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松島こうれん 紅蓮屋心月庵 宮城松島 和菓子なスクチャイ041 2025.07.22

和菓子なスクチャイ041 宮城 > 松島

※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。


松島こうれん 紅蓮屋心月庵 宮城松島

1.松島海岸の「松島こうれん」

紅蓮屋心月庵は景勝松島海岸にある1327年創業から698年目の老舗で、ほぼ700年間続く薄焼き煎餅の「松島こうれん」が有名だ。

いつかは食べてみたかったお菓子だが、吾輩その日は仙台駅で塩釜を買いたくて彷徨っていたのだ。(前回の仙台駄菓子「塩釜」編参照)

2.駅の案内所は外国人

話は以前書いた、仙台駅で「塩釜」を探す話から続く。

仙台駅で買いたかった「九重本舗玉澤の塩釜」の直営店は消えても土産物屋のようなところで塩釜が手に入らないかと思い、吾輩は駅構内の観光案内所のようなカウンターに行った。

そこには流暢な日本語を喋る白人の男性外国人がいた。外国人の案内人に和菓子の話なんて通じるのだろうかと不安になったが、順番に彼の担当になったので仕方なしに訊いてみた。

「九重本舗玉澤の塩釜」を買いたいという吾輩の質問をとりあえずは理解したようで手元の資料などに目を落としたかと思うや否や、直ちに駅ビル内のどこそこの土産物屋で売っているとの回答を得た。

回答が素早いのはいいが大丈夫か?
確かな情報なのだろうか?

案内所での外国人対応は先日富山駅でちんぷんかんぷんな対応をとられているので気が気ではない。翻弄されて時間を無駄にするのは当の吾輩なのだ。

だいたい最近は外国人旅行者が多いので英語を話す外国人が案内所の席に座っていることが多い。

外国人対応にはそれでいいだろう。しかし外国人旅行者と日本人旅行者の質問の種類は違う。

例えば富山駅での場合は中国人らしい外国人の案内人に立川志の輔落語の「てるてる亭」への行き方を訊いたがまず「てるてる亭」が聞いたことないと言うし落語って何?という始末だった。

彼は日本語は喋ったが日本人あるいは富山市民としての頭の中の情報量は不足しているようで、いちいち吾輩の言う単語を手元のパソコンに打ち込んでGoogle検索するのだった。
こんなことなら自分で検索した方が早い。外国人には日本での日本人の案内は無理だ。

そして最悪なことに帰りの市電停留所を間違えて教えられていたことに後で発覚する。

3.仙台駅のガイジン案内人

そんなこんなの迷惑ガイジン案内人の経験を思い出してしまったが、今日は白皙のガイジンだ。思いっきり嫌な予感がする。

彼は調子良く言った。
「近くにありますよ! 1ブロック先の通路を左に行って・・・」
ということでわりとすぐ近くだった。

せっかくだが、ほんまかいな? という気持ちだった。
でも近いから被害も最小限に収まりそうなのでとりあえず行ってみた。

その店舗に入った吾輩、時間もあまりないので店員さん(確実に日本人を確認した)を捕まえて「塩釜」を買いたいと伝えた。
すると店員さんはよくある質問に答えるかのようにすぐさま「九重本舗玉澤の塩釜」は駅ビルから撤退したので今はない、と答えた。

やっぱりないんやん!・・・_| ̄|○

しかし今さっき案内所でここにあると聞いて来たことを言うと、その店員は別の店員にモゴモゴ相談し、吾輩をある商品棚に連れて行った。

それは塩釜なんちゃらと書いてあるクッキーで、塩釜をアレンジしたとかなんとかのお菓子で、原材料を見ると小麦粉にバター!?

これが塩釜なんてあり得ない! ということで却下した。

4.「松島こうれん」を手に入れる

やっぱりないとわかって諦めかけていると、店員はまったく別の商品を勧めてきた。「松島こうれん」と書いている箱だ。

ん? 松島こうれん?

確かに食べてみたかった有名菓子だ。

じゃあこれを買おうということになった。

それにしてもなんで吾輩が「松島こうれん」も欲しかったと知ってた!?

塩釜を諦めた客につけ込んで「松島こうれん」を買わせる店員も試合巧者だ。

そもそもはと言えば、あの観光案内所の白人男のいい加減な情報からここに来てしまっていたのだ。

言っとくが、やっぱり「九重本舗玉澤の塩釜」はなかったのだ。

あのガイジンの調子に乗った案内は何だったのだろうか?

富山駅に引き続き仙台駅でもガイジン案内人によるいい加減情報に翻弄された経験が増えた。

そういう経緯で「九重本舗玉澤の塩釜」を諦めた代わりに「松島こうれん」が手に入ったのだ。

「松島こうれん」は繊細な割れやすい煎餅なので軽いが嵩張る箱に入っているのだ。
それで実はその日は荷物の関係で嵩張る「松島こうれん」は買いたくなかったのだ。
鞄の余裕は「九重本舗玉澤の塩釜」1枚分しかなかった。
おりしもさっき仙台駄菓子の袋を買ってしまって鞄の領域を取られているのでもう限界だった。

「松島こうれん」の代金をレジで支払いさて鞄に入れようとしたが案の定入らない。
仕方なしにエコバックを出して本日の帰着地点まで別鞄として持ち歩くことになった。吾輩は本来鞄を複数個持つのが嫌いな人間なのだ。やれやれ。

文句ばかり言ってるようだがとりあえずは生まれて初めて「松島こうれん」を食べられるので嬉しい。

5.解体ショー

松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋
松島こうれん 紅蓮屋

5つの味が入っていた。

上白糖、和三盆、粉末還元麦芽糖、藻塩、沖縄黒糖。

ま、基本の上白糖以外は皆新参者だ。

美味しいかもしれないが、商品を売るために今風にアレンジした商品だ。

そしてそういう新しくアレンジした商品には、吾輩は基本的に興味がない。

吾輩はあくまで伝統的な「松島こうれん」を味わえればそれで良かった。

なら買う時に店員にそう言って選んで買えば良かったのではないかと思うだろう。
基本の煎餅だけの箱は枚数が多いやつしかなくて、嫌がらせのようなかなり大きな箱だったのだ。

この5種入りが一番小さいマシなやつだったのだ。

これも営業戦略なのかもしれない。
よそ者を扱う土産物屋というものはそういうものだ。

そもそも基本煎餅を1枚売りしていたらそれを買って列車の中で食べて荷物も増えずに終わりだったのだ。やれやれ。

で、家に持って帰ってきてその上白糖の基本煎餅を開けて食べたわけだが、ふわっと軽快な食感のほんのり甘く塩味も感じる煎餅は、子供の頃近所のお菓子屋で10円で買ったピンクや緑の色のついた軽い煎餅と同じような感じだった。

初めて食べる煎餅にもかかわらず懐かしい気分になった。

この煎餅は、食べる人に懐かしい気分を催させることによって売り続けている商品なのかもしれない。

ところがものの本によると、700年の歴史は伊達でなく、以下のような重々しい歴史があったのだ。

6.歴史

鎌倉時代後期に松島瑞巌寺近くに住んでいた掃部(かもん)という富豪と、秋田象潟(きさかた)の豪商森隼人(もりはやと)が西国三十三所観音巡りの道中で親しくなり道中共に旅をした。旅の終わりに福島県白川で別れるとき、このまま別れてしまうのが名残惜しく、いっそのことお互い親戚関係になろうと意見が一致し、掃部の息子小太郎と森隼人の娘谷(たに)との婚姻を親同士で決めてしまった。

(※余談)掃部(かもん)が嫁にカモ〜ン!と言ったわけだ。(笑うとこ。山田花子ネタ)

しかし、掃部がその後松島に戻ると小太郎はふとした病から亡くなっていた。夫婦は涙が涸れるまで泣いた。そもそも小太郎は長い間子宝に恵まれず観音様に毎日毎夜祈願を続け、やっとのことで授かった玉のような男の子だったのだ。

そうした不幸を知る由もない谷は、数年後、約束通り象潟から松島に嫁にやってきた。その綺麗に着飾った谷を見て、夫婦は谷と一緒にさらに涙を流した。

谷は涙に濡れた顔をあげ、義理の両親に、「親同士がお許し下さった2人の仲は見ることはできなかったにせよ、私は女夫(めおと)と思う。ご縁の薄いのは宿命とでも申しましょう。今日から命の終わるまで、ひたすら御仏に仕え奉りとう御座います」と言った。

やむを得ず谷の心任せにし、それから谷は舅姑によく仕え至れり尽くせりの孝養を捧げた。

しかしその数年後嫁姑は相次いで亡くなり、谷は世の無常を強く感じた。

逝ける人達のために冥福を祈るのが残された者のつとめとかたく信じ、剃髪して「紅蓮尼」と名を改め心月庵という庵を結び仏門に帰依した。

あるとき、軒端の梅の花盛りを見て夫の遺愛を憶(おも)い、

  植え置きし 花の主(あるじ)は はかなきに
  軒端の梅は 咲かずともあれ

と詠み、枝に結びつけたところ、次の年は花は咲かなかった。

紅蓮尼はその枝を眺め、おどろきにたえかねて、

  咲けかしな 今は主(あるじ)とながむべし
  軒端の梅の あらんかぎりは

と詠んで枝に結ぶと、翌春からもとのように花開き、芳ばしい香りを漂わした。

仏門入り後の紅蓮尼は、お供えの米を粉にして煎餅に焼いて人々に施した。その煎餅はいつしか「紅蓮せんべい」とよばれ誰もが松島土産に買い求めるようになった。

約700年後の現在も紅蓮尼は「日本女性の鑑」として老若男女のあこがれであり、松島への観光や瑞巌寺に参拝に来る人々の心月庵への参拝が絶えない。

(参照:「松島こうれん」に封入の説明書および『和菓子/郷土菓子百科』2023年丸善)

7.各地のこうれん煎餅

秋田、山形、北海道檜山南部地方では餅種生地の煎餅を「紅蓮煎餅」あるいは「こうれん」と呼んでいる。

紅蓮尼の出身地象潟など秋田県南地域ではよく見かける煎餅で、うるち米をふかして塩味を付け、コヌカか玉油(びんつけ油)で伸ばしたものを長方形に切って日光で乾燥させ火床で焼き上げたものだ。

(つまり紅蓮尼はもとから煎餅の作り方を知っていたから松島に行ってからもこうれんを作ることが出来たのだろう)

北海道江差地方の「こうれん」は5~6月頃に家庭で作る丸い干し餅で、お盆のお供えにした。この地方では今でも電子レンジで温めたり煎餅汁にしたりして食べる。

また檜山地方の「こうれん」は「上ノ国こうれん」や「追分こうれん」として町おこしのお菓子になっている。

(参照:『和菓子/郷土菓子百科』2023年丸善)

(おわり)

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