ネガから始まるプロローグ──27歳
ワーキングホリデーでオーストラリアに渡ったのは、27歳の頃。
当時の私は東京に住み、服飾雑貨の企画デザインの仕事をしていた。
アパレル量販店チェーン向けに、帽子やカバン、ベルトといった商品のデザイン仕様書を作成。
海外工場にサンプルを依頼したり、年に数回の社内展示会に向けて商品サンプルを準備するのも役割だった。
営業に同行してバイヤーと話し、どんな商品が現場で求められているかを聞き取り、それを展示会用の新作に反映させる。
都内のアパレルショップに市場調査に出かけて、「これいいな」と心ときめいた商品を買ってきて、それを原型にして新しい商品のデザイン画を起こす。
膨大な海外工場の生地サンプルから「これだ」と思える生地を選び、イラストレーターでロゴやプリントを作成して仕様書に落とし込む。
元DTPオペレーターとして印刷物を作っていた経歴から、イラストレーターやフォトショップは手足のように使いこなせた。
自分の“こうしたい”を詰め込んだ夢の仕様書を中国、ベトナム、日本などの工場にサンプル依頼すると、商品サンプルとなって戻ってくる。
自分の書いたデザイン画が立体的な形になって目の前に現れる瞬間は、何度味わっても心が踊るし楽しくて仕方がなかった。
量販店の販売データを読み込みながら、
「どんな色展開にすれば売れるか」
「どんな素材に変えれば数字が伸びるか」
鉄板の組み合わせは体感的にすぐわかった。
データの裏付けをベースに、目新しいデザインへ“売れるスパイス”を散りばめる。
そうして完成させるのは、遊び心も実用性も兼ね備えた、ちょうどいい塩梅の商品だった。
まあ、自分で言うのもなんだけど、
“売れるけど目新しい”──そんな商品は、結構つくれていたと思う。
それでも、職場の人間関係はうまくいかなかった。
会議では先輩男性営業社員たちが「若い人が意見を言わないから云々…」
などと言うからそれを間に受けて率直に意見を述べると叩かれる
本音と建前ってこの事だろう。
意見を言って良いと言うのは、彼らの“常識”の範囲からはみ出ない程度の可愛らしい意見に限って言うことが許されているのだ。
幅を利かせてる人達のキャパを超えた意見は脅威に映るのか封じ込めを喰らう。
要するに「言っていい意見」と「言ったらいけない意見」があらかじめ決まっていた。
そもそも女性や子供の使う商品を作るのに、幅を利かせているのが男性営業社員──ナンセンスすぎる。
仕事が面白いだけに、人間関係が嫌で辞めざるを得なかったのは、本当に惜しい職場だった。
そして今振り返れば、社会の構造に馴染めない自分は、この時からすでにそうだったのだと思う。
お客さんであるバイヤーさんと直接やりとりして、現場の声を形にしていく過程は充実していたし、喜ばれている手応えもあった。
私は、真面目すぎて「嫌だから辞める」という選択肢をすぐには持てず、
当たり前に学校に通ってきた人生の延長で、仕事もそう簡単に辞められるものじゃないと心の中でストッパーが働いていた。
住んでいたのは会社の近所にあった東京、秋葉原のシェアハウス。
向かいの部屋にはアメリカ人の黒人男性。
リビングでは毎日のように住人たちと顔を合わせた。
今から20年前にシェアハウスに住む日本人といえば、海外経験が豊富な人たちばかり。
一方で私は、当時の実家だった東京都小金井市近くの外国人ゲストハウスで「住み込み掃除人」をした経験はあるものの、海外生活はゼロだった。
秋葉原のシェアハウスでも同じく住み込み掃除人として家賃を大幅に値引きしてもらい、そこに住んでいた。
そんな私が「仕事が嫌だ」とぼやいていたら、住人のひとりが声をかけてきた。
住人A「ワーホリ行ってきたら?」
私「え、でもそんな簡単にいけるの?」
住人A「うん。簡単に行けるよ。どこに行く?」
私「寒いとこは嫌だな」
住人A「じゃあカナダはダメだな。イギリスは結構難易度高いし。AUSなら今すぐ簡単にビザも取れるよ。寒くないし(笑)…ビザ取ってあげようか?」
私「そうなの?…じゃ、AUSでお願いしようかな」
英語が堪能なその子は、リビングの共用パソコンを開いて、勢いのままオーストラリアのワーホリビザを、その場でいとも簡単に取ってしまった。
気づけば入国期限つきの“一年ぽっきり”のビザを手にしていた。
その瞬間、心の中でずっと働いていたストッパーが外れた。
嫌だった仕事を辞めた。
成り行きで決めた場所に
成り行きでとったビザで行くんだから
「夢を追う」なんていう 立派な理由じゃない。
でも、それっぽい理由で辞められたおかげで、息苦しい毎日とサヨナラできた。
そして未知への旅立ちに気を取られているうちに、あれほど重く感じていた仕事は、
何事もなく ただ静かに
過去になってくれたのだった。
つづく
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