台である。

『ユリシーズ』の書き出しは、このマーテロー塔(小さな防御砦のこと)なのだが、マーテロー塔はこの地方には珍しいものではなく、仮住まいとしても利用されていた。ジョイスはここに6日間滞在したという。この作品がなければ決して顧みられることがなかった建物だろう。ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」とさえ語ったとされる。宮島の意図はこれに近いと思われる。成瀬を読めば後世に往事の大津の記憶が蘇ることになる。街は刻々と変わっていくのだから。
一言で言えば、現代文学の聖地巡礼は、日常をモチーフにした作品なら、必然的にガッカリスポットめぐりになってしまうのだが、地元民は頻繁に近所を観光するわけではないので、徒歩圏のチェーン店こそが日常風景なわけだ。
観光的に価値を見出しにくいスポットに光を当てる聖地巡礼は、逆説的に新たな価値を提示したと言えよう。しかし、一般的な旅行者にとって満足と言えるかは別問題だ。だから私は、成瀬シリーズを補完する大津観光案内を書くことにした。冬の間は横道に逸れた話が主になるが、今後もよろしくお付き合い願う。
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