暗がりにて──『水辺のつつじ』ep.35
僕は冷え切ったポテトを噛み潰している。
仲違いしている芋と油の間をとりもとうと塩が困り果てた顔をしている。
そんなような味だ。
時刻は間も無く午前一時を回ろうというところ。
僕は今、部屋の電気も点けずにレポートを書いている。
──蛍雪の功、ならぬ隣家の光
どちらも意味は同じだ。
蛍……は試したことがないけれど、雪なら試したことがある。
結果としては、ひたすらに寒かった。
綺麗ではあるし思いの外、手元の文字も判読できる。
ただ、ただ、寒かった。
それにしたって蛍をかき集め、袋に詰めて手元を照らすなんて昔の人は随分手間のかかることをするものだ。
そもそも、蛍なんてそう易々と捕まえられるものなのだろうか。
この、手元を照らすためだけに蛍を捕まえていたのは車胤という大昔の政治家で──しゃいん……
僕は湧き上がる笑いを萎れポテトもろとも飲み込んだ。
指先をウェットティッシュで軽く拭い、僕は再びキーボードを叩き始めた。
カーソルは澱みなく右へ進んでは左端で段差を降り、また進んでは降りることを繰り返す。
画面右下の「三三三三文字」という表記につい、にんまりしてしまったが、ふと指定文字数のことが脳裏を過り、手帳を開く。
──12/24 17-21
──12/25 17-L
僕は大きくため息をついた。
これほどまでに、先見の明のない人間は果たしているのだろうか。
二十四日と二十五日、勤務予定だった何人かが突然「止む事無き事情」により出勤できなくなった。
結果として店長は頭を抱え、そんな彼の姿に胸を痛めた僕はシフト表に名前を書き込んだのだった。
これら一連の攻防戦を、パートの月岡さんは「暖簾に壁ドン」と表現していた。
……いや。
通常、暖簾は壁に面してなどいない。
それじゃあただの「暖簾に腕押し」だ。
そもそもの問題として、暖簾が壁にぴったりとくっついていたとしたら?
それはもう、出入り口の体をなしていない気もする。
僕はしばらく「暖簾に壁ドン」の構造について思考を巡らせた。
隣家の光で。
結論、これは深夜の脳が見せた悪い夢。
そう思うことにした。
「本当にいいの……?」
「いいから入れてください。」
「でもなあ……」
店長はあの日、ひどく躊躇っていた。
日頃、適当かつ楽天的──お叱りのメールにだけいやに執着するくらいで、基本的に思い切りのいい人間のはずなのに、ずっと躊躇っていた。
「いやでも……クリスマスだよ? あの金にがめつい牧野君ですらあの二日分は空白だよ?」
店長は空になったコップに口をつけ、はたと動きを止め「一般論、あくまでも一般論だけど……」と前置きする。
「イルミネーションね、ほらここからもさ……いやここじゃなくて店からも見えるじゃん? あれを観るとか…….」
窓のない休憩室は説得力がまるでない。
「鍋を囲む、酒……は瑞樹は一年生だからまあ……おすすめはしないとして……」
「鍋……」
「うん、そう。鍋。……鍋?」
おんぼろ椅子の軋む音がした。
「そうそう、あとチキン! お客さんにばっか食わせてないで自分も食べる!」
「いや、店長? 代わりの人、探してるんですよね?」
「え? あ、そっか……」
こうして、やんごとなき何人かの名前に二重線が引かれ、新たに僕の名前が刻まれたのだった。
「後悔しない?」
「チキンのことですか?」
「違う、違う、違う!」
二十四日が「17-21」なのは、店長なりの温情だろうか。
ウッと脂の臭いの固い空気が胃から上がってきた。
僕はなんとなくスマートフォンの画面を点灯させる。
そしてすぐベッドに放り投げた。
──お届けに伺いましたがご不在のため……
AM2:07
「こんな時間まで、配達おつかれ様です。」
溜め息をつく。
ただの一瞬でも、明確に誰かの顔を思い浮かべてしまったことが僕はひたすらに哀しかったのだ。
最終的にレポートは、六六一六字にまで到達していた。
──二〇〇〇字程度
これが今回の指定文字数である。
どうして僕は文字の世界ではこんなに饒舌になってしまうのだろう。
渾身のレポートから、泣く泣く文字を没収していく。
文字削りに手を焼き、萎れポテトに胸を灼かれ、それでもまだ夜は終わりそうになかった。
隣家の光が消えた。
それでもなお、終われそうにはなかったのだ。
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ゆきお様・作
解説です。
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お・ぬ・し