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#25『薄明』第5章泡沫の蜜月③

前回のお話はこちら↓


二人の蜜月は密やかに、穏やかに日々を彩っていった。
まるで終わりのない白昼夢のように泡沫の幸福にたゆたう毎日。

​しかし茉莉マリの胸の奥には、拭いきれない淡いかげが常に薄く付き纏っている。
西園寺という家、父の存在、そして自分に課せられてきた役割。

それらすべてに背を向け、甘い逃避に耽っているのだという自覚が消えることはない。

​この温かな幸せの泡がいつかパチンと弾けて消えてしまうのではないか。

そんな靄を振り払うように、茉莉はより深く、カイの胸へと顔を埋める。

​一方の櫂も、その危うい均衡に気づいていないわけがなかった。

しかし今は、今だけはと、自分自身に言い訳を重ね、茉莉を繋ぎ止めるように静かに愛を重ねていった。

​いつか茉莉の父、征嗣セイジに打ち明けなければならない。認めてもらわなくてはならない。

だが、その不確かな現実あしたを、二人は一日、また一日と後回しにしていた。

もう少し

もう少しだけ……

​この狭い部屋で、二人は誰にも言えない秘密を共有しながら沈んでいく



ある日の午後、茉莉が書斎で読みかけの本を閉じ、ふと伸びをしたその時、玄関の電子錠が鳴る音が聞こえた。

​「ただいま戻りました」

​聞き慣れた声に茉莉の顔がパッと華やぐ。
リビングへ向かうと、そこには外出帰りの櫂が、片手に小さな見覚えのあるロゴが入った紙袋を提げて立っていた。

「おかえりなさい櫂。早かったのね」

「ええ、思ったより手続きが早く済んで。…これお好きでしたよね」

​差し出されたのは、行列の絶えない老舗パティスリーの焼き菓子だった。茉莉が以前雑誌を見ながら、「ここのガレット、バターの香りが最高なのよね」と独り言のように呟いていたのを、彼は覚えていたのだ。

​「ええっ! ここの、なかなか買えないのに……。嬉しい、ありがとう!」

「貴女の喜ぶ顔が見たかったんです。
よろしければ、お茶にしませんか」

​「ええ、もちろん! じゃあ、とっておきの茶葉があるの。最高に美味しい紅茶を淹れるわね」

​茉莉は弾むような足取りでキッチンへ向かった。

銀のティーポットを温め、慎重に計った茶葉に沸騰したての湯を注ぐ。砂時計の砂が落ちるのを待つ間、背後から櫂の気配が近づいてきた。

​不意に、温かな腕が茉莉の腰を包み込む。

櫂は彼女の肩に顎を乗せ、ふわりと立ち上がる紅茶の香りと、茉莉自身の甘い香りを一緒に吸い込んだ。

​「……いい香りだ。落ち着きますね」

「こら櫂、お茶を淹れる時は静かに待ってて」

​まるで子供を叱るように言いながらも、茉莉は幸せそうに身体を彼に預ける。

​やがて、カップに注がれた紅茶が、午後の光を反射してキラキラと輝いた。

サクサクとしたガレットの食感と、濃厚なバターの風味。そして、丁寧に淹れたダージリンの芳醇な渋み。

​「美味しい〜」

にこにこと幸せそうに茉莉が微笑むと、櫂もまたそんな彼女を見て甘く柔らかな幸せが胸に広がる。
テーブルの上、どちらからともなく手が重なった。

指を絡め、視線を交わす。

ただ、美味しいものを分け合い、美味しい紅茶を飲む。
そんな普通の幸せが、今の二人にとっては、何よりも守り抜きたい、脆く美しい奇跡だった。

ところが、そんな穏やかな空気の中、茉莉はカップを置き、ごく自然な口調で、とあるスキャンダラスな疑問を投げかける。

​「ねえ櫂。
あの…ずっと気になっていたことがあるんだけど聞いていい?」

「ん?ええ何でしょう。何なりと」

「櫂って、何人くらいの女性と経験あるの?」

「ブフォッ……!! ゲホッ、ゴホッ……!!」

スマートな所作でダージリンを啜っていた櫂が、噴水のように紅茶を吹き出し、激しくむせ返った。

あわててナプキンで口元を抑え、さらに咳き込む。

生きてきて、これほどまでに無様な姿を見せたのは、おそらく彼自身の人生でもそう無いだろう。

櫂が噴き出した紅茶のしぶきが顔にかかった茉莉も、それを迷惑そうに拭きながら「うろたえすぎよ…」とあきれて言った。

結構、かかった。

​「……な、何を、いきなり……っ
それはうろたえますよ!」

予想外の質問にしどろもどろになる櫂。しかし茉莉は身を乗り出して追撃した。

​「だって明らかにおかしいもの。
……その、……慣れてる…っていうか…上手い、と言うか……。
私、自分の感覚が信じられなくなるくらい、……翻弄されてる気がするから…」

​茉莉が頬を染めながらも上目遣いで自分を見つめてくる。

櫂の脳裏に、これまで重ねてきた名前も知らない女たちの肌が暗く蘇った。

​西園寺家への忠誠と、茉莉への禁じられた恋情。

その重圧に押し潰されそうになると、時々彼は「黒崎櫂」という個を消すために、夜の街へ出た。

金を払ってプロに任せることも、行きずりの女性と交わることもあった。

整った容姿と、どこか欠落したような影を持つ彼は、黙ってバーのカウンターに座っているだけで女性が寄ってくる。

───​誰でもよかった。

茉莉ではない誰かの体温で、狂いそうになる脳を、一時的に麻痺させるためだけの「作業」だった。

自分の上を通り過ぎていった女性たちに感謝はあるが、そこに心を通わせた瞬間など一度もない。

黙り込んだ櫂を見て、茉莉は少し申し訳なさそうに口を開いた

「あ……そうよね…、人に聞くばかりじゃフェアじゃないわよね…。私は櫂を入れたら3に…」
「わー!いい!いいです!言わないでください!聞きたくもない!!」

櫂は食い気味に茉莉の言葉を遮る。

あの日から茉莉は自分と対等にいようとすることが多いが、茉莉の経験人数など知りたくもなかった

​「……。…か…数えたことは、ありません。」

​櫂はナプキンを雑に畳んで、観念したように告白する

​「お望みのような清らかな過去は、私にはありません。
名前さえ覚えていない人たちと、……あなたを思って……ただ、やり過ごすように重ねた夜が、それなりに。
遊びというよりは……心の避難所のようなものでした」

茉莉はハッとして察すると、少しバツが悪そうにうつむいた

​「……そうなんだ…。
昔、あなたの首筋に……誰かのつけた跡があったの、見たことあって…

…恋人が、いたのかと思ってた…

それで私も、櫂がその人のところに行ってしまう前に早く自分の居場所見つけなきゃって、焦って……」

​「…………」

​絶句した。まさか、あの頃の自分の自暴自棄な振る舞いを、彼女がそんな風に見ていたなんて。

気まずい沈黙が流れる。

しかし櫂は茉莉の少し寂しげな表情を見てわずかな違和感を感じた

​(?……もしかして……)

彼女は怒っているのではない。
自分の過去に、嫉妬して…いる…のか…?

​「……そんなに、私の過去が気になりますか?」

櫂は茉莉の顔を覗き込むようにして尋ねた。
茉莉がそっぽをむいて口をつぐんでいる

​「…………。」

櫂の心に甘い加虐性がむくむくと湧き出てきた。

​「……いいですよ。
お望みなら、一人ひとり、抱き心地でも声の上げ方でも、詳しくお話ししましょうか。
……それとも、今の貴女とどちらが『良かった』か、比較して差し上げても?」

​「な……っ!櫂、……最低っ」

​弾かれるように顔を赤くして立ち上がった茉莉の手を、櫂は逃がさないように強く掴んだ。

​「最低で結構です。……ですが、今の私をこれほどまでに『慣れさせた』のは、貴女が私をずっと放置してきたせいですよ?茉莉。」

櫂は茉莉の顎を掴むと顔をまっすぐこちらに向かせた

「……責任、取ってくださいね」

​甘い脅しのような囁き。

嫉妬する彼女が愛おしくて、櫂はわざと意地悪な微笑を浮かべる

「…それにしても…さっきの
”上手い”っていうのは、本当ですか?」

茉莉の顔がカッと熱くなる

「嬉しいですね。そう思ってもらえるのなら、私のあの惨めで情けない経験も無駄じゃなかったわけだ」

​茉莉の潤んだ瞳が、恥じらいと嫉妬でさらに熱を帯びる。

その表情を見ているだけでたまらない。

​「……っ、もう、いいわよ、その話は……」

​背けようとする彼女の顔を、片手で逸らせないように自分の正面に向けたまま、もう片方の手で腰を引き寄せると柔らかな曲線が、櫂の硬い身体に隙間なく密着した。

​「いいえ。責任を取ってくださるんでしょう?」

​櫂は彼女の耳朶を、熱い舌先でちろりと舐め上げた。

​「ゃ……っ、櫂……」

​可愛らしい悲鳴。

櫂の指は、吸い寄せられるように彼女のうなじをなぞり、そのまま背中へと滑り込んでいく。

​「……他の誰がどうだったかなんて、もう覚えてもいません。
……ですが、貴女の身体が、私の指先一つでどう跳ねるか。……どんな声を漏らして、私を求めてくれるか。……それだけは、死ぬまで忘れたくない」

櫂はそう言うと茉莉を抱き上げソファへ向かった。


続きはこちら

がっつり🔞になる予定なので、無料公開のあと数日程度置いて、有料になると思います。見逃したくない方はぜひフォローしてお待ちください…苦手な方はストーリーに影響しませんので明日はとばしてもらって大丈夫です。
(茉莉ちゃんが櫂にいじめられるだけです笑)
お楽しみに


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