医師の思考回路 ~医学の勝利と敗北~
1.医師の思考回路=OS
患者さんが発熱する。
看護師さんは額に手を当て、体温計で熱を測り、
「大変ですね、氷枕を持ってきますね」
と言ってくれるかもしれない。
「ご飯は食べられますか」
と聞いてくれるかもしれない。
では、医師はどうか。
もちろん、熱があるその人を見て、
つらいだろうな、早く下がるといいな、
と思わないわけではない。
けれど、その奥では別の回路が動きはじめている。
熱の原因は何か。
そして、その原因を突き止め、取り除く。
それが自分の役割だと、ほとんど反射のように考える。
思考回路が、ウィーンと音を立てて回りはじめる。
そう訓練されているのだ。かなり徹底的に。
感染症だろうか。
癌や膠原病の可能性は低いか。
感染症だとしたら、フォーカスはどこか。
コロナやインフルエンザは周囲で流行していないか。
熱以外の症状はないか。
咳や痰があれば呼吸器か。
腹痛があれば腹の中か。
尿の症状があれば尿路か。
そうやって情報を拾い集め、あたりをつけていく。
患者さんから話を聞き、身体を診て、必要な検査を出す。
原因探索と治療への道筋がうまく進まないと、医師が苛立つことがある。
それもまた、この思考回路の副作用なのかもしれない。
たとえば、インフルエンザやコロナの抗原検査をする。
陰性。
では別の感染症か。
呼吸音を聴く。ゴロゴロしている。
咳をして痰が出ている。
肺炎かもしれない。
レントゲンを撮る。白い影がある。
どうやら肺炎らしい。
だが、肺炎とわかっただけでは終わらない。
肺炎にもいろいろな原因菌がいるからである。
痰の塗抹、培養。
過去の痰培養の結果も引っ張り出す。
そうして、肺炎、しかも〇〇菌の可能性が高い、
ならば抗菌薬はこれだ、と答えを出す。
その薬を投与し、
熱が下がり、咳や痰がおさまり、
患者さんが少し元気を取り戻す。
そこまでいって、医師はひとまず安堵する。
診察して、検査して、診断して、治療する。
この流れを、医学部の頃から、
そして医師になってからも、何度も何度も身体に叩き込まれる。
原因を見つけること。
原因を断つこと。
そこに医学の誇りがあり、また快感がある。
けれど患者さんにとっては、原因の解明そのものよりも、
まずこのつらさを何とかしてほしい、
という思いのほうが切実であることも多い。
そこに、医師の思考回路との小さなずれが生まれたりする。
もちろん中には、
病の原因ではなく利益のほうばかり見ている医師もいるかもしれない。
だが少なくとも、医師という職業の中心には、
原因を探し、原因を叩く、という思考の型がある。
2.ヒーローとしての医師
治療が困難であればあるほど、
それを成し遂げる医師はヒーローになる。
失敗しない医師。
誰にも手が出せなかった腫瘍を切り取る外科医。
災害の現場で次々と命をつなぐ救急医。
医療資源の乏しい僻地で地域を支える医師。
あるいは、誰にもわからなかった病気を見抜く診断医。
人は、そういう物語が好きだ。
医学もまた、そういう成功の物語をたくさん持っている。
原因を見つける。
困難を突破する。
治療を成し遂げる。
患者さんが助かる。
そこにはわかりやすい達成感がある。
見ている者にさえ、救われたような気持ちをもたらす。
医学の勝利、と呼びたくなる場面である。
研究の世界も似ている。
画期的な治療法が見つかる。
長く不明だった病気の仕組みが明らかになる。
それによって多くの人が救われる。
それもまた、医学の勝利である。
3.それって敗北では?
私は現在、緩和ケアを専門としている。
あるとき若い医師から、こう言われたことがある。
「緩和ケアって、やりがいとかあるんですか?」
ずいぶん率直な問いだと思った。
けれど同時に、よくわかる問いでもあった。
医師は、診察し、検査し、診断し、治療するように訓練されている。
原因を見つけ、それに介入し、改善を得る。
その流れにうまく乗ったとき、医療は達成感を生む。
逆にいえば、その流れから外れて見える医療は、
しばしば「敗北」に近いものとして感じられてしまう。
治せない医療。
劇的に回復しない医療。
老いにも、衰えにも、死にも、根本的には勝てない医療。
緩和ケアは、ともするとそう見えてしまうのだろう。
つまり、医師の思考回路そして医学の勝利からは、少し逸脱しているように見えるのである。
4.拍手のない場所で
けれど、人は死ぬ。
老いる。
病む。
原因がわからないこともある。
治らないこともある。
一度失われた機能が、どうしても戻らないこともある。
それは医学の外にある現実ではない。
人間の生そのものの中に、最初から組み込まれている現実である。
こうした場面に向き合う医療がある。
それは、一見すると医学の敗北のように見える。
病気を治せない。
失った機能を戻せない。
劇的な逆転もない。
拍手もない。
ヒーローもいない。
やりがいすら、見えにくいかもしれない。
けれど、そこにも人はいる。
そこにも生活があり、息づかいがあり、苦しみがある。
そして、なお生きていかなくてはならない時間がある。
そこを見守る医療がある。
治すことができなくても、
苦痛を減らすことに心を砕く医療がある。
最後の死の場面で、
できるだけ苦しくないように、と願う。
それは本人だけの願いではない。
そばにいる家族も、医療者も、
自然にそう願う感情が具わっているように感じる。
老い、病み、死んでいく人間を見つめる医療は、
医学の勝利とは呼べないかもしれない。
けれど、必要な医療ではあると思う。
緩和ケアは、まさにそういう場面を見つめている。
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