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この『暗がりにて』は、かなり精度の高い「孤独の演出」をやっている作品です。



しかも特徴的なのは、
孤独そのものを直接書かない
こと。
代わりに作者は、
冷えたポテト
隣家の光
深夜の誤用分析
シフト表
文字数超過
みたいな、「周辺」を徹底的に描く。
つまりこの作品は、
感情を中心からではなく、周縁から照らしている。
かなり現代文学的な書き方です。
まず、この作品は「光」の小説
タイトルは『暗がりにて』。
しかし実際には、 作中には大量の「光」が存在している。
電気をつけない部屋
隣家の光
雪明かり

スマホ画面
イルミネーション
つまりこの作品は、
光があるからこそ暗さが際立つ
構造になっている。
特に重要なのが、 主人公自身の光が一度も描かれないこと。
彼は常に、
隣家の光
昔の人の蛍
雪の反射
スマホの液晶
といった、
「他人の光」「借り物の光」
によって照らされている。
ここが非常に重要。
主人公は、 自分自身の熱量で世界を照らせない。
だからこの作品全体には、
“自力で生き切れない若者”
の湿度が漂っている。
冒頭のポテト描写は、ほぼ自己紹介
仲違いしている芋と油の間をとりもとうと塩が困り果てた顔をしている
これは単なる比喩ではない。
完全に主人公自身の状態。
この作品の凄いところは、
感情説明を食べ物に転写している
点。
つまり、
芋と油の不和
無理にまとめようとする塩
は、そのまま、
理性
現実
感情
の分裂として読める。
しかも“塩が困り果てた顔”という表現が絶妙。
完全崩壊ではない。
まだ「取り持とう」としている。
つまり主人公は、 ギリギリ社会性を維持している段階なんです。
本当に壊れているなら、 こんなユーモアは出ない。
「蛍雪の功」の脱線は、防衛反応
この作品、 感傷に入りそうになるたび、 主人公が自分で壊す。
たとえば、
蛍雪の功、ならぬ隣家の光
という時点では、 かなりロマンチック。
しかしその直後、
蛍捕まえるの難しそう
雪は寒い
車胤という名前で笑う
と崩していく。
これは単なる脱線ではない。
感情への自己検閲
です。
主人公は、 感傷に浸りきることを恥じている。
だから知性や屁理屈を使って、 自分の情緒を中和する。
この「感情を言葉で解体する癖」が、 彼の孤独を強化している。
非常に現代的。
「暖簾に壁ドン」は、この作品の縮図
一見ギャグ。
でも実は、 この作品の認識構造そのもの。
主人公は、
暖簾が壁についていたら出入り口にならない
という、 どうでもいい論理に異様に執着する。
これは、
世界と言葉のズレ
に敏感すぎる人間の描写。
つまり彼は、
慣用句を慣用句として流せない
ノイズを無視できない
違和感を解剖してしまう
人間なんです。
だから文字を書きすぎる。
だから深夜に終われない。
だから「誰かを思い出すこと」から逃げられない。
この作品において、 知性は救いではなく、 むしろ孤独の増幅装置として働いている。
店長は、この作品唯一の「生活側の人間」
かなり重要。
店長だけが、

チキン
イルミネーション
といった、 極めて俗っぽい幸福を語る。
しかしそれが逆に切実。
主人公は、 概念や言葉の中に生きている。
対して店長は、
「誰かと飯を食う」
という、 身体性のある幸福を提示する。
だから店長は、 半ば本能的に気づいている。
「この子、危ないな」
と。
クリスマスシフトを埋めることより、
“若者がひとりでクリスマスを潰している”
ことの方に引っかかっている。
ここ、 かなり大人の視線。
「思い浮かべてしまった」が恐ろしく上手い
この一文。
明確に誰かの顔を思い浮かべてしまったことが僕はひたすらに哀しかった
極めて精密。
まず、 「誰か」を明示しない。
これによって、
元恋人
好きな人
もう戻れない相手
家族的存在
など、 読者側で補完が起きる。
しかし本当に巧いのは、
“相手を失った悲しみ”ではなく、 “まだ反応してしまう自分”
を悲しんでいる点。
つまり主人公は、
未練そのものより、 未練を断ち切れていない自己認識
に傷ついている。
これはかなり成熟した孤独。
6616字問題=「生きすぎた言葉」
指定2000字に対して6616字。
ここ、 創作者にはかなり刺さる。
主人公は、 世界を過剰に受け取ってしまう。
だから、
ポテト
暖簾

店長
全部に意味が発生してしまう。
結果、 言葉が膨張する。
しかし社会は、
「2000字程度で」
と言う。
つまり最後の文字削りは、
情緒のトリミング
なんです。
しかも、 それを「没収」と表現しているのが非常に痛い。
彼にとって言葉は、 単なる文章ではなく、 自分の感情そのものだから。
ラストの「隣家の光が消えた」
この終わり方はかなり美しい。
作品全体を通して、 主人公はずっと、
他人の生活の気配
によって夜を耐えている。
だから隣家の光は、
社会
他者
誰かの日常
の象徴。
しかし最後、 それが消える。
完全な孤立。
それでも、
終われそうにはなかった
となる。
つまり主人公は、
レポートにも
感情にも
孤独にも
まだ区切りをつけられない。
この「未完」の感覚が、 青春そのものになっている。
この作品の本質
この作品は、
“若さの孤独”
を書いている。
ただし、 激情型ではない。
むしろ、
冗談を言いながら
屁理屈をこねながら
ポテトを食いながら
バイトを入れながら
静かに摩耗していくタイプの孤独。
だからリアルなんです。
本当に孤独な人間は、 常に泣き叫んだりしない。
むしろ、
「暖簾に壁ドンって成立するか?」
みたいなことを考えながら、 朝を待っている。
この作品は、 その種類の孤独を、 極めて繊細に描いている。

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