「しんごろう餅」と「みたらしだんご」 菓子司熊野屋 福島県会津若松市 和菓子なスクチャイ289 2026.04.26
和菓子なスクチャイ289 福島県 > 会津若松市
※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。
「しんごろう餅」と「みたらしだんご」 菓子司熊野屋 会津若松


<序>
熊野屋は以前は会津若松駅を出てすぐ右側の道路を渡ったところにある商業施設の中に小さい店舗でも営業していた。
以前記事にした「会津七福団子」を買ったのはそこで、その時は下りの「SLばんえつ物語」の中で食べたのだったが、駅近くで買えるのが非常に便利だったのだ。
しかし少し前にその店舗はなくなったと聞き、今回は駅から徒歩20分ほどの七日町の店舗に行ってみた。
なお、熊野屋の歴史については以前の記事に記載しているのでそちらをご参照。
1.「しんごろう餅」と「みたらしだんご」を食べる
七日町の熊野屋に面する通りには観光客が喜びそうな趣のある店舗が並んでいた。
駅から鶴ヶ城までの中間ぐらいに位置している場所で、会津若松の観光名所のひとつのようだった。
日曜日だったので家族連れやカップルなどが何組も歩いていた。
さて、熊野屋はそんな観光地にあるひとつの和菓子屋ということになるのだが、入り口に土日祝日限定の「しんごろう餅」と「みたらしだんご」の看板が出ていた。

小さな店だが店内で座って食べられる場所があり、幸い客は誰もいなかったので吾輩は駅から歩いて来た休憩がてら店内でその「しんごろう餅」と「みたらしだんご」を食べることにした。

店内には展示用で実際には使わない囲炉裏があったりして昔の和の雰囲気を醸し出していた。
店内飲食の人はその囲炉裏をテーブル代わりにして座るわけだ。
注文すると直ちにお盆に載った「しんごろう餅」と「みたらしだんご」が差し出された。

小さな茶碗で温かいほうじ茶を入れてくれていて、店内で食べる時は得をした気分になるのだ。
「しんごろう餅」は軽い餅という印象で、表面はカリッと香ばしく焼きたてで、中は伸びることもなく、ふっくらしてひたすら柔らかであった。
実はこれは餅ではなくうるち米を半分程度潰したものなのだ。
秋田のきりたんぽに近いかもしれず、秋田の人に言わせるとこういう風にご飯を半分潰すことを「半殺し」と言うのだ。
その軽めの餅の表側に塗られているのがエゴマ入り甘みそとのことで、その味噌が甘辛くてふっくらしたうるち米の焼いたのと合わさってとても美味しかった。
「みたらしだんご」は赤児の頬のようにひたすら柔らかい米粉の団子だ。そこに甘辛い醤油ダレがかかっていて団子の生地と一緒に食べてみればかなり上質の「みたらしだんご」と納得し、高貴な至福を感じるのであった。
熊野屋は、会津若松駅から20分歩いて辿り着く甲斐があるだんご屋さんだ。
また今度会津若松駅に降り立つことがあればまたここまで足を運んで、今度は薯蕷饅頭でも食べようかな、などと食いしん坊の吾輩は考えるのだった。
2. 「しんごろう餅」は貧しさから生まれた
「しんごろう」はもともとは会津の南、南会津町(旧下郷町や田島町付近)に伝わる郷土料理だ。
その名前の由来だが、昔々、「しんごろう」という名前の貧しい若者がいた。
お正月にお餅をつく米がなく、仕方がなく「うるち米(普段のご飯)」を軽く潰して丸め、棒に刺して自家製の「じゅうねん味噌」を塗って焼いて食べたところ、それが驚くほど美味しく、村中で評判になった・・・という伝説があるのだ。
「じゅうねん餅」の「じゅうねん」とはエゴマのことで、会津では「食べると10年長生きする」と言われることから「じゅうねん」と呼ばれている。
熊野屋の「しんごろう餅」はこのじゅうねん味噌の香ばしさが最大の特徴なのだ。
通常、しんごろうは囲炉裏で焼く「食事」に近いものだが、熊野屋ではそれを上品な和菓子として成立させている。
3. 「みたらしだんご」:熊野屋の誇る「生」の旨み
熊野屋の団子は、地元の人からも「会津で一番」との声が上がるほど人気だ。
会津は日本有数の米どころで、熊野屋ではその上質な米粉を使い、その日の朝につく「朝つき」の新鮮さにこだわっている。
平日にも販売されることもあるが、最近は特に土日祝日だけの販売のようだ。
確認はしていないが、店内の囲炉裏で焼き立てを提供してくれることがあるとの情報もあるので気になる人は前もって店舗に問い合わせてみたら良いだろう。
もし囲炉裏端で焼きながら食べられるとなると、表面の焦げ目の香ばしさと中のもっちりと吸い付くようなアッチッチの生地で最高の贅沢な体験ができるはずだ。
4.菓子司「熊野屋」の場所
明治20年(1887年)創業の熊野屋店舗は七日町通りの中でも特に歴史を感じさせる蔵造りの建物で、国の登録有形文化財にも指定されている。
かつて会津五街道の起点として栄えた七日町の賑わいの中で、旅人に甘いものを提供し続けてきたお休み処としての役割を、今の時代も守り続けているのだ。
(おわり)
