タンゲーラが伝えたかったこと
「今日ここで、私は皆さんにまずお礼をいいたいとおもいます。私たち、私の夫そして家族がずっとやってきたことを、こんなに暖かく受け入れてくださって、どうもありがとう」
これはシューウェイが覚えているエスター・プグリエーセの言葉です。
(タイトル写真: Esther Pugliese from Planet Tango)
シューウェイはリードもフォローもなんでもござれのベテラン・タンゲーラ。話は彼女がタンゴを始めた1990年代、留学先のアメリカでのことです。
「スタンフォードなんて、およそアルゼンチンタンゴと関係なさげじゃない? でも当時はすごい熱気で。大勢の人が、それも若い人が、エスターと息子のパブロからプグリエーセのタンゴを習いに集まったのよ」
ブロードウェイの『Tango Argentino』 が火をつけたタンゴ熱が飛び火した先は国の反対側、西海岸カリフォルニアの大学街スタンフォード。舞踏史の研究家で、スタンフォード大学でソシアルダンスも教えていたRichard Powers などの尽力もあり、1991年にスタンフォード・タンゴウィークと銘打ったイベントが始まり、数年にわたって著名な講師を招いたワークショップがおこなわれました。
講師の一人として招かれたエスターは、夫の「ミンゴ」ことエミリオ・プグリエーセとともにアルゼンチンでタンゴをプロもアマも含めて幅広く教えた大マエストラ。彼女がミンゴと出会ったのは13歳とも14歳ともいわれていて、以来二人はダンスパートナーとして、そして実生活のパートナーとして一緒に歩んできました。
プグリエーセといっても有名な作曲家でバンドリーダーのオスバルド・プグリエーセと血縁関係はなく、ミンゴは他の多くの若者と同じように街のミロンガで踊ってタンゴを身につけました。彼が最も影響を受けたと語っているタンゲーロスには 'Petroleo' こと Carlos Alberto Estévez と 'El Negro Lavandina' こと Salvador Sciana (この人はリーダーの見せ場のステップ、エンロスケの発案者)がいます。彼らは、ブエノスアイレス郊外のミロンガを拠点に庶民が踊ったタンゴ・オリジェーロを洗練する同時にダンスの分析もすすめました。ミンゴはその仕事をついで教え方の合理化もすすめ、都会の美学が光るタンゴをわかりやすく教えて、タンゴを習う人・踊る人に大きな影響を与えました。
なかでも有名なのは8カウント・モリネッテ(8CM)です。8CMは前のオチョ、サイドステップ、後ろのオチョ、サイドステップ……と円を描いて動いていくフォロワーの体と足の位置にあわせ、リーダーがサカーダを織り交ぜながら次々とポジションを変えていく華麗なシークエンスで(このビデオの 0:20 あたり)、ミンゴといえば8CM、というイメージをお持ちの方も多いと思います。
8CMは華麗というだけでなく、そのセグメントごとにいろいろな動きに展開していくことが可能で、その仕組みを知っていれば、即興的な要素も簡単にかつエレガントにつなげることができます。いいかえると、ミンゴとエスターは個々のステップではなく、ダンスシークエンスの展開のしかたを8CMを土台として生徒に教えたのです。
このシステマティックなアプローチは後続のタンゲーロスにも大きな影響を与えました。例えば、後にタンゴ・ヌエボを編み出した人たちも「僕らは8CMも研究したよ。それで(8CMに)ないものも取り入れたんだ」というようなことをいっています。
ミンゴとエスターが活動した60ー80年代のアルゼンチンは、タンゴの人気が低迷し軍政による弾圧もあった難しい時期だったという点も忘れるべきではないでしょう。そんな中でも彼らは、伝説のプラクティカ Cochabamba 444 や Caseros 通りの海軍博物館だった建物を改装した彼らのスタジオなど様々な場所で、プロだけでなく娯楽として踊る人たちにもタンゴを教え続け、タンゴを踊る伝統を途絶えさせなかったです。
1983年に民主制が戻ってきた後も、軍政が張ったネガティブ・キャンペーンのため、タンゴは古臭い、ミロンガはチンピラや麻薬中毒者の巣窟だ、といった負のイメージは残り、タンゴを教えるという仕事は、アルゼンチン国内では胡散臭く見られがちでした。そんななか、エスターは次の世代である息子のパブロとともにアメリカの、それも最高峰の教育機関であるスタンフォード大学に招かれたのです。そこで彼女たちからタンゴを習おうと集まった人々を前にしたとき、彼女の心の中にいろいろな思いが溢れたであろうことは、想像に難くありません。
「今と違ってエスターたちの時代は一旦ペアになったらずっと同じパートナー。彼女とミンゴは実生活でもパートナーだったから、いろんな意味で逃げ場がなかったと思う。それにエスターは舞台での栄光を追うパフォーマータイプじゃなかった。自分に当たる光がほとんどなくても、自分たちがやってることの価値を信じてずっと教えつづけて……。だから、私たちは本当に幸運だったのよ、エスターが来てくれて」
わかるよ、シューウェイ。エスターは自分が伝えたかったことを、ちゃんとあなた達に伝えていったんだね。
©2025, Rico Unno, CC BY-ND
