🌸第1話「桜の庭のささやき」
遥かな時の果て、桜は君にこの言葉を届ける——
𓂃 𓈒𓏸🌸🍃
母に頼まれて、祖母の家に荷物を届けに行った。
郊外の住宅街のはずれ、古い瓦屋根の大きな屋敷。門柱には控えめに「花霞」の表札がかかっている。
私は花霞財閥のひとり娘。学校ではあまり言わないけれど、祖母の家こそこの一族の系譜だと聞かされてきた。
春の光のなか、庭の桜は満開だった。花びらが風に乗って、敷石や縁側に降り積もっている。
祖母は台所で煮物をしていて「蔵にある古い箱もついでに整理しておいて」と軽く言った。
私はひとり蔵に入り、木の匂いのする薄暗い棚を探る。
ふと、蔵の一角に供えるように置かれている桐箱が目に止まった。
桐箱を開けると、布に包まれた和綴じの書物が出てきた。表紙には金泥で「花霞家詞」とある。
ページを開くと、墨のにじんだ文字が整然と並び、ところどころに押し花が挟まっている。紙はまだ新しいが、筆跡は祖母のものらしい。
その一頁に、こう記されていた。
「散る花に 身をまかせつつ 恋ひわたる
春の限りを 君に捧げん」
恋の歌、だろうか。
思わず声に出して読んだ瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
どこかで、夢の中で、この歌を聞いたことがあるような——そんな気がした。

風が吹いた。
桜の花びらが一枚、和本の上に落ちた。思わず顔を上げると、蔵の隙間から庭の桜が見える。枝先で、淡い光の粒が一瞬だけ瞬いたように見えた。
耳の奥に、かすかな囁きが届く。
——姫……
気のせいだろうか。
私はそっと書物を閉じ、押し花が落ちないように布で包み直した。
外では祖母が呼ぶ声がしている。私は胸の鼓動を抑えながら、縁側に出た。
春の庭に、風が吹き抜ける。桜の花びらが舞い、白い障子の向こうから女房たちの笑い声が聞こえてくるような錯覚に陥った。
私は軽く首を振り、深呼吸をした。
ここは現代。だけど、何かが静かに動き始めている——そんな予感が胸に残った。
