3歳娘、牛乳の追加要求に情報統制を敷く
ある朝のこと。
妻は朝の準備をしていた。
娘は私と一緒に、テーブルで朝ごはんのパンを食べていた。
いつもの朝である。
パンを食べる娘。
横に座る父。
準備を進める妻。
平和な朝食風景だった。
すると娘が、急にコソコソ声で話し出した。
「こしょこしょこしょ」
小さい。
かなり小さい。
ほぼ何も聞こえない。
私は言った。
「ん、どうした?」
耳を近づけた。
娘がまた言う。
「こしょこしょこしょ」
聞こえない。
声が小さすぎる。
私はさらに耳を近づけた。
「もっかい言って」
すると娘は、ほぼ聞こえないくらいの超小声で言った。
「牛乳飲みたい」
牛乳。
牛乳だった。
極秘情報の中身は、牛乳だった。
私は少し混乱した。
なぜそれを小声で言うのか。
「牛乳飲みたい」は、別に機密情報ではない。
国家機密でもない。
社外秘でもない。
持ち出し厳禁資料でもない。
普通に言えばいい。
むしろ朝食の場において、牛乳はかなり公開されてよい情報である。
しかし娘は、明らかにコソコソしていた。
情報統制である。
牛乳の追加要求に、なぜか厳重な情報統制が敷かれている。
すると、準備をしていた妻がこちらを見た。
「ちょっとー、2人で何コソコソ話してるの!」
娘は、
「きゃー!」
と言って、ニコニコ笑った。
楽しそうである。
バレたことを楽しんでいる。
私はまだ分からない。
牛乳が飲みたい。
それを父にだけ小声で伝える。
妻に見つかると笑う。
この一連の流れに、何の意味があるのか。
小声で話すことじゃない。
情報統制は不要だろう。
私は娘に聞いた。
「牛乳どれくらい入れる?」
すると娘は言った。
「ちょっとくらいのいっぱい入れて」
出た。
ちょっとくらいのいっぱい。
最近の娘は、こういう独自単位をよく使う。
ちょっとくらい。
いっぱい。
その両方を同時に指定してくる。
少ないのか。
多いのか。
どちらなのか。
それは何mlなのか。
牛乳の発注単位として、かなり難易度が高い。
私はコップを持った。
牛乳を注ぐ。
ただし、注ぎすぎてはいけない。
少なすぎてもいけない。
求められているのは、
「ちょっとくらいのいっぱい」
である。
私は娘の顔を見ながら、慎重に牛乳を注いだ。
少し注ぐ。
娘を見る。
もう少し注ぐ。
娘を見る。
ここか。
ここなのか。
私は心の中で思った。
ここかっ!
そして手を止めた。
娘に聞く。
「これが、ちょっとくらいのいっぱい?」
娘はコップを見た。
そして言った。
「そうだよ」
私の匙加減でいいらしい。
仕様は曖昧だった。
しかし、検収は通った。
どうやらこの量が、今日の「ちょっとくらいのいっぱい」だったようだ。
その時、妻が言った。
「飲み過ぎるとお腹痛くなるから、飲みすぎないでよー」
娘はまた、ニコニコした。
なるほど。
そういうことか。
だから情報統制を敷いていたのか。
娘は分かっていたのだ。
牛乳を飲みすぎると、妻から注意が入る可能性がある。
だから父にだけ小声で発注した。
しかも発注量は、
「ちょっとくらいのいっぱい」
である。
少なく見せたい。
でも、いっぱい飲みたい。
その矛盾を、娘は一言で処理していた。
かなり高度である。
ただし、発注単位は曖昧すぎる。
朝食のテーブルで、牛乳をめぐる極秘会議が開かれていた。
議題は、
「ちょっとくらいのいっぱいを、いかに通すか」
である。
私はその会議に巻き込まれた。
そして、妻に見つかった。
結果として、牛乳は注がれた。
妻から注意も入った。
娘はニコニコしていた。
すべて想定内だったのかもしれない。
今日の娘は、牛乳の追加要求に情報統制を敷いていた。
統制対象は母親。
実行担当は父親。
発注量は、ちょっとくらいのいっぱい。
管理は高度なのに、仕様はかなり曖昧だった。
おすすめの関連記事
・3歳娘の秘密会議に招集された父親の記録
