文学フリマで買った本の感想①
文学フリマ大阪13で買った本の感想、第一弾です✉️
先生だって、あのね(碧魚まりさん)
『つながれた小さな手』
何気なく手を握られることのあたたかさ、でもそれはいつまでもつづくものではない期間限定のものであるさみしさ、あぁ成長って、子どもって、としんみりしていたところ、、
とある事情による「・・・彼と手を繋いだ後、絶対に手を洗うことにする。」に全部持っていかれました。
一つ前のお話『机の上のカメ』の「ユーモアとは、愛」というのを、さっそくくらってしまいました🫶
『参観で爆睡する我が子を讃えたお母さん』
子の見えない頑張りまで想像して、周りからどう思われるかとか自分の都合とかは一切放っておいて全肯定してあげられる素敵なお母さん。
子どもでなくても、相手の見えない部分を想像するというのは、とても大切なことだと思った。そしてそれは、見えている部分(小さなヒントみたいなもの)から、その人自身のことをもっと深く知ろうとする相手への興味や愛みたいなものだと思う。
目に見えているものがすべてとは限らない。SNS社会だからこそ、忘れずにいたいこと。
『懇談でお母さんに怒られた日』
泣きました。
まず、もし自分が先生をやっていて、懇談で同じように保護者の方から怒られたら、ということを想像して、感情移入して泣きました。泣かずに冷静に反省して素直に詫びて穏便に懇談を終えられるか、自信がありません。あぁやっぱりいつまで経っても教員になる決心はつかない気がする。。
本当は先生のことが好きなしょうたろうくん。
我が子がちょっと理不尽とも言える対応を受けているかもしれないと知っても、冷静に愛ある伝え方をしてくれるお母さん。
真摯に受け止めお母さんと、しょうたろうくんと、自分と向き合って、にんげんらしいあたたかいなかなおり(?)をしたせんせい。
登場人物みんな、にんげんらしくて、素敵で。
最後の、先生としょうたろうくんの会話にそのよさのすべてが詰まってる。
これ、一番大好きなお話でした。
『プリントの裏の手紙』
「これ、一番大好きなお話でした。」なんて書いたあとに、「これも、同率一位で大好きなお話です。」と早すぎる前言撤回をしたくなりました。
(記憶が新しいうちにと、読みながら感想をポチポチ書きながら読んでいます)
子が褒められたときに謙遜しないこと、どんなあなたでも大好きだよという全肯定のスタンスでいること。
つい謙遜してしまいそうだし、子(家族)相手だとしても照れ臭さからストレートな言葉で愛を伝えるのはためらってしまいそうだし、大切だとわかっていてもむずかしそうなこと。
でも、そんな風にして誰かから愛を受け取ると、今度は誰かに愛を与える存在になれるんだなと思った。
お母さん→みかちゃん→先生→子どもたちって風に、巡り巡っていくんだなと、愛の連鎖みたいだなと。
人と人とがかかわると、どうしても影響を与え合う。
同じ与え合うなら、いい影響を、愛ある言葉を、あたたかな気持ちを与え合っていたい。
↑の連鎖理論でいくと、誰か一人でも第一人者がいれば連鎖は始まることになる。
子ども食堂、ブックサンタ、大人の夢
子ども食堂も、ブックサンタも、実際に調べてみたり足を運んでみたり参加してみたりするその行動力がすごい、と思った。
そして、大人になるとなかなか口にすることをためらってしまう「夢」についても、もっと気軽に語り合えるような世の中になったらいいなぁなんて思った。
いや、世の中なんてそんなでかい規模で考える前に、そうしたいのならまずは自分が身近な人たちに語ってみればいいのか。
大きなことでも小さなことでも、言葉にして誰かに伝えてみることで、きっと近づけるはず。
...夢かぁ🤔
住野前夜(住野よるさん)
こんにちは🐕🦙

本を開くや、この子と目が合った。
いきなり開かれてびっくりしてる、犬?アルパカ?
自分では気づけないもの
天才とか才能とかの話の中で、
他人から見てすごい才能があったとしても、自分自身でその能力のすごさは分からないから、つまり考えてもしょうがないんですよね。
住野さんの言葉
って。
たしかに、「得意なこと」とか「特技」とか、努力で身に付けられることに関しては自分でもわかるけれど、「才能」と言われると急にむずかしくなる。
生まれ持ったもの、努力なくしてできてしまうこと、みたいなニュアンスで使われることが多い「才能」という言葉。
才能と言うとちょっと大げさに感じるけれど、「いいところ」とか「長所」とかも、自分ではなかなか気づけないもの。
だから「自分には何もない...」と落ち込んでしまうのではなくて、「自分自身では気づけないもの」と開き直って、「でもきっと何かよさはあるはず」と小さな自信は持って生きていればいいって思えた。
過程が本番
小説家になれなかった人生についてのお話の中で、
勿論、夢とか目標って叶う方が100%いいと思ってるんですけど……。これは本当に今だから言えることですが、目指している間の方が自分の人生の本番な気がします。
住野さんの言葉
って。
これは今だから言えることだけれど、学生時代の部活動なんかを振り返ってみても、大会当日よりもそれに向けて練習した日々の方が、青春だったなぁってより濃く思い出に残っていたりする。
学生の頃って、試験とか大会とか、自動的に目標となるイベントが設定されていたから、自動的に必要な努力をする日々を送ることができた。
大人になってしまうと、自分で設定しないことには、夢とか目標とかはないまま日々を過ごせてしまう。
住野さんの言葉通り、「過程」の方が本番なのだとしたら、大切なのは、どんな目標を設定するかではなくて、とりあえず何でもいいから目標を設定して、そこに向けて頑張る日々を送れること。
パッと思いつくものを挙げてみると、TOEICでもいいし英検でもいいし、マラソン大会でもいい。
決断と、申し込みと、払える金額のお金でできる挑戦を日常に盛り込んで、頑張る日々を過ごせたら、自分のことをもう少し好きでいられるかもしれないなと思った。
そして、その努力は絶対に無駄にはならないし、それが、「パッと思いついたから」みたいな理由で設定したとりあえずの目標ではない「本当にこれを頑張りたい!」っていうものに出会うきっかけになるかもしれない。
住野よるさんという作家の頭の中
中学生か高校生のとき、本を読むだか映画を見るだかした、「君の膵臓をたべたい」という作品。
記憶が曖昧すぎる。先に本だったかな。
そのインパクトあるタイトルと、「めっちゃ泣けるらしい」という口コミで、当時とても話題になっていた。
この住野前夜の中で、
すっごい王道を行きつつ、王道が好きな人を騙すっていうのをやりたかったんですよね。
住野さんの言葉
と書かれていたけれど、まさしくで、ド王道が好きな私、しっかり騙されました。
約10年越しに咲良の膵臓の病気が架空のものだと種明かしされ、えええと拍子抜け。
他にも、まずは目に留まりやすいグロいタイトルを設定して、そこから感動させられたら面白いよなぁみたいな思考で書いた、初めて「読む人」のことを意識して書いたというようなことが明かされていた。
物語って、作者さん自身が読みたい物語を純粋に?素直に?書いたものと、「こういうのがウケるだろう」というようなある種の下心のある書き方がされたものとがあるんだろう。
音楽とかもそうなのかな。アーティスト本人の心のままに作られた曲と、中には「こういうの流行ってるよね」「みんなこういうの好きだよね」みたいな考えから生まれた曲とかもあるんだろうか。
なぜか、好きな曲には純度100%の前者であってほしいとか思ってしまう。
面白い物語や素敵な音楽を生み出せる人の頭の中を少しだけ覗けたような気がする一冊でした。
