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第16話:「江戸社会を支えた思想―儒学」

陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感⑯

鎖国の内側で作られた秩序

■外を閉じた国家

島原の乱の後、  
徳川幕府は外との接続を強く制限していく。

ポルトガル船の来航は禁止され、  
海外渡航も禁じられた。

こうして日本は、  
いわゆる鎖国体制に入る。

だが鎖国とは、  
単に外国を拒絶する政策ではなかった。

それはむしろ、  
国内の秩序を安定させるための  
国家構造でもあった。

外との接続を制限することで、  
幕府は国内統治をより強く整えていく。

鎖国の時代とは、  
外を閉じた時代であると同時に、  
国内の秩序が作られていった時代でもあった。

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■徳川国家を支えた思想

その秩序を支えていた思想の一つが、  
儒学である。

儒学は中国で生まれた思想で、  
社会の秩序を重視する。

主君と家臣、  
親と子、  
年長者と年少者。

それぞれの立場を守ることで  
社会は安定すると考える。

徳川幕府が作った社会もまた、  
武士・農民・職人・商人という  
身分秩序によって成り立っていた。

儒学の思想は、  
この秩序を正当化する考え方として  
幕府の政治とよく適合していた。

もっとも、儒学もまた  
中国から伝わった外来思想である。

日本は決して  
外来文化を拒絶する国ではなかった。

むしろ歴史の中で、  
多くの外来文化を取り入れてきた国でもある。

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■宗教としての仏教

当時、人々の生活の中で  
大きな役割を持っていた宗教は  
仏教だった。

葬儀や供養は寺が担い、  
人々は寺に所属することで  
社会の一員として管理されていた。

いわゆる寺請制度である。

寺は宗教施設であると同時に、  
人々を把握する行政的な役割も持っていた。

こうして仏教は、  
江戸社会の日常の中に深く組み込まれていく。

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■排除されたキリスト教

しかし、すべての外来宗教が  
同じように受け入れられたわけではない。

キリスト教は事情が異なっていた。

宣教師の背後には、  
スペインやポルトガルといった  
海外の国家が存在していた。

幕府の視点から見れば、  
それは宗教の問題だけではない。

外交や軍事とも結びつく  
可能性を持つ存在だった。

さらにキリスト教は、  
神の前ではすべての人間が平等である  
という思想を持つ。

この考え方は、  
身分秩序を基盤とする徳川社会とは  
緊張関係を生むものでもあった。

こうして幕府は、  
外来思想の中でも

秩序に組み込めるものは受け入れ、  
秩序を揺るがす可能性を持つものは排除する

という選択をしていく。

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■なぜ江戸は長く続いたのか

徳川の国家が長く続いた理由は、  
武力だけではない。

むしろ重要だったのは、  
社会の構造そのものだった。

大名は参勤交代によって統制され、  
武士・農民・職人・商人という  
身分制度が固定される。

さらに儒学の思想によって、  
その秩序は  
「正しいもの」として社会に受け入れられていった。

つまり徳川の国家は、  
力だけでなく  
構造と思想によって支えられていた。

そのためこの体制は、  
二百年以上にわたって続くことになる。

鎖国の時代とは、  
単に外を閉じた時代ではない。

国内の秩序が  
完成していく時代でもあったのである。

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■前作

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