鍵盤の上の赤い花
「プグリエーセのこと書かなかったら片手落ちでしょう☝️」
あ、これはうっかりしていました! ご意見ごもっともです💦
(タイトルイメージ from La Nacion)
少し前にアルゼンチンタンゴと赤いバラのイメージについて書いたのですが、大事なのが一つ抜けていました。そのイメージはピアノの上に置かれた赤いバラもしくはカーネーション。偉大なるバンドマスター、作曲家でピア二ストのオスバルド・プグリエーセの不在を悲しみ、不当な弾圧に抗議する人たちの声なき声を象徴する花でした。
オスバルド・プグリエーセは1924年19歳でタンゴ史上に燦然と輝く名曲 『Recurendo (para mis amigos)』を作曲し、その後も数々の大ヒット曲を世に送り出しました。また曲だけでなく、ピアニストとして彼が率いるオルケスタの演奏も、多く人たちから熱狂的な支持を集めました。
人気ミュージシャンである一方、彼は時の権力を恐れず共産主義者として政治的発言を続けた人で、そのため、お世辞にも民主的とはいえなかった当時のアルゼンチンの政治権力によって、彼のオルケスタはラジオやコンサートでの演奏を禁じられたり、彼自身も何度も拘束されたりしました。1950年代には数か月間投獄され、その間、彼のオルケスタは演奏のたびに赤い花、バラかカーネーションをピアノの上に置いて、リーダーの不在の象徴(símbolo de ausencia)としたのです。
「プグリエーセは(軍政時代に誘拐され殺された人たちのように)消えてしまうには人気があり過ぎた」とかで、殺されはしなかったものの、その後もプグリエーセとアルゼンチンの政治権力の緊張状態は続きます。
また、共産主義の信念に基づき、オルケスタのミュージシャンたちを単なる雇われ音楽家ではなく、ともに演奏する同僚として尊重したプグリエーセの民主的な運営手法は、バンドリーダーとしても画期的なもので、ミュージシャンたちから強力な支持を得ました。その強さは「音楽家の守護聖人、聖プグリエーセのお守り」が半ば冗談・半ば本気で流通したことからもわかります。「(人の言葉や音楽に)傾ける耳を持たない人々から私たちをお守りください……」と始まるお祈りの言葉まで書かれた「お札」にもしっかり赤い花が。


小柄な痩せた体、きちんとしたスーツに大きな眼鏡。どこか飄々とした表情の彼のイメージは、暴力と恐怖で人々を支配しようとした軍事政権の対極にあります。様々なデザインのお札のほかにも、「プグリエーセ、プグリエーセ、プグリエーセ!」と3回唱えると災難を避けることができる、というおまじないまで生まれました。
ポルテーニョたちの信仰に近い敬愛の源には数々の名曲・名演奏だけでなく、彼の自由で柔軟な精神のあり方、生き方がありました。以下は 名曲 『La Yumba』にまつわるエピソードを語るマエストロの言葉、Michael Lavocah の本からの引用です。
「……1930年頃、私たち(バンド)とよくつるんでいた若い黒人のピアニストがいたんだ。彼はね、耳コピでどんな曲もダンスホールで弾いちゃうんだ。素晴らしかったよ。私たちは彼が大好きだった。よく一緒に鍵盤に4本の手を置いて演奏したもんだよ! ブエノスアイレスの黒人の多くが生まれたキ・コンゴ地区では、『yumba』は『踊る』という意味だったんだ。カンドンベのミュージシャンやダンサーたちは、『Oyeye yumba!(歌え!踊れ!)』って、大きな声で合いの手を入れたんだよ……」
音楽と音楽家たちに常に耳と心を開いていたマエストロ・プグリエーセ。今宵はタンゴを自由に楽しめる幸せをかみしめつつ、『La Yumba』がかかるのを待つことにしましょうか🌹
©2025 Rico Unno, CC BY-ND
