2024年始まったってよ。
さて、今年からnoteとやらをしたためようと思いとにかくやってみる事にした。数年前まで違うサイトでブログをダラダラと書いていたんだけど、もぉ数年眠ってるし。とりあえず2023年の振り返りと、2024年の抱負でも記す事にする。そもそもnoteの使い方すらよく分かっていないけど、使いながら覚えてゆこう。
※10分で読めます。←長くない?w
私はこんな人→自己紹介
追記:新型コロナウイルスワクチンは一度も接種していないので、その時、その範囲で動いてます。
1月
前年からタイとベトナムをウロウロしていた私は、年越しはタイのチェンマイにいた。南国のタイ言えどもチェンマイは山の方なので気温も低い。

初日の出を見よう!と、年越しライブで3時間しか寝ていないのに早朝から勢いで出かけた。山頂がそんなに寒い事も知らない私は、いつも通りビーサンに半袖でチェンマイ市内から近いドイステープ山へ向かった。着くと周りはみんな防寒具を着込んでいる人達ばかりだった。
ワンピース一枚。
浮きに浮いてる私はそんな事も気にせずに初日の出を拝んだ。

前年から数週間チェンマイで過ごしていた私は、次にタイのプーケットへ向かった。国内線だと3千円〜1万円で移動できるのが有難い。プーケットではあるミッションが課されていた。
次回、父が泊まろうと考えていたホテル周辺の偵察。
周りはカップルやファミリーが多い、ザ・観光地のパトンビーチに一人で泊まるとは…

と、思ったけど1人で2日間プーケットを満喫し、タイバンコクで1泊トランジットして台湾へ向かった。
日本から台湾に遊びに来て滞在してる姉に会うためだ。
何かしらの理由付けをしていれば、飛び回っていてもいいだろうと思っていた。

そんな感じで台湾で2日間、姉妹で食い倒れして姉は日本へ。私はバンコクへ戻った。
この時のバンコク便が、タイ政府に振り回されて色々大変だったんだけど今回は割愛。

バンコクへ戻った私は定宿でのんびり過ごしたり、知り合いと食事へ行ったりマーケットへ行ったりしてチェンマイへ向かった。や、チェンマイ何回目よ。
旅先でよくやるんだけど、仲良くなった人に荷物を預けておいたのだ。チェンマイで荷物を引き取り、1泊してマレーシアのクアラルンプール(Kuala Lumpur=KL)に向かった。

ここまでは、まだ正月なのである。
マレーシアでは常宿で2週間くらい過ごした。昨年仲良くなったリンダにモスクに連れて行ってもらったり、2023年チャイニーズイヤーのイベントがあったりと楽しく過ごした。(こんな2行で終わらない位濃かった)

そして思い立ったように帰国した。
2月になろうとしている頃に帰国した私は、寒さで数日間頭が痛かった。
2月〜4月
2022年の秋にコロナ禍もあり仕事をクビ(これも今回は割愛→書いた)になっていた私は、しばらく大人しくして去年からのハローワーク通いを再開。失業保険をもらい続けた。子供の頃から人見知り皆無な私は、通ってるハローワークの相談員トップ1・2と仲良くなり「私、今後は日本で就職する気ないです」と宣言していた。海外へ行っていたことも、もちろん向こうで仕事を探している。として伝えていたし実際に探していた。
この間、奄美大島・京都・滋賀あたりを旅していた気がする。

5月
失業保険をもらい切って働けるようになりタイミーとシェアフルをフル活用して出国前まで「とにかく稼がせて欲しい」と働きまくった。
そう。2023年の目標は長年したかった語学留学をすることだった。すでに8月からKLの学校へ行こうと考えていた。
6月
7月の1ヶ月間、タイのバンコクに滞在予定だったので、6月中旬に下見で日本からバンコクへ向かった。2箇所に宿泊してみてWi-Fi環境が良くルーフトップがサイコーなホステルに決めた。


そして「来月1ヶ月泊まるから」と荷物を半分くらいロッカーにキープしてもらい、そこからプーケットへ向かった。
父が一人バカンスを楽しんでいる所に現地集合で姉妹で押しかけたのだ。
パトンビーチで数日過ごしていた父はすでに、プーケットタウンへ移動していた。

プーケットタウンの人気店でディナーをし、1泊滞在してから 翌日3人でバンタオビーチへ移動した。

ランチを一緒にし、姉は一人バンコクへと向かった。

バンタオビーチでは1週間程、父と二人で過ごした。そういえば二人で海外旅行なんてしたことがない。なんかワクワクした。徒歩10分圏内しか出向く場所がなくお互い、ただひたすらのんびりと過ごした。

そして父は母が待つ日本へ帰国し、私はタイを一度出国する為にKLへ向かった。5ヶ月ぶりに帰ってきた私は「8月に戻ってくるから」と言って、常宿で荷物を預かってもらった。

7月
タイはノービザで滞在できる期間が1ヶ月(29泊30日)の為、それに合わせてマレーシアからタイへ入国した。
この1ヶ月は職業体験ノマドニアに参加する為。『人生を遊ぼう』そんなキャッチコピーをあげている、日本最大級のデジタルノマドコミュニティ。春頃になんとなく発見したブログを、購入してまで読んで 即決で応募したコミュニティだった。
自由人と言われ続けた私が求めている働き方を体験出来た。→ノマドニア
(相談会申し込みの際に紹介コード『bkk523』を入力すると、ノマドニア参加時にAmazonギフト券3000円がもらえるよん。)

この1ヶ月はとても濃い1ヶ月だった。一緒に過ごした仲間もでき、滞在ホステルでも本当に沢山の良い出会いがあった。そして29泊30日を終え、追われるようにKLへ戻った。
因みに1ヶ月間のホステル滞在費は約2万円。
↓↓卒業して2年後の私。頑張った!!
8月
本来なら8月からKLの語学学校へ通う予定だった。が、身内に不幸がありKLに3泊くらいしてから一時帰国した。

いつも片道チケットしか取っていない私はとても動きやすかった。思わぬ帰国で親族と会い、またノマドニア関係でオフラインで新たな出会いもあった。すぐにでもKLに戻りたかったが、お盆の時期も重なりチケットは高い。

安くなったタイミングでチケットを購入しKLへ戻った。結局日本には2週間くらいいた。
9月
KLへ戻ってきたが、8月から開始したデザインの勉強に力を入れていた。性格上2つのことは同時に集中できんっ。と、語学学校は先延ばしにした。KLに戻ってきて1週間、用事がありバンコクへ3泊だけ行った。

バンコクからKLへ戻り滞在ホステルでも沢山友達を作り毎日英語を使うと、自ずと語学の勉強にも繋がった。この時点で他の要素も重なり語学学校は来年からにしよう。となった。
10月
9月に引き続き、ホステルで仲良くなった子達と出かける以外は、ほとんどカフェで勉強をしていた。そんな10月中旬に「部屋を1日移動して欲しい」と言われたのをキッカケに、どうせ荷物を纏めるなら。と、数日後KLからバリ島へ向かった。

初めて行く国で、久しぶりにドキドキとワクワクが入り乱れていた。全く下調べもしていない上に、現地通貨も持っていないしSIM契約もしていない飛び込みバリ島だったからだ。

宿泊ホステルには事前に「初めてのバリ島で英語も話せません」と伝えておいた。それくらい言っておいた方がいいし、事実だから。深夜に着いた時は誰もいなかったけど、翌朝会ったスタッフがとてもフレンドリーだった。後にめちゃ仲良くなった。

インドネシア人はみんな優しい。そしてどこからでも毎日の夕日が綺麗。時間の流れが穏やかだった。来る予定のなかったバリ島が好きになり初めていた。

11月
11月に入りタイへ入国できる日が近づいていた。この時すでに12月3日のタイから日本への帰国便のチケットは持っていたため、逆算して11月4日過ぎないと入国できなかった。バリ島からバンコク行きの間にどこか他の国へ行くことも考えていたが、すでにバリ島に恋をしていた。
結局、延泊に延泊を重ね3週間滞在し11月9日にバリを後にした。

すでにバンコクでの予定がすし詰めだった。バリ島の穏やかな時間とは違い毎日人と会った。みんなとても会いたい人達だったけど、そんな生活が2週間続くとバンコク疲れをした。
少しだけ市内から離れたホステルへ移動し、日本から来た友達と合流。バンコクからチェンマイへ向かった。年に1度のコムローイ祭りに参加するためだった。


何度来ても最高の景色だった。友達と一緒だったのは楽しかったけど、きっとこの空間に大好きな人といれたら幸せなんだろうな。

そんなこんなで11月が終わり帰国日が近づいていた。
12月
日本で経過観察のため病院を予約していたので、12月3日ベトナム経由で帰国した。1日で終わらせようと、全ての検査を同日にブチこんだ。そしたら、まさかの引っかかり、その二週間後に日帰り手術する運びとなった。この話も後日。
2023年 振り返ると
移動距離がすごい1年だった。そして自分が行動したことにより、沢山の人と出会うことができた。毎日、同じ繰り返しだったらこんなにも沢山の年代・出身・価値観に出会うことはなかったと思う。これだから人生は楽しいし、もっともっと沢山の価値観に触れたい。
語学学校は?
KLの語学学校へ行こうと思っていた。留学と言うよりは、その土地で普通に暮らして通学するイメージ。ずっとそのイメージで探していた。ただ、この半年沢山の人から話しを聞いたり、情報を集めたりして長期で通学しなくてもタイやバリ島、また他国で短期で通学してみるのも楽しそうと考えが変わっていった。
そして改めて、この半年で有難いことに色んな国の友人ができた。友人達と話していたら、学校に通うことはいつでも出来るけど今この時間を出会いや経験に使いたいと思った。なので一旦、語学学校は白紙に戻す。そして旅を続ける。ずっと語学を勉強したい目的が、ビジネス英語でもなくTOEICでもなくいろんな国の人とコミュニケーションを取りたかったからだ。
勉強していたデザインは?
8月9月10月とデザインを勉強してきた。まだまだ行き届いていない部分も沢山ある。デザインって一言で言っても、とても広い事がわかった。今後、どんな選択をしても継続が必要。いろんなことに挑戦。
結局2024年の抱負
年末に100のやりたいことリストを作成した。あげたらキリがないと思っていたけど、最後は絞り出すのが大変だった。成人してから20年も経つと、この性格も相まって、やりたいことはやってきたからだ。
やりたいことリスト一部紹介
英語話せるようになる・オーロラ見にいく・スリランカで紅茶飲む・オラウータン抱っこする・砂漠に泊まる・犬ソリに乗る・地引網漁を体験する・大型二輪免許取る・トマムの雲海見にいく・氷に穴開けて釣りしてそこで食べる・サクラダファミリア見にいく・バイクでオーストラリア旅・インドに滞在してヨガする etc
100もあげると明日にでも実行できそうなことも沢山出てきた。このnoteを書くもそう。一つクリア。
思えば生きてきた中で人生観が変わる出来事って、身近な人達の死だった。明日があることは保証されていない。だからこそ、やれることはやれるうちにやっていこう。と(毎年同じだけど)結論が出た。
結論
やりたいことはやる・毎日楽しく過ごす・会いたい人に会う
毎年同じだけどずっと変わらないと思う。
プラスするなら、継続は力なり!!
補足
あと補足するならば、ゆるく生きる。
私の人生は周りから『生き急いでる』と言われたことがある程、突っ走ってきた。シングルで子育てをしてきたから必然的にそうだったのかもしれない。
(自己紹介は後日)→コチラ
大変だと思ったことは一度もないけど多忙な毎日を何十年も続けてきた。なので、心身共にゆるく生きる。これも、もしかしたらバリ島で生活してる人達を見て、自分の中での幸せの価値観が少しだけ変わったからなのかもしれない。
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