高みに昇りたい欲、国威発揚欲、感動したい欲の集合体が五輪という醒めた見方
今日も暑い一日でした。幸いなのか不幸にしてなのか分かりませんが、今のところ雨も降っておりません。ただ、夕方になって少し風が出てきました。雨戸をあまり鳴らさないで欲しいと願っています。
さて、……。
昨日書いた以下の記事。
これについては、もう少し掘り下げてみたいと思う。
少なくとも、天分(持って生まれた才能)に恵まれた者が、オリンピック出場に向け並大抵ではない努力を重ねた上で出場可能となるものであることは、キチンと評価すべきである。
だから、今回の当事者の努力について、私は全く否定するつもりはない。ただ、その努力は誰のためにしたのか、を曖昧にすべきだとも思っていない。
ぶっちゃけ、自分がオリンピックに出たいという夢を果たすために努力したのであろう。このことを否定的に捉えるべきではない。
本人が自由意思に基づきやりたいことをやりたいようにやりたいだけやる。それができる日本は個人が尊重された素晴らしい国であるとも言える。
ただ、それは個人の欲である。その欲を満たすまでの道のりは厳しい。でも、その過程で守るべき規範はいくつかあって、その一つは法である。本件で法に違反したのは明らかである。
そうであれば、やはりけじめは必要ではなかろうか。
確かに積み重ねた実績はスゴい。メダルに手が届く可能性が高い選手である。従って、その選手を出場させないのは、日本国として損失である。だから、ここは大目に見るべき、というのは一つクリアしなければならないステップを飛ばしている。
選手本人の欲と日本国としての国威発揚欲。そして、ここに同胞として感動したい欲が加わる。これらの欲が合致するのがオリンピックでのメダル獲得である。
反論があれば伺うが、選手本人が努力し日々の辛い練習を頑張っているのは、日本国のため、或いは日本国民のためだろうか。これ、敢えて突き詰めるのは不幸になりそうな気がするけど、やはり自分のためではないかと思っている。
アスリートの本能に従い、上を目指し頂点に立ちたい。この欲のためと言ったら怒られるだろうか。
飲酒喫煙について擁護されている方は、自分の欲を満たすためにやったことという認識があるのかを問いたい。更に、既に上で述べたように、自分が同胞として感動したい欲を満たせる可能性のある選手の欠場を惜しんで判断がゆがんでいないのかも合わせて問いたい。
もっとクリアに言えば、選手は自分の欲を満たしたいだけ、辛い練習も自分が欲望充足のために好きでやっているだけ、日本国民も日本の選手がメダルを獲得するシーンを見たいだけ、見て感動したいだけではないのか。
醒めた見方をしているとの批判は受け止める。でも、日本の選手は他にもいる中で、この選手じゃなければダメだというくらいの思い入れがある人はどれくらいいるだろうか。そこまで普段から応援してきた選手がいる人は、そう多くないはず。
オリンピックって、このような選手と国民の微妙にズレたそれぞれの欲の充足によって成り立っている部分があるのは否定できない。そう思っている。
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