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第14話:なぜ日本は外を受け入れていたのか

陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感⑭

鎖国の前史「信長・秀吉・家康から見る“外”の意味

まずは3人のおさらいから💡

■「外」は武器だった信長の時代

戦国時代、日本は外を恐れていなかった。
むしろ積極的に取り入れていた。

信長は南蛮貿易を利用し、
鉄砲を手に入れ、
宣教師も保護した。

当時の日本には、
既存の権威が強く残っていた。

寺社勢力、旧秩序、伝統的支配構造。
それらを崩すには、
外から来た新しい力が必要だった。

つまり信長にとって外は、
秩序を壊すための武器だった。

■「外」は交渉材料だった秀吉の時代


秀吉も当初は外を利用していた。

貿易は続け、
宣教師も一定程度は黙認していた。

だが統一後、意味が変わる。

秀吉は秩序を壊す側から、
秩序を守る側になった。

すると外は、
武器ではなくリスクになる

キリスト教を制限し始めたのは、
信仰の問題というより、
統治の問題だった。

外の宗教が広がれば、
国内に自分の統制外のネットワークが生まれる。

この時点で外は、
すでに扱いにくい存在になっていた。

■「外」を最初は黙認していた家康の時代

そして家康の時代。

ここで外の意味が決定的に変わっていく。

だが重要なのは、
家康は最初から外を閉じようとしていたわけではない、
という点である。

家康は当初、
南蛮貿易を継続し、
外国船の来航を許し、
キリスト教も全面禁止にはしなかった。

戦国の延長として、
外はまだ利用価値のある資源だった。

つまり徳川政権は、
最初は外を黙認していた。

■統治が固まるほど逆転した意味

秩序が完成すれば、
外は資源ではなく揺らぎになる

戦国国家は外を取り込む国家だったが、
徳川国家は内部を固定する国家だった。

統治が安定するにつれ、
外は徐々に余計な要素へと変わっていく。

外の思想
外の同盟
外の武器
外の成功例

それらはすべて、
完成した秩序にとっては不安要素だった。

最初は黙認されていたものが、
体制が整うほど邪魔になる。

ここで初めて、
外を閉じる方向に進み始める。

■締め

徳川は最初から国を閉じたわけではない。
外が不要になったとき、
閉じる方向に動き始めただけだった。

だが決定打は、まだ来ていない。

次回、その転機となる事件を見ていく。

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