面接対策は食卓から始まった①——我が子の難関校受験と、私のキャリアが一本の線になった日
夕食後の食卓。
湯気の消えた茶碗が、テーブルに残っている。
ふたり分の食器を流しへ運び、もう一度椅子を引く。息子が使い古した「ジャポニカ学習帳」を開き、あらかじめお題を書いておいたページを広げる。
時計を見ると、19時を少し過ぎたころ。テレビは消してあった。
「じゃあ、今日も始めようか」
私は息子に問いかけた。
「あなたは、どんな大人になりたいと思いますか?」
息子は少し間を置いてから、こう答えた。
「思いやり……かな」
「なぜ、そう思うの?」
息子が高校受験を控えていた、あの冬。
食卓を囲むふたりの、静かなやり取りだった。
あれから、ほぼ10年が経った。
そろばん少年だった息子は大学の商学部へ進学し、今は社会人3年目。都内の金融機関で、元気に働いている。
あの食卓の時間が、彼の中の何かをつくったのではないか。
そして同時に、後にキャリア支援の仕事に就く私自身の原点にもなっていたのではないか。
何度も自分の経験を棚卸しし、古いノートを振り返った今、ようやく点と点が一本の線につながり始めている。
第1章 偏差値では測れない入試
息子が目指したのは、MARCH系列の大学附属校だった。
「高大連携が整った環境で学ばせたい」
大学受験という競争に消耗させるより、じっくり自分のペースで育ってほしい。そう考えて選んだ進路だった。
正直に言うと、それは親の願望でもあったかもしれない。
それでも当時は、その選択が息子にとって最善だと信じ、私のパート代も空いている時間も、すべて彼の受験に注いだ。
大手の進学塾に通わせ、毎週末は模試。英語、数学、国語の点数は着実に上がった。
「量稽古」の効果は、確かにあった。
けれど、一つだけ、塾のカリキュラムに載っていないものがあった。
面接対策だ。
その学校の推薦入試には、筆記試験に加えて、教員と向き合い、自分の考えを述べる時間があった。
問われるのは、正解のある知識ではない。
「幸せであるために必要なものは何か」
「結果と過程では、どちらが大切か」
その場で出されたテーマについて3〜4分で考え、約2分で話す。答えそのものより、どう考え、どう言葉にするかが問われる試験だった。
当時、息子が通っていた進学塾では、面接対策はサポートの対象外だった。室長から簡単な助言はいただいたものの、それだけで本番に臨ませるには心もとなかった。
家庭内でパートナーの助けを借りられる状況でもなく、正直、途方に暮れた。それでも、息子のために、そして自分自身のために、やるしかないと思った。
さて、これからどうしたものか。
第2章 遠回りしてきた母に、できること
当時の私は、パートタイムで働いていた。
内情を正直に書くと、離婚を見据えていた時期でもあった。
ワンオペに近い状態で育児と仕事を掛け持ちしながらも、息子の前では「普通」でいようとしていた。
けれど、一つ確かな気持ちがあった。
この子に、自分の足で立つための力を渡したい。
何度も転職を重ねてきた私には、面接で本当に問われるものが、人より少しだけリアルに見えていた気がする。
面接でどれだけ立派なことを言っても、それが自分の体験から出た言葉でなければ、深く聞かれた瞬間に答えられなくなる。
息子には、模範解答を覚えさせるより、自分の頭で考え、自分の言葉で話せる人になってほしかった。
私は完璧な親ではなかった。
今も、そう思う。
けれど、この一点だけは本気で向き合おうと決めた。
私は、息子の伴走者になろう。
これから不便な思いをさせてしまうかもしれない。
身勝手な母に付き合わせる息子への、せめてもの償いとして。
できることは何でもしようと、心に誓った。
第3章 正解のない問いと、一冊のノート
面接対策については、まったくの素人だった。
とはいえ、何もしないまま息子を本番へ送り出すことなど、到底できない。いてもたってもいられず、試験前の1週間、夕食後にふたりで面接練習をすることにした。
テーマは、過去問やネットニュースから拾い、自分なりにアレンジした。
1日に2〜3題ずつ。
振り返ると、まるで「マンツーマン面接対策・全12回集中講座」のようだった。
たとえば、2日目のお題。
「あなたは、お金持ちになりたいと思いますか」
息子は、最初に「思う」と即答した。
理由を聞くと、少し困った顔をして、
「お金がなくては、何もできないから」
と答えた。
いくら性格が良くても、志があっても、能力に恵まれていても、お金がなければ、それを生かせない。
そこまでは、すらすら言えた。
けれど、「じゃあ、マザー・テレサはお金持ちではなかったけれど、何もできなかったの?」
と聞くと、今度は黙り込んだ。
「主張」と、それを支える「根拠」をうまく話せない。
これまで学校で習ったこともないのだから、無理もない。
あと1週間で間に合うだろうか。
不安がよぎった。
◇
当時のノートには、こんなメモが残っている。
・裕福ならもっと多くの人を助けられたはず、の展開はOK。
・(持ち時間)45秒余り→あと20から15秒
・内容は80点。
さながら面接官のフィードバックのような書き込みを見つけ、自分でも驚いてしまった。
回数を重ねるごとに、息子は少しずつ流暢に話せるようになった。
面接試験に正解はない。
けれど、伝え方には磨く余地がある。
こうして少しずつ、「結論から話す」型が身についていった。
後から知った言葉で言えば、PREP法に近い。
当時は名前も知らず、ただ、
「なぜ、そう思うの?」
「たとえば、どんなこと?」
と問い返していただけだった。
ノートには、息子が話した言葉を、私が走り書きで残していた。
うまく言えずに黙り込んだ夜も、急に目を輝かせて話し始めた夜も。
15歳だった彼の、不器用ながらもまっすぐな言葉が、今もそこに残っている。


走り書きばかりのノートだが、今も大切に手元に残している。
この時間は、不思議と受験の緊張感から切り離されていた。
点数を競うのでも、正解を覚えるのでもない。
ただ、親子で一緒に考える時間だった。
面接対策のために始めた時間は、いつの間にか、息子という人間を知る時間になっていた。
私にとって、最愛の息子と過ごした、かけがえのない時間だった。
第4章 10年後、点と点がつながった
息子は、無事に第一志望の学校から合格をいただいた。
合格がわかった日、息子は泣かなかった。
ただ、「やった」と小さくつぶやき、私の顔を見た。
あのときの表情を、私は今も、うまく言葉にできない。
練習の最後に、息子へこんなメッセージを残した。
今まで本当によく頑張ったね。
ここまで立派なスピーチができるようになって、母はとても嬉しいです(^^)
・流れはほぼOK
・余裕ある時は、後半のボリューム多めで
もし、変化球が来たら、落ち着いていつものルーティンでもしてね。
受験が終わってもずっとずっと応援しているよ!
母より

あれから、約10年が経った。
2019年、私は国家資格キャリアコンサルタントを取得し、若者の進路選択や就職活動を支援する仕事に就いた。
大学入試でも就職活動でも、「自分の言葉」で伝える力が問われている。10年前、私たち親子が食卓で繰り返していたのは、まさにその練習だった。
当時は専門知識などなく、遠回りしてきた自分の経験と勘だけを頼りに、手探りで続けていた。
ある日の深夜、これまでを振り返るうちに、息子と向き合った時間と今の仕事が、私の中で一本の線につながったことに気づいたとき、
どうしても感情を抑えることができなかった。
遠回りをしてきた親だからこそ、子どもに渡せるものがある。
それは、出来上がった地図ではなく、迷ったときに自分で道を選ぶための「地図の読み方」なのだと思う。
その話は、もう少し先で。
※この記事は、「note創作大賞2026」応募作品です。
連載「面接対策は食卓から始まった」第1回。
後編はこちら▽
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