246の果てなき頭突きーー『三三七拍子とパッパラパー』
よもぎさんに捧ぐ
夜の空は、半分だけ眠っていた。
月は白く、塔は灰色で、道はずっと続いている。
その道のわきで、男がツツジに頭突きをしていた。
コツン。
少し考えて、もう一回。
コツン。
ツツジは揺れる。
男はうなずく。
「いい音だ」
彼は満足そうに言った。
そのまま、三歩さがって、また頭突き。
コツン。
この男、最近までずっとバイトをしていた。
深夜の店で、蛍光灯の下で、レジを打ったり、モップをかけたり、冷蔵庫の温度を確認したりしていた。
世界はその間も回っていたが、彼の中では、何かがずっと止まっていた。
それが、今夜ちょっと動き始めた。
なぜか。
理由は単純だ。
明日から、彼は働く。
ちんどん屋として。
太鼓を叩きながら町を歩く。
ラッパを吹きながら店の宣伝をする。
派手な服を着て、音を鳴らして、通りを練り歩く。
つまり、音の仕事である。
男は考えた。
「音って、いいよな」
それで、三三七拍子を始めた。
パン、パン、パン。
パン、パン、パン。
パンパンパンパンパンパンパン。
夜の道に、軽いリズムが転がっていく。
そこは 。
車は走る。
トラックも走る。
タクシーも走る。
誰も彼を気にしない。
それが、ちょうどいい。
男は思った。
「この世界、みんな喋りすぎじゃないか?」
スマホを開けば、誰かが何かを言っている。
映画がどうだとか。
政治がどうだとか。
ラーメンがどうだとか。
みんな、すごく偉そうに言う。
でも、男は知っている。
「人は、言ったことより、やったことの方が残る」
昔、誰かがラップで言っていた。
リリックの中身は自分の分身。
どの口が何言うかが肝心。
男はその言葉が好きだった。
ラッパーというのは、自分の見たものをそのまま言葉にする人だ。
かっこよく言うなら、リアル。
悪く言うなら、言い逃げができない。
だって、すぐバレるからだ。
嘘は、音が濁る。
男はツツジを一輪摘んだ。
そして吸った。
ほんの少し、甘い。
それから花びらをかじる。
「うわ、えぐい」
顔をしかめる。
でも、うなずく。
「これだよ」
本物の味。
甘いだけじゃない。
苦いだけでもない。
変な味。
でも、ちゃんと生きている味。
男は思う。
この世界、今はきっと 一億総ラッパー時代なんだろう。
みんなマイクを持っている。
SNSという名前のマイク。
でも、本物のラッパーは、言葉だけじゃない。
歩き方も、顔も、昨日の行動も、全部がリリックになる。
「どの口が何言うか」
そこが大事なのだ。
男は塔を見上げた。
灰色で、やけに高い塔。
昔なら、見ただけでうんざりした。
でも今日は違う。
腕を広げてみる。
「飛べそうだ」
もちろん、本当に飛ばない。
でも、気持ちの話だ。
不幸だった人間が、少し元気になると、
人は空を飛べる気分になる。
男は三三七拍子を打つ。
パン、パン、パン。
パン、パン、パン。
パンパンパンパンパンパンパン。
すると、風が少し笑った気がした。
ツツジも揺れた。
男はまた頭突きをする。
コツン。
「よし」
それから言った。
「俺はラッパーじゃない、
パッパラパーだ」
少し考えてから、
「まあ似たようなもんか…」
明日から彼は町を歩く。
太鼓を叩く。
ラッパを吹く。
派手な格好で。
人に見られる。
笑われるかもしれない。
でも、それでいい。
だって、それは本物だからだ。
言葉だけじゃなく、体でやる仕事。
歩くリリック。
鳴るビート。
男は空を見た。
月はまだ白い。
塔はまだ高い。
道はまだ長い。
でも、怖くない。
怖いものは一つだけだ。
「この話が、つまらないと思われること」
それだけ。
だから男は最後にもう一度、ツツジに頭突きをした。
コツン。
そして三三七拍子。
パン、パン、パン。
パン、パン、パン。
パンパンパンパンパンパンパン。
もし夜の 246を歩いていて、
遠くでその音が聞こえたら。
少しだけ笑ってほしい。
その方が、この物語は少し良くなる。
そして、読んだ人がほんの少し元気になったなら。
それで十分だ。
ツツジに頭突きして回る男は、
今もどこかでリズムを打っている。
パン、パン、パン。
パン、パン、パン。
パンパンパンパンパンパンパン。
夜はまだ続く。
でも、リズムがあるなら、どこまでも歩いて行ける。
