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「ボーッとしてる暇があったら、なにかしなさい」と、 私はずっと思っていた

「こんなこと、投稿していいの?」

先日の朝、
Facebookに投稿しようとして、
一瞬、手が止まりました。


予定を勘違いして、
ぽっかり空いた半日。

コーヒーを飲みながら、
窓辺に来た鳥の声を聞いて、
ただ、ボーッとしていた。

その時間が、
なんだか幸せで。

でも同時に、
頭の中で、
こんな声が聞こえたんです。

 
「ボーッとしてる暇があったら、 なにかしなさい」
「だからダメなんだよ」

 
……あぁ。
まだ、 こんな前提が、
こんなに深く残っていたんだ。
そう思いました。

 
私はずっと、

 頑張らなければ価値がない。
 動いていないとダメ。
 生産していないと意味がない。
 休んではいけない。
 
そんな前提で、
生きてきたんだと思います。
 
だから、
「余白を楽しむ」
ということに、
どこか罪悪感があった。

 
でも今、
私が尊敬している、
大成功しているIT起業家の方は、
前提がまるで逆なんです。
 
 ボーッとする。
 遊ぶ。
 散歩する。
 自然を見る。
 余白を持つ。
 感覚を整える。
 
それを、
【サボり】
ではなく、

「感度を整える時間」


として扱っている。
 
つまり、
【止まる=悪】
ではない。
 
むしろ、
「止まれないこと」
の方を、 危険だと見ている。
 
私は先日の、
Facebook投稿を通して、

【何もしない時間を許せない前提】


が、
まだ自分の中に残っていたことに、
気づきました。

 
でも同時に、
鳥の声を聞きながら、
コーヒーを飲み、
ボーッとしている時間を、

「幸せだなぁ」


と感じている私も、
ちゃんといたんです。

 
つまり今、 私の中で、

【苦しまなきゃ価値がない世界】

から、

「心地よさや余白からこそ、 人生は育つ世界」へ、

少しずつ、
前提が変わり始めているのかもしれません。


 
以前の私は、
こういう感覚を、
すぐ打ち消していました。
 
でも今は、

「私は本当はどう感じてる?」


を、 少しずつ
大切にできるようになってきています。
 
もしかしたら人生って、
何をするか以上に、

【どんな前提で世界を見るか】


で、 まったく違う景色に
なるのかもしれません。



 
「変わると叩かれる」
そんな前提の中で。

信じて疑うこともなかったけど、
自分の声だと思っていたのは、
思い込みだった。

 
でも、


エゴは、
私を苦しめたかったわけじゃない。

 
ただ、
傷つかないように。

必死に、
守ろうとしてくれていただけだった。

 

あぁ…

あの声は、
私を苦しめたかったんじゃなかった。

 

前回の記事です。



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