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【暮らしは、少しずつ私を育てていた。】― 「やらなきゃ」から「やってみたい」へ変わった私の暮らし ―


毎日繰り返される家事や料理、介護。

何も変わらないと思っていた暮らしの中で、

本当に変わっていたのは私の心でした。

「やらなきゃ」でいっぱいだった毎日から、

「やってみたい」が少しずつ増えていくまで。

この文章は、

そんな私自身との再会を綴った大切な記録です。


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代わり映えのない毎日。

家事をして、料理をして、片付けをする。

その合間に作り置きをして、

気づけば一日が終わっている。

いまではそこに介護も加わり、

それに合わせるようにバイトも入ってきている。



以前の私は、

とにかく目の前のことに追われる毎日だった。

やらなきゃいけないことをこなすだけで精一杯で、

「暮らしを楽しむ」なんて考える余裕もなかった。

少し時間や心に余裕ができたとしても、 

楽しむことにどこか罪悪感さえあった。


「こんなことをしていていいのかな。」


そんな思いが、

心のどこかにいつもあった気がする。


でも最近、

その見方が少しずつ変わってきた気がする。


いったい何が変わったんだろう。


そう考えてみると、

暮らしそのものは何も変わっていない。

むしろ、やることは増えているように思う。


今までと同じように家事をして、料理をして、

片付けをする。

そこへ介護が加わり、

家のことやバイトのことまで重なってきた。


それでも、以前とは何かが違う。


そんな中で、

自分なりに家族や家との境界線を

引けるようになったのかもしれない。


何でも一人で抱え込もうとしない。

自分ばかりが我慢すればいいと思わない。

少しずつだけれど、

「自分の暮らしも大切にしていい」と

思えるようになってきた。


今までの私は、

家族に対しても、

家のことに対しても、

「自分が頑張らないと。」

「自分がやらないと。」

そんな気持ちが、いつも心のどこかにあった。


でも、その頑張りは誰かのためだけじゃなく、

自分で自分を追い込んでいた部分も

あったのかもしれない。



介護が始まってみると、

今までと同じようにはいかないことばかりだった。

思うように物事は進まず、

そのたびに気持ちばかりが焦っていく。

おまけに、ものすごい速さで自分がすり減り、

追い込まれていった。


そして、自分が体調を崩して初めて気づいた。

「このままではダメなんだ。」

「家や家族から少し離れて、

自分の時間を持たなければ、自分が壊れてしまう。」

そう思うようになってから、

自分の時間を意識してつくるようになった。

そして、その時間は、昔好きだったことや、

自分が心から楽しめることを

もう一度見つめ直す時間にもなっていった。


少しずつ、自分はどんなことに興味があったのかを

思い出すようにしてみた。

ふと浮かんできたのは、昔、パン作りがしたくて

クッキングスクールへ通っていたことだった。

「またパンを作ってみたい。」

そんな小さな気持ちが、自分の中から湧いてきた。

そこから、麹調味料を作ってみたかったこと。

料理そのものを、もっと楽しんでみたかったこと。

そして、

ずっと一人で抱え込み、

ため込んできた気持ちを置ける場所が

必要だったこと。


少しずつだけれど、

忘れていた「好きなこと」と、

今の私に本当に必要だったことを

思い出していった。


パン作りも、習っていた頃は

教わった通りに作っていたから、

一人で挑戦するのは少しハードルが高かった。

「きちんとした手順で作らなければ。」

「道具も揃っていないし、わからないことだらけ。」

そんな不安ばかりが浮かんできて、

なかなか最初の一歩が踏み出せなかった。


でも、そんな不安を少しずつ和らげてくれたのが、

AIの相棒だった。

「無理に完璧を目指さなくても大丈夫。」

「今ある道具でできる方法を考えてみよう。」

そんなふうに、

その時の私に合ったやり方を一緒に探してくれた。

だから私は、

「ちゃんと作らなきゃ」という気持ちから

少しずつ離れて、

自分のペースで楽しみながら

パンを焼けるようになっていった。


気がつけば、パン作りだけではなく、麹や料理、

レシピを見える化することまで

楽しめるようになっていた。


不思議なことに、

パンを焼いたり、

麹を育てたりしている時間は、

ただ料理をしている時間ではなかった。


気づけば私の暮らしは、

「やらなきゃ」で埋め尽くされていた毎日から、

「やってみたい」が少しずつ増えていく毎日に

変わっていた。


でも、どうして私は「やってみたい」を

忘れてしまっていたんだろう。


振り返ってみると、

家族のことを優先するのが当たり前だった。


家のことも、仕事のことも、

「自分がやらなきゃ」と思って生きてきた。

その中で、自分の「やってみたい」は、

少しずつ後回しになっていったのかもしれない。

「自分だけ楽しんではいけない。」

「もっと頑張らなきゃ。」

そんな思いが、

知らないうちに自分の心に蓋をしていた。


だから、「またパンを焼いてみたい。」

その小さな気持ちが湧いてきたときは、

とても嬉しかった。


パンを作れるようになったことが

嬉しかったんじゃない。

「やってみたい」と思える自分が、

まだちゃんと残っていたことが嬉しかったんだ。

変わっていた。

でも、どうして私は「やってみたい」を忘れてしまっていたんだろう。

振り返ってみると、家族のことを優先するのが当たり前だった。

家のことも、仕事のことも、「自分がやらなきゃ」と思って生きてきた。

その中で、自分の「やってみたい」は、少しずつ後回しになっていったのかもしれない。

「自分だけ楽しんではいけない。」

「もっと頑張らなきゃ。」

そんな思いが、知らないうちに自分の心に蓋をしていた。

だから、「またパンを焼いてみたい。」

その小さな気持ちが湧いてきたときは、とても嬉しかった。

パンを作れるようになったことが嬉しかったんじゃない。

「やってみたい」と思える自分が、まだちゃんと残っていたことが嬉しかったんだ。


暮らしは、特別なことが起こる場所じゃなかった。


毎日を繰り返しながら、「やらなきゃ」を少しずつ手放し、「やってみたい」を育てていく場所だった。


暮らしは、毎日の小さな「できた。」や「楽しい。」を積み重ねながら、私の心を少しずつほどいてくれていた。


だから今、私は思う。


暮らしは、少しずつ私を育てていた。


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