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【短編小説】 猫を飼う

俺がこの部屋に来たのは、五月。
ゴールデンウィークの一日だった。

ペットショップからマンションの一室へ。
初めての旅をして、この部屋に足を踏み入れる。

「ブラン、今日からここがあなたのお家よ」

クンクン。
まだ新しい匂いだ。ダンボールの匂いが強いな。

部屋の中央に、真新しいソファとテレビ。
ミントグリーンのカーテンが、光に透けている。

窓からの風が髭を揺らす。
新緑の若葉が、外でざわめいている。

よし、窓際の暖かそうなクッションに決めた。
俺は寝そべって欠伸をした。

「ブラン、ご飯よ〜」

カリカリしたドライフードが俺のご飯。
これが、普通に美味い。

たまにくれるウェットなご飯も美味しいし、
“ちゅ〜る”ってやつは一際美味い。

食べ終わって舌でぺろぺろしていると、
我が主達がやって来る。

「美味しかったかい?ブラン」

こちらはアンリ。
眼鏡を掛けた人間のオスだ。
柔和な雰囲気だが、どことなく瞳の奥に光るものがある。

「よく食べたね〜」

こちらはヒカリ。
髪の長い人間のメス。
いつもテキパキ、忙しない。
紅茶の香りのフレグランスをしていて、俺は案外それが好きだ。

アンリとヒカリは、恋人同士なのかな。
何かする度にキスをして、ハグをする。

やれやれ。
俺がいるのに、ハートマーク飛ばしまくるのやめてくれない?

六月。
湿気が髭を重くする。
ふわふわのドームハウスも、水分で重たく感じる。

「ついに、辞令が出ちゃったぁ」
ヒカリの声は、いつもより力がない。

「名古屋支店のプロジェクトに抜擢なんて、
すごいよ」
アンリの声は、相変わらず優しい。

「でも、名古屋に赴任するのよ。一年だよ?」

「うん、離れるのは辛いけど、
ヒカリさんにとって大きなチャンスだ。
僕は応援するよ」

転勤ってやつは、いつだって試練だ。
いや、これはヒカリが観てるドラマの受け売りなんだが。

泣いているヒカリをアンリが抱きしめて、
キスをして……。

おっと!これ以上は野暮だったぜ。
俺はドームハウスで寝るとしよう。

八月。
長期休暇で、ヒカリが帰ってきた。

……いや、ヒカリは毎週末のように帰ってきていたし、交互にアンリも名古屋を訪れていたようだ。

休暇を利用して、軽井沢のホテルに行った。
俺としては自宅以外の場所は初めてで、
なんだかソワソワしたけれど、まぁ、概ねいつものハウスで過ごした。

ふたりは終始笑顔。それが何よりだ。

十二月。
窓には冷たい結晶が張り付き、
俺はずっと床暖房の上で丸くなっていた。

世間ではクリスマスってやつかな。

「……仕事なら、仕方ないよ」
「うん、僕の事は心配しないで大丈夫だよ。
うん、ブランも元気だよ」

アンリの声は、いつも通り穏やかだったけれど、足元が忙しなく揺れていた。

通話が終わると、寄ってきて俺を抱える。

「ヒカリさん、クリスマス仕事で帰ってこれないんだってさ」

そう言って俺を撫でる。
アンリの手は暖かくて、気持ちいいんだけれど、
指の先は冷たい。

頬を舐めてやると、
アンリはくすぐったそうに笑った。

三月。
ヒカリは毎週帰って来られなくなって、
アンリも名古屋に行く頻度が減った。

部屋の片隅に、渡せなかった荷物が増えていく。

俺に出来ることは、せめてスリスリして、
場を和ませることくらいだ。

猫の身では、それしか出来ない。

人間は、出来るはずなのに、しないことが多いみたいだけれど。

また五月がやって来る。
今日のアンリは、すこし緊張している。

いつもより身支度に時間をかけ、
いつもより早く家を出た。

……また、道に迷わないといいけどな。

カレンダーには、花丸の印。
柄にもなく、ピンクで印つけちゃってさ。

俺はやれやれと髭をしごいた。
懐かしい紅茶の匂いが帰ってくる。

カレンダーの文字が弾んでいる。

“ヒカリさん、帰任日”





#シロクマ文芸部
#猫を飼う



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