五輪で気付く社会性と賞賛と誹謗中傷と
今日も安定の暑さでした。昨日と異なり、雨に降られることもなく穏やかに帰れることを寿ぎたいと思います。
さて、……。
パリ五輪に関しては、日本人選手の活躍が連日のように報道されている。一方で、思うような成果をあげられずに予選で敗退する選手も残念ながらいる。
勝負は時の運である。然るにこれらの選手に対する毀誉褒貶は、振れ幅が極端過ぎる印象。中には誹謗中傷と思われる悪口雑言までSNS上で流れていて驚く。こういうのを見ると、人間は社会的な動物であることを再認識させられる。
私自身は以前書いた記事のように、五輪に対しては醒めた見方をしている。純粋に日本のためだけに出場した選手の存在がいるのか、率直に懐疑的だからだ。
とは言え、だからこそ逆に裂帛の気合いを込めて応援することも、憤怒の念を抑え難く誹謗中傷することもない。そしてメダルを取れた選手にはおめでとうと言う気持ちは持つし、努力が結実しなかった選手には残念だったねというくらいの気持ちは抱く。
人としてそういう気持ちは抱くのだけど、その熱量が高くないと言う方がより正確だろうか。
このような感覚の人って決して少なくないと思うのだけど、スポーツの応援ではサイレントマジョリティであると言わざるを得ない。そして声の大きい者が目立ち、外形的にはそれしか存在しないかの印象を与える。
世の中には、五輪選手を応援できる自分に価値を認める人がいて、逆に批判できる自分に価値があると思う人がいる。いずれも黙っている人間よりも自分は社会の中で上位にいると根拠もなく思い込む。
そうすることによって自尊心を保とうとするのだけど、正直なところそれにはほとんど意味がないと考えている。なぜなら、サイレントマジョリティから乖離しているからである。
そうでありながらも社会の中での自身の立ち位置をつい意識して行動してしまう。そういう振る舞いをしてしまうのは、人間が社会的な動物であることの証ではなかろうか。良し悪しではなく、有る無しとして有るものだと考える。
私はそういう思いを持ちながらこの五輪期間を過ごしている。故にもの言わぬ存在を忘れたり、軽く考えたりしてはならないと思っている。
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