【掌編】恋を装うチョコレート │ #風まかせ文芸部
ザクッ、と、音を立ててチョコレートが削れた。
真っ白な俎板に、甘ったるい匂いが移った気がした。
チョコレートとは、恋を固形にしたものだと思う。
甘くて、そのくせ苦くて、熱でドロドロに溶けたかと思えば、冷えたら固まるけど、風味が落ちる。一度溶けたら、もう一度固まったとしても、同じものには戻れない。色とりどりのカラースプレーや、トッピングシュガーで化粧したって、既製品や凄腕のパティシエが作るような味にはならない。
それでも、ドロドロに溶かして、形を歪めてでも加工して、冷やして固めて、それがまるで愛であるかのように手渡す儀式は、年に1回やってくる。
ザクッ、ザクッ、と、手の温かさで溶け始めたクーベルチュールの塊を刻んでいく。
私は、愛を形造るショコラティエには向いていない。
温かい手が、不必要に恋を溶かしてしまうから。
溶け出したクーベルチュールが滑らないように、慎重に包丁で削っていく。
いや、もしうっかり指先を切って血が滲み出ても、彼の中に私が摂り込まれるのなら、悪くないのかもしれない。髪の毛や爪の先とかならきっと、舌触りに差し障るだろうから。
塊だったクーベルチュールが粉々になる頃には、真っ白な俎板は染みが残りそうなくらい汚れていた。
変わり果てた姿のクーベルチュールをボウルに入れ、湯煎でドロドロに溶かしていく。人肌に温めておいた生クリームを加えると、バラバラだったクーベルチュールの欠片たちは、ドロドロのガナッシュになった。
早く冷えるように、バットに拡げて冷凍庫に入れる。
指先や掌に残る、溶けたクーベルチュールを一舐めする。
甘いのか、苦いのか、よくわからない。
ハンドソープを使って手を洗っても、カカオの匂いや油分が染み付いている気がした。クーベルチュールを粉々にするのに使った俎板は、もう二度と真っ白には戻らなさそうだ。
彼は、私のものにはならない。
私も、別に彼のものではない。
どちらも不特定多数の中のひとりなのだ。
彼は放課後の下駄箱や空っぽの机だし、私は記名の無い本命チョコのようなもの。
冷凍庫から取り出したガナッシュには、分離してしまったココアバターが白く浮き出していた。
まだ少し柔らかいそれを、スプーンでグシャグシャに混ぜる。
どうせ、スプーンでキレイにまとめようとしても、ベタついてしまうからって、不器用な私は結局手でガナッシュをまるめることになる。そうすれば、またチョコはドロリと溶け出して、私の指先や掌を汚していく。
またココアバターが分離して、チョコの表面に浮き出してきても、ココアパウダーをまぶすからきっと大丈夫。
苦味が気になるなら、シュガーパウダーをまぶせばいい。
みてくれだけ、何となく整っていればいい。
そうしたら、味もそれなりに感じるんじゃないだろうか。
だって、この造形の語源は、みてくれも良くないし、味もよくわからないけど、香りだけは高いあのキノコなのだから。
私は今年も、彼の手に決して渡ることのないチョコを作り上げて、丁寧にラッピングしてみた。
もし、このチョコレートを彼が美味しいと言ってくれるなら。
それは、素材のおかげでもない。
技術のおかげでもない。
そう、もしそうなら、それはきっと……。
そんな世界線はきっと現れない。
私の中で始まって、そして、私の中で終わればいい。
私は、満足気に笑った。
このお話は、こちらの企画に参加させていただきました。
