#77『薄明』13章:決意④
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第13章 決意④
櫂が茉莉の後にシャワーを浴びてリビングに戻ると、先ほどまでの濃厚な熱気は嘘のように消え去り、
代わりにガーリックとハーブ、そして温かなスープの香りが部屋を満たしていた。
「お待たせ。温め直したから、冷めないうちにどうぞ」
ダイニングテーブルには、美しく盛り付けられた料理が並んでいる。
向かい合わせに座った茉莉は、どこか居心地が悪そうに視線を彷徨わせ、意味もなくグラスの水滴を指先で拭っていた。
無理もない。ほんの数十分前まで、彼女はこの冷たいテーブルの上で背中を反らせ、櫂の激しい情熱を受け止めていたのだから。
櫂もまた、少しの気恥ずかしさと、それを遥かに凌駕する愛おしさを胸に隠しながら、カトラリーを手に取った。
「……いただきます」
一口味わうと、凝縮された素材の旨味が口から胃に染み渡っていく。
外でどれほど豪華な食事をとっても、こんなに満ち足りた気持ちにはならない。
(……私は、なんて果報者なんだろうか)
自分だけを待っていてくれる人がいて、自分のためだけに作られた温かい料理がある。
だが、その幸福を噛み締める一方で、櫂の脳裏には空港で麗奈に言われた言葉が再び蘇っていた。
─『茉莉さんほどの才覚がある人が、ずっと家に閉じこもっているのって、なんだかもったいない気がします』……
櫂は食事の手を止め、目の前で静かにスープを飲む茉莉を見つめた。
「……明日からの連休ですが」
「ん?うん」
「どこかへ出かけましょうか。
私ばかりがあなたを独り占めして、家に閉じ込めておくのも……もったいない気がして」
本心を悟られないよう、少し冗談めかしたトーンで言ってみる。
本当は「やりたいことはないか」と、「あなたが一番幸せなのはどんな時か」と、まっすぐに問う勇気が、今の櫂にはまだなかった。
茉莉は少し驚いたように瞬きをし、そしてくすりと優しく微笑んだ。
「あんなに毎日忙しくて疲れているんだから、ゆっくり休んだら?家でのんびりして?」
「しかし……」
「たまにはお昼まで寝ててもいいのよ。……私も、一緒にいるから」
その甘く優しい言葉に、櫂の胸が締め付けられる。
彼女はこうして、いつも自分を優先し、この小さな城の中で微笑んでくれる。
だが、次の瞬間だった。
茉莉はふと視線を落とし、先ほどまでの柔らかい空気を引き締めるような、真面目な顔つきになった。
「……明日からの休みのこととは別で
聞いてほしいことがあるんだけど、……いいかな」
その声のトーンに、櫂の心臓がドクンと不穏な跳ね方をした。
直感だった。
それは、「今度あのお店に行きたい」といったような単なる日常の報告ではない。
もっと──もっと深い場所にある何か。
急にあのテラス席で見知らぬ男と会っていた茉莉らしき風景がフラッシュバックした
どうして自分は今まであのことを見ないふりしていられたのだろう
櫂はカトラリーを静かに置き、背筋を正した。
「……聞かせてください」
何を言われても、受け止める。
それがたとえ、自分にとって都合の悪いものであったとしても。
茉莉は一度深く息を吸い、まっすぐに櫂の瞳を見つめ返し、意を決したように話し始めた。
「……あなたが執事を辞めて、お父様の会社で本格的に働き始めてから、私、この家に独りでいることが増えたでしょう?」
「……はい」
「そうしているうちに、今まで当たり前に思っていたことに、疑問を持つようになってしまったの」
茉莉の言葉は、淡々としていつつも芯のある深みを孕んでいた。
「櫂は会社のために身を削って仕事に邁進している。
稜真さんはご自身で事業を立ち上げて戦っている。
麗奈さんも、自分の能力を最大限に発揮して輝いているわ。
……みんな、自分の人生に一生懸命で、何かのために命を懸けていて、それがちゃんと社会の役に立っている」
そこまで言うと、茉莉は自嘲するように小さく笑った。
「でも…じゃあ自分はどうだろうって。
西園寺の人間として最高の教育を受けさせてもらって、色んなものを身につけたはずなのに、今の私は誰の、何の役にも立っていない。
自分に出来ることがあるはずなのに、それをしていない」
櫂は無言で彼女の言葉を聞いていた。
麗奈の指摘が、そして自分が無意識に目を背けていた事実が、茉莉自身の口から語られていく。
「この家に独りでいると……私は一体何をしているんだろうって、すごく空虚な気持ちになることがあるの。
私はなぜ生きているんだろう。
…このままでいいのか、自分はこの先後悔しないんだろうか…って」
「茉莉……」
「実はずっと……頭の中に──
心の中にあることがあるの。
……やってみたいことが。
それを、この何ヶ月か…、ううん、もしかしたら、もう何年も前から
ずっと考えていたの……」
茉莉はテーブルの上で両手をぎゅっと組み合わせ、祈るように、そして少しおずおずと櫂の顔色をうかがった。
「私がもし……。外に働きに出たいって言ったら……
いや、かな……?」
静かなダイニングルームに、彼女の小さな問いかけが
ぽとりと落ちた。
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茉莉の夢とは…
ついに心の奥に隠し持っていた気持ちを語り出す
ちなみに茉莉と櫂はまだ一緒にお風呂に入ったことはないので別々にシャワーを浴びました。(茉莉が恥ずかしがるから)
