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熊谷五家宝訪問記(その2)五家寶 多祢仁(たねに) 熊谷市 和菓子なスクチャイ213 2026.01.23

和菓子なスクチャイ213 埼玉県 > 熊谷市 

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※くまの身長は7.5cm。大きさの参考に。


五家寶(その2) 多祢仁(たねに) 熊谷市

多祢仁の「五家寶」
多祢仁の「五家寶」

1.多祢仁(たねに)訪問2度目

多祢仁(たねに)は以前に記事にしてすでに食べてたいそう気に入っているが、今回は作業風景が垣間見られるかもしれないということでもう一度買うことも兼ねて再度訪れた。

先の記事の「堀内製菓」に立ち寄ってから、同じ道筋をさらに進んで左手に折れるとすぐそこが「多祢仁」だ。

一度来ているからすぐにわかったが、初めての時は周辺の民家に紛れていてお店とはわからなかったのだった。

2.多祢仁到着

堀内製菓」で小一時間費やしたので多祢仁に着いたのはほぼ10時だった。

お店は営業中で開いていたので戸を開けて挨拶しながら入った。

すると以前は何もなかった障子のような引き戸の下部のガラス張り部分から五家宝の製造作業を行っている人間の姿がチラチラと見えた。

すぐにご主人が出て来てくれて何度か電話をしていたことを覚えてくれていたが、なんせ今は作業中で手を止められないところと言って、すぐに戻って行った。

3.五家宝製造作業中

多祢仁「五家宝」製造作業
多祢仁「五家宝」製造作業
多祢仁「五家宝」製造作業
多祢仁「五家宝」製造作業
多祢仁「五家宝」製造作業
奥の金だらいで生地を捏ねるらしい

ご主人は障子の下部のガラスから覗いても撮影してもいいと言ってくれたので吾輩は遠慮なく覗かせていただき、また撮影もさせていただいた。

作業はご主人と後継ぎが決定しているという息子さんとの2人で行っていた。

さっき堀内製菓で見たのと同じような作業、すなわち五家宝の固まりを板を使って長く伸す作業をしているのだった。

堀内製菓と同様、作業場に入ったわけでなく限られた視界からの観察なので作業の全容はわからないが「伸す」作業は見ることができた。

もっとも他の作業は奥でやったり裏にある別の建物で行ったりするらしいので、いずれにしても外部の人間には作業を目の当たりにすることは不可能なのだ。

食品を扱っていることと、見せ物のために行っているのではないから当然のことだ。

吾輩は障子の下から覗くような形でも作業を垣間見れて満足した。

4.ご主人の話

しばらく吾輩ひとりで作業を見ていたのだが、作業がキリのいいところにきたのか、息子さんに作業をさせたままご主人が出てきてくれた。

開口一番「なんでそんなに遠くから作業を見に来たいの?」とのご下問をいただいた。これまで何度も電話をしてアポイントメントを試みていた理由が知りたいのはもっともなことだ。

まずは吾輩が五家宝を大変気に入っているので製造作業をぜひこの目で見たかったことと、全国各地のいろいろな伝統的な和菓子について調べて記録を取っているとのことの二つが大きな理由だと正直に述べた。

吾輩はこれまで何度か電話して作業を行う日に訪問できるかどうかを訊いていた。しかし、これまでのいずれ日も作業しない日であったり、反対に大量注文が入っていて作業時間が読めない日もあったりしていつも日時が合わなかったのだった。

その時の電話ではなぜ見たいのかという理由までは話していなかった。

そして今日は金曜日の午前中だったが、特にアポイントメントを取らずに単純に2度目の「多祢仁の五家宝」を買うために立ち寄ったのだった。

作業を見るのは二の次だった。

近くの堀内製菓まで来ていたこともあり、ともかく「多祢仁の五家宝」をもう一度買って食べたかったのだ。

ところが今日アポイントメントなしで来てみると運良く作業中だったのだ。

しかしそれだけ忙しいということなので邪魔をするわけにはいかないと肝に命じ、少しだけ話をさせていただいた。

娘さんの婿さんが大阪の河内出身ということや、徳島の本場の和三盆工場訪問した話や、ご主人が製菓学校時代に和三盆ときな粉の組み合わせでお菓子を作れないかと試した話など。

そもそも多祢仁の多祢は種(タネ)のことで、もともとは五家宝のタネを五家宝を製造するお菓子屋に納入するのが仕事で、当初は五家宝は作っていなかったという話など。

五家宝の命「タネ」左:加工前、右:加工後

五家宝のルーツは加須(かぞ)市のお不動さんの参道に3件ほどあった五家宝店が最初らしく、今はむさしやさんという1件だけが残っているという話など。

明治時代に熊谷まで鉄道が来てから熊谷の人口が増え経済活動の中心となったため五家宝の職人が加須から熊谷に移り住み、そこで五家宝を作り始めたため結果的に熊谷での五家宝の製造販売が増え五家宝の中心地のようになったとのことだ。

吾輩としてはその加須市のお不動様参道に1軒だけある五家宝屋さんが気になるのでそのうち訪問してみるつもりだ。

しかしながらここ熊谷から加須へ公共交通機関で直接行くのは秩父鉄道の羽生経由で東武伊勢崎線で行くか、一旦首都圏に出てから東武伊勢崎線で加須に至ることになるので、今日の今日の訪問は無理そうだ。また別の機会を作りたい。

ご多忙時にもかかわらず以上のような興味深い話をご主人から聞かせていただいたことは感謝しかなかった。

5.購入

多祢仁の「五家宝」
多祢仁の「五家宝」
多祢仁の「五家宝」

吾輩は青きな粉の袋入りと、前回大好物になった「ふとまき」を購入した。

普通サイズは1本当たり税込50円で、ふとまきは1本で税込500円だった。

6.ふとまき

この「ふとまき」は以前の記事にも書いたが、明治時代の五家宝の本来の大きさであった。

今多くある直径2cmほどの太さの五家宝ではなく、多祢仁の「ふとまき」は明治時代にあった同サイズとのことで直径は約4から4.5cmほどもある。

吾輩はどちらかというと「ふとまき」が好きなのだが、それをご主人に言うと「タネの方が好きな人は太巻きが好きのようですね」と言った。

ご主人解析によると吾輩は「五家宝のタネ好き」となるようで、確かにそれは当たっているような気がする。

吾輩はきな粉が好きなのは当然だが、五家宝の好きな点はやっぱりじわっと噛み締める中身のソフトな弾力で、そこに五家宝ならではの魅力を感じているのだ。

つまりご主人の分析通り吾輩は「タネ好き」なので「細巻き」よりは「ふとまき」が好きとなるのだろう。

これはつまり「明治時代の普通サイズ好き」と言うことになるので、吾輩の趣向は明治時代であり、理由はわからないがちょっと誇らしげな気分にもなったのだった。

さて、食べる話を含めて以前の記事と同様なので以前の記事も参照して欲しい。

以下は以前の記事には書かなかった多祢仁の記述である。

7.多祢仁

熊谷市の五家宝メーカーの中でも「多祢仁」は古き良き職人気質を守り続けている非常に貴重な老舗だ。

7.1.「多祢仁」の歴史と名前の由来

(以下は多祢仁公式サイトからの引用)
江戸の終わりころ初代市五郎によって、菓子種の製造販売の店として開業された。
二代目仁蔵の時、屋号を『たねに』として熊谷市内はもとより、近隣の市町村、東京、群馬県の
菓子店に、五家宝種や最中の皮を販売する様になった。
三代目友次郎の代は第二次世界大戦で、熊谷も空襲にあい大変苦しい時代が続いたそうだ。
四代目幹男の代より五家宝の製造を始め、現在の店主で五代目になる。
初代から五家宝に関わって150年、熊谷の地で今尚営業を続けている。

7.2.名前の由来

創業当時は五家宝の芯となる「菓子種」を作る「種屋(たねや)」を営んでいた。

長男さんと電話で話した時に聞いたことだが、多祢仁(たねに)は先代の名前からの語呂だが、漢字は当て字とのことだ。

7.3.職人魂

もともと「種の専門家」であったことが、後の多祢仁の五家宝の圧倒的なクオリティの源泉になっている。

7.4.「多祢仁」の五家宝の特徴

多祢仁の五家宝は「昔ながらのごまかしのない味」を追求するファンから絶大な支持を得ている。

7.5.芯(タネ)の質

元種屋としての誇りがあり、芯のあられ一粒一粒の「立ち」が素晴らしいのだ。

噛んだ時の軽快なリズムは、徹底した温度管理と乾燥工程の賜物なのだ。

7.6.絶品の「青きな粉(うぐいす)」

きな粉の元の大豆。左:黄色きな粉用、右:青きな粉用

たねにといえば、多くの人が真っ先に挙げるのがこの「青きな粉」だ。

希少な青大豆を使用しており、一般的な黄色いきな粉よりも香りが高く、豆の甘みが深く感じられる。

7.7.手作りの「むっちり」感

皮の部分(きな粉と水飴の練り合わせ)が非常にしなやかで、中の芯を優しく、かつしっかりと包み込んでいる。

手に持った時の少し「しなる」ような柔らかさは、熟練の職人が一本一本手で巻いている証だ。

7.8.「一本入魂」の姿勢

多祢仁は大々的な広告や全国展開をあまり好まず、あくまで地元の人々や「本当に好きな人」に届けるというスタンスを貫いている。

そのため他店に比べて「通好みの店」というイメージが強く、知る人ぞ知る存在なのだ。

7.9.包装の風情

吾輩も気に入っている包装

飾り気のない、しかし丁寧に包まれたパッケージからも実直な菓子作りの姿勢が伝わってくる。

お土産として贈ると「五家宝のイメージが変わった」と驚かれることも多い一品だ。

(熊谷五家宝・続く)

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