踊る悪党
そろそろ20世紀も始まろうかという頃のブエノスアイレス、たばこ工場で働く Antonio Bianquet は、息子の素行の悪さを嘆いて「うちの息子はとんだ悪党だ!」これが偉大なダンサーとしてタンゴ史に名をのこす Ovidio José Bianquet の生涯のあだ名 カシャファス(El Cachafaz)になりました。
(タイトルイメージ from Wikipedia)
悪党、悪たれ、極道ものを意味するあだ名にたがわず、若いころのカシャファスは清濁入り混じるブエノスアイレスの通りをうろつき、喧嘩沙汰も絶えませんでした。そんな生活の一部として、下町で絶大な人気のあったタンゴは常に彼とともにあり、子供のころ靴磨きをしながらストリートで身につけたステップをあちこちのミロンガで踊って磨き上げた彼のダンススタイルは、鋭いけれど音楽的で、姿勢がよく、上流で好まれたサロンスタイルに通じるエレガンスもあり、たくさんの踊る男たちの中でも際立っていました。
当時は上手いダンサーの間でダンスバトルが行われることも多く、彼も大小さまざまなバトルを通してその名をあげていきました。記録に残る彼の最初のバトルは21歳のころ(1906年)当時第一人者とされていたガエタ(Gaeta)とのもので、場所はブエノスアイレス近郊ロサリオのマダム・サフォ―の家。優美な建物の高級売春宿で、階下のダンスホールでは売春婦たちと踊ることができ、ダンスだけなら無料だったことから、ホールはいつもたくさんの男たち、それも中・上流の男たちでにぎわっていました。彼らと踊る女たちにダンスを教えていたガエタは、教師としても尊敬されていました。そんな「紳士たちの社交場」で余興として企画されたガエタとカシャファスのバトルでは、タンゴ、バルス・クリオージョ(アルゼンチン風ワルツ)、ミロンガ(タンゴの近縁音楽)が踊られ、タンゴとミロンガでガエタにまさる観衆の評価をえたカシャファスがその日の勝者ということになり、'El Cachafaz' の名は下町だけでなく上流社会にも知られるようになります。
背が高く、冷たい青い眼で、子供の頃かかった天然痘のせいであばたが散った頬、笑顔はめったにみせず、ミロンガに一人でふらりと現れてはそこの踊り子たちからパートナーを選んで踊るのを好んだカシャファスは、ミロンゲーラたちからはあこがれと同時に恐れもされたようで、彼のカベセオを受けた女性の中には震えあがって気を失った人もいたとか。しかし、伝説によれば、彼は右腕で彼女たちを近くに抱き寄せて踊ったけれど、彼女らの動きが妨げられるようなことはなく、どんなに難しいステップであっても、彼と踊るとウソのように簡単にできたのだそうです。また、今も残るカシャファスのイメージに左手を高く掲げたものが多いのは、手でリードするとパートナーのバランスを崩すから、この手は添えるだけで使わないんだ、という意味なんだとか。

ダブルのジャケット、グレーに黒の縞のズボンに白いスカーフ、まるでタンゴショーから抜け出たミロンゲーロのような……って、タンゴショーの方が彼のイメージを借りてるんだから逆ですね😅。
人気の絶頂期にはフランシスコ・カナロなど人気楽団と組んでツアーをしたり、ニューヨークやパリなどの劇場から招聘されるなど、世界中あちこちで踊って教えたカシャファスですが、あれこれマナーのうるさい外国暮らしは肌に合わない、と結局はブエノスアイレスにもどってきます。ブエノスアイレスでは オリンポ劇場のオーナーと組んでタンゴ専門のダンスホールとタンゴスクールを設立、一時は大成功を収めましたが、宵越しの金を持たないタイプだったカシャファスには事業を安定させることはできず、またビジネスにあまり興味もなかったようで、個人のダンサー・教師として生きる道を選びます。そして1942年、マル・デル・プラタでのダンス公演の後倒れた彼は、57歳で亡くなりました。
近所の悪たれ長じて世界的ダンスヒーロー、飼いならされない任侠さを持つミロンゲーロ、そして人生最後の日までタンゴを踊った生粋のタンゲーロ。Don Benito(カシャファスの尊敬をこめた愛称)の人生は、光も影も、そのすべてがポルテーニョの美学にピッタリで、今も「タンゴ的」世界を象徴するアイドルであり続けています。
タンゴ史的にを考えると、カシャファスが活躍したころは、下町風と上流のダンススタイルが融合しつつあった頃で、また、音楽の方もバンドネオンが定着し、複雑な感情表現の曲も作られるようになって、カルロス・ガルデルをはじめ、歌手、タンゴ楽団にもスターが輩出していました。カシャファスのダンススタイルは生涯にわたって変化し続けたそうですが、長身を生かしたクリーンなライン、下町風の鋭い 'cortes y quebradas' に加えて「新しい楽器」だったバンドネオンのメランコリックな音色をダンスにも反映させるなど、彼の踊り方はあらゆる階層のタンゲーロスたちに大きな影響を与えたことから、現在踊られているアルゼンチンタンゴの原型の一つといえるのだそうです。
嬉しいことに、カシャファスのダンスは今でも映像でみることができます。というのは、彼はサイレントからトーキーへと移りつつあった時期の映画に何本か出演していて、今でもその映像が残っているためです。下のビデオはその一つでパートナーはカルメンシータ・カルデロン(Carmencita Calderón)。二人の間の深い信頼関係が感じられる渋いダンスですね~💕
余談ですがこの映画『¡Tango!』はアルゼンチン初のトーキー映画だったこともあって、当時のスターが目白押しに出ています。例えば、大バンドマスターのフアン・ダリエンソが踊る人たちの後ろで何気にバイオリンを弾いていたり😮。
カシャファスは1885年2月14日生まれ。彼の生誕140周年を祝って、今年のバレンタイン・ミロンガはロマンティックなアブラソ・ミロンゲーロで踊る、なんていかがでしょう?
©2025 Rico Unno, CC BY-ND
