”ものづくり”【余談ながら】「技術営業という両刃の剣」(その2)ー 技術営業という職種 ー
私が「技術営業」という職種を知ったのは、三十歳でマリン商社へ入ってからである。
その会社は、業界ではよく知られた存在で、すでに昭和五十年代には世界各地の港にネットワークを築いていた。
扱うのは、船の運航に必要なあらゆる物資――食料から機器、燃料、索具まで。要するに、「非合法でない限り何でも扱う」会社であった。
当時、神戸港にはコンテナ船が急速に増え始めていた。それに伴い、コンテナを固定する金物の損傷や補充の需要が急増していた。
この分野に目をつけた人がいた。
海外製品を参考にしながら、国内で代替品を製作したのである。いわゆるコピー品から始まったビジネスだった。
しかし、商売が広がるにつれて海外メーカーの目も厳しくなり、やがて自社開発へと舵を切ることになる。
その流れの中で、私は採用された。
中型コンテナ船の建造に関わってきた経験を買われての中途入社であった。
振り返れば、当時の商社は過酷な環境だった。月の残業は百五十時間を超え、国内外を問わず出張が続く。今なら到底許されない働き方である。それでも、仕事は面白かった。
まず関連する規則を叩き込み、次に金物そのものの設計を行い、さらに積付けシステム全体を設計する。そこにPCとCADを持ち込み、実務に落とし込む。
私は造船所時代に初期のプログラミングを学び、コンテナ船の構造も理解していた。英語も、この頃が一番使えていたと思う。
つまり、二十代にいた会社で身につけたすべてが、ここで一気に繋がった。システムを組み、金物を設計し、船級の承認を取り、製造・検査・納品までを一貫して回す。
その結果、新造船だけで年間十数隻、修理や追加案件は数え切れないほどに広がり、部門の事業規模は年商数億に達した。もちろん、それは組織あっての成果である。
ただ一つ確かなのは、ここで私は「技術営業」という仕事の本質に触れたということだ。
それは、単に物を売る仕事ではない。技術と現場、そして顧客の要求をつなぎ、形にして届ける仕事である。
私の道は、ここから始まった。
(つづく)
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