第15話:「なぜ日本は外を閉じたのか」
――陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感⑮
島原の乱と徳川国家の完成
■島原の乱は宗教反乱だったのか
島原の乱は、しばしば「キリシタンの反乱」と説明される。
確かに蜂起した農民の多くはキリスト教徒で、
天草四郎は信仰の象徴とされた。
だが直接の原因は、
信仰ではない。
重税と圧政だった。
領主の財政難により、
農民には過酷な年貢が課され、
生活は限界に達していた。
この乱はまず、
生きるための反乱だった。
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■だが幕府には別の意味を持った
農民が反乱したこと自体は、
幕府にとって珍しいことではない。
問題は、
その反乱をまとめた思想だった。
キリスト教は単なる宗教ではない。
海外とつながるネットワークでもある。
その思想が旗印となり、
統制外の連帯が生まれた。
ここで幕府は確信する。
外とつながる思想は、
国家秩序を揺らす可能性がある、と。
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■ここで外は「危険」に変わる
徳川の国家は、
武力ではなく構造で安定していた。
その構造にとって最も怖いのは、
外部と結びつく力だった。
海外接続は、
独自外交を生み、
別の価値観を持ち込み、
統治外の関係を作る。
島原の乱は、
それが現実に起きうることを示した。
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■決断が下された、家光の時代
この頃には、
徳川の秩序は完成していた。
参勤交代が整い、
身分制度が固定し、
国内統制が安定する。
この状態で外と接続すれば、
体制を揺らす要素が増えるだけになる。
戦国期には資源だった外部が、
平和期にはリスクに変わる。
こうして幕府は、
外を閉じる決断を下す。
ポルトガル追放、
海外渡航禁止、
入港制限。
鎖国体制はここで完成する。
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■締め
徳川の国家は、
外を閉じることで完成した。
だがどんな国家も、
外の世界を永遠に遮断することはできない。
やがてこの国は、
外から線を揺らされることになる。
黒船の来航である。
◽️次回
次回は江戸の思想についてです( ˙꒳˙ )エド
