見出し画像

「人形」 水底で笑う サイドストーリー

『水底で笑う』500ビュー記念に書きました。
本編読後に読むと、ラストの見え方が少し変わると思います。
おまけの短編としても、本編への入り口としてもお楽しみいただければ幸いです。


人形


彼とは居酒屋で知り合った。
最初は、ただ目が合っただけだった。

目当ての店が満席で、たまたまふらりと入った居酒屋で。

「いらっしゃいませ!お好きな席にどうぞー!」
店員が元気に言ってきたが、あまり空席はなかった。

ガヤガヤと騒がしく、きれいとは言い難い居酒屋のカウンターで、彼は一人で飲んでいた。

猫背でタバコを吹かしていた。
長めの髪で半分隠れた白い横顔が気になって、つい見てしまった。
そうしたら、振り向いて目が合った。

「ここどうぞ」
彼はニコッと笑って、隣の空いた席を手のひらで示した。思っていたより気さくだ。

「あ、じゃあ失礼します」
椅子に腰掛けて、店員にビールと枝豆を頼んだ。

「もしかして、この店初めて?」
「ああ、はい。オススメあります?」
「俺は、いつもこれ頼む」

彼はメニューを開いて、オムそばを指差した。
「美味そうですね」
「お兄さん、敬語使ってくれるんだ。いくつ?歳」
「初対面だからね。三十です」
「年上じゃん!あ、年上ですね」
「ああ、年下なら俺も敬語やめるわ」
「タバコ吸ってて平気?嫌ならやめるけど」
「うん、いいよ」

ふふっと彼は横目で笑った。
タバコを咥える薄い唇と、下がり気味の目尻が妙に色っぽかった。

そのうちにビールと枝豆とオムそばが来た。
オススメだけあって美味い。

「お兄さん、背高いよね」
「180あるから」
「いいなぁ。羨ましい。なんかスポーツやってたり?」
「昔はね。バスケしてた」
「へー!カッコいい!モテそうだな」
「いや、そんなことない、全然」
「そお?今は?いるでしょ、絶対」
「いや、いたけど、フラれた」
「えーっ、そうなの?ご愁傷様」

ジョッキをコツンとぶつけて来たので、応えて飲んだ。
そう、フラれたばっかり。やけ酒だ。

「飲みたい気分?俺で良ければ付き合うよ」
「それはどうも」

ビールを飲み、オムそばを食べた。
将来的に同棲、結婚も考えて、広い部屋に越してきた。
そうしたら、他に好きな人が出来た、と呆気なくフラれた。
彼女と住むという夢は消え、広い部屋と家賃だけが残った。

「ここのオムそば美味いでしょ」
「うん、美味い」
「ビールでいい?ついでに頼もうか」
「いいね、よろしく」

彼がビールを頼んでくれた。

「どこに住んでんの?近く?」
「引っ越して来たばっかりで」
「へえ、お兄さん家遠いの?」
「いや、ここから一駅ぐらい。俺は真壁」
「真壁さん」
心なしか、彼の目が輝いたような気がした。

「えーっと、なんて呼べばいい?」

「俺?トオル」
彼、トオルは片頬笑いで言った。

トオル。

これがトオルとの出会いだった。

彼はよく笑い、よく飲んだ。
距離が近い気はしたが、酒も入っていたから気にならなかった。

「ねえ、俺ん家来ない?散らかってるけど」

誘われるままにトオルの部屋に足を踏み入れていた。ボロアパートの、二階の角部屋。

「そう……うん…そこ……好き」
うわ言のように呟くトオルを抱き寄せる。
酒とタバコの匂いで目眩がした。

深入りするのではなかった。
気づいた時には、俺はトオルに溺れていた。






しばらく経ったある日。
出張の予定が、向こうの都合でキャンセルになった。

ポッカリと空いた平日の午後。
連絡はせずにトオルのアパートに向かった。

近頃はトオルと過ごしてばかりいた。
トオルといると楽しくて、失恋の痛手は気にならなかった。

アパート近くの路地で、一人の男とすれ違った。
しっかりした体格の、背の高い男だった。

男はすれ違いざま、ゆっくり俺を一瞥すると、視線を前に戻し、去って行った。

思わず足を止めて、遠ざかる男の背中を見つめた。

黒いコート、黒いスラックス。
よくある格好だが、その男のコートのシルエットが俺のものにそっくりだった。

このコートは、トオルと一緒に買い物に行って、トオルが褒めてくれたから買った。

「すげーいい男に見える。似合ってるからこれにしなよ!あ、お金は自分で出してね!」
トオルは、はしゃいで笑っていた。

「何だよ、それ!まあ、買うけど」
俺は気を良くしてそのコートを買った。

コートだけじゃない。
靴も、ニットも、シャツも。
財布も。香水も。髪型も。好きな酒すら。

彼女にもらったものもあったから、言われるままに、心機一転のつもりで買い替えていった。

コーヒーだって、インスタントで充分だったのに、「豆から淹れると美味いよ」とトオルに勧められて、最近は豆から挽いて淹れるようになったぐらいだ。

よく似てただけだ、きっと。
足早にトオルの部屋に向かった。

アパートの扉を叩くと、トオルが怠そうに咥えタバコで出てきた。
俺が行くといつもニコニコして出迎えてくれるから、少し驚いた。

「あれ、出張は?」
「無しになった。来ちゃダメだった?」
「……そんなことないけどさ」

部屋に入ると、寒いと思ったら窓が開いていた。
「寒いのに、何で窓開けてんの」
「ん?換気」
いつも構わずタバコ吸ってるのに。

「閉めるよ」
窓を閉めるためにサッシに手をかけたら、路地から、黒いコートの男がこちらを見上げていた。

男は、俺と目が合うとクルリと踵を返した。

あの男、やっぱり俺と似ている。

……いや、もしかして

似てるのは、俺?

冬にも関わらず、嫌な汗が出てきた。
背筋を冷たいものが伝っていく。

「トオル」
「ん?」

「トオルはさ、俺を"誰か"にしたいわけ?」

「ええ?急に何の話?」
「……さっき、すれ違ったんだよ、背の高い男と。俺にそっくりだった」

トオルは煙草を咥えたまま、少しだけ目を細めた。

「何言ってんの。そんなの、似てただけでしょ」

「なんで俺にこのコート選んだんだよ」
「似合うと思ったから」

「財布も、香水も、髪型も。コーヒーも?」
トオルは黙っていたが、表情が消えて目が虚になっていった。

俺は笑おうとしたが、上手く笑えなかった。
ただ、ぎこちなく頬が歪んだだけだ。

「俺は、お前の何?」

トオルは灰皿にタバコの灰を落としてから、俺を見た。その目はあまりにも暗く底なしだった。

「なあんだ」
トオルが少し首を傾げて笑った。

「気がついちゃった?」


急に足元が崩れていくような気がした。
一刻も早くここから離れなければ。

靴を引っ掴んで階段を駆け下りた。
大通りまで裸足で走った。
後ろも振り向かず、ひたすら走った。





「さすが体育会系。足が速い」
真壁が靴を手に、裸足で走り去っていく。

追いかけるべきなんだろうけど、ダルくてとても走れない。

さっきまでヤスヒロと会っていた。
真壁は今週は出張だと言っていたから、油断した。まさかすれ違うとは。

ヤスヒロに電話をかけた。
「気づかれちゃった。ごめん」
「ああ。今のは俺が悪かった。次を探せ」
「うん。見つかるかな」
「見つかるさ」
「なあ、まだ近くにいるんだろ?来てよ」
「悪い。また今度な」
電話を切られた。

また今度、か。残念。
もう一本タバコを取り出して火をつけた。





トオルと過ごした冬が過去になり、季節が春になった頃。

何気なくつけたワイドショーを見て、俺は再び戦慄した。

富士山麓の湖でボートが炎上。
湖底から焼死体発見。
遺体は御堂ヤスヒロ氏と見られる、と。

呆然とテレビの画面を見つめていた。

テレビ画面には、あの日すれ違った、黒いコートの男が映っていた。


燃えたのは、本当に御堂ヤスヒロなのか。

もし俺があのままトオルの側にいたら…。

あのボートと共に沈んだのは、俺だったかもしれない。


ふと、タバコの匂いが鼻先を掠めた気がした。



御堂ヤスヒロとトオルとは。


『水底で笑う』本編はこちら。


500ビュー、本当にありがとうございました。

『水底で笑う』を読んでくださった皆さまへの感謝を込めて、このサイドストーリーを書きました。

楽しんでいただけたなら幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!