#78『薄明』13章:決意⑤
前回のお話はこちら↓↓
あらすじはマガジンにまとめてあります
ちなみにあらすじも長いよ
薄明13章:決意⑤
「……私がもし……。外に働きに出たいって言ったら……いや、かな……」
静かなダイニングルームに落ちたその小さな問いかけを聞いて、櫂は愕然とした。
だが同時に、心のどこかで(ああ、やはり)と納得する自分もいた。
自分は茉莉が傷つかないように、ただ穏やかで幸せであるようにと、この温室のような部屋に彼女を閉じ込めておこうとしていたのだ。
無意識のうちに、ずっと。
彼女がこんなにも迷い、自分の顔色をうかがうように尋ねなければならないほどに……。
これまでどれほど彼女のその自由な翼を重く湿らせてきたのだろう。
周囲の人間が自分の人生を懸命に生きているのを眺めながら、自分がただ「誰かのためのお飾り」として完成されていくのを、彼女は一人きりで耐えていたのだ。
かつての自分なら、わざわざ外へ傷つきにいくことはない、自分の腕の中で安心して暮らせばいいと、甘い言葉を囁いて彼女を引き留めていたかもしれない。
けれど今、こうして社会の荒波に揉まれ、傷つきながらも自らの足で立つ者たちの放つ輝きに魅入られている自分には、茉莉の抱える葛藤が痛いほどによくわかってしまった。
ましてや、その新しく芽吹こうとしている意志を、自分が摘み取ることなど、
どうして出来ようか──
櫂は歯を食いしばった
茉莉をそんなふうに追い詰めていた自分の至らなさが、情けなくて堪らなかったのだ。
彼女の瞳の奥にある空虚を、自分の愛だけで埋められると信じていた傲慢さ
しかし今、彼女は一人の人間として、自分の価値を、自分自身の力で証明したがっている。
櫂は、テーブルの上に置かれた茉莉の手を、両手でそっと包み込んだ。
「……あなたが自分の人生を歩みたいと願うなら、それを拒む権利は、私にはありません」
静かで、深い敬意を込めた声だった。
「……教えてください。……あなたがやってみたいと願う、その夢を」
櫂のその言葉に、茉莉は張り詰めていた糸が切れたように、ふっと息を吐いた。
堰き止めていたものが溢れ出しそうになり、瞬きを繰り返す。
しかしまだ泣く時ではない。
「ありがとう」
茉莉は感謝の言葉を告げ、そして少しずつ、大切に自分の言葉を紡ぎ始めた。
「櫂は…知らないかもしれないけれど、…あなたをうちに引き取ってからお父様は、
あなたの他にも数人の遺児たちを個人的に支援していたの。
……その資料が、亡くなったお母様の書斎に残っているの。」
「社長が……?」
「ええ。私は…実家にいる時、お母様のお部屋で過ごすのが好きで…それを昔から知っていて…
ずっと気になっていたの。
……私、彼らのその後を調べてもみた。
最近、実際に会って、直接話も聞かせてもらったりしたわ」
(――実際に会って、話を聞いた)
その言葉を聞いた瞬間、櫂の脳裏に、あのテラス席で茉莉が親しげに語り合っていた青年の姿がフラッシュバックした。
やはりあれは茉莉だったのだ
彼女が手を添えていたあの男は、決して見知らぬ浮気相手などではなく、父が支援した遺児の一人だったのだ。
自分の浅はかな疑惑が酷く滑稽に思え、櫂は内心で深く懺悔した。
「彼らはそれぞれに様々な道へ進んでいたけれど、皆立派に、幸せに育っていて、支援のことを深く感謝していたわ」
茉莉は櫂の手を握り返し、続ける。
「……あなたは優秀で、たまたまお父様が信頼していた部下の子だったから、うちが引き取って支援できた。
けれど、そう出来ない子供たちも世の中にはたくさんいる…」
茉莉は一瞬だけ目を伏せ、そして決意した瞳で櫂を真っ直ぐに見て言った
「……私はそれを引き継ぎたいの。もっと……ただの奨学金だけじゃなくて、西園寺の事業として立ち上げて、支援の範囲を広げたい。
もっと多くの人を救いたい。」
「事業として……」
「ええ。……櫂。」
茉莉は手にしっかりと力を込めた
「今、どこかで苦しんでいる、第二、第三の櫂を
……
私の手で救いたいの」
続きは明日21時頃更新予定です。
ちなみに茉莉がお母さんの部屋で資料を見ていた回はこちら
この他にもお母さんの慈善活動のことは(第4章【名前を読んで】⑤とか)お父さんが櫂の他に何人か支援していたことなども
ちょいちょい書いてたんですよ。
伏線!
創作大賞2026 恋愛小説部門
