【戦争について深掘り④】ジャングルなのに「餓死」した理由。南方戦線で日本兵を追い詰めた3つの現実
昼からは雲が出てきて、強い日差しはある程度遮られました。最高気温33℃って平成の頃なら十分に暑いのですが、昨今では35℃までは想定の範囲内になってしまっていますね。
さて、……。
はじめに
太平洋戦争に関わり、これまでに以下の記事を書いた。今回は、このシリーズの続編である。
太平洋戦争の南方戦線では、多くの日本兵が飢えに苦しんだ。終戦の日が近付くこの季節、テレビでよく語られる悲しい話である。
でも、緑豊かなジャングルには食べられる物もそれなりにあったように思える。なぜ兵士たちは餓えに苦しみ、死に追い込まれたのだろうか。
今回はそのことについて調べてみた。するとそこには、自然の厳しさと戦争の現実がもたらした、想像を絶する理由があった。
1. 現地の植物はすでに食べ尽くされ、栽培も妨害された
当時の兵士たちは、決して知識がなかったわけではない。ヤシの実やバナナ、タロイモなど、食べられるものは徹底的に調べ、現地の人から学び、手当たり次第に口にしていた。
しかし、一つの地域に数万人の軍隊が長期間とどまれば、現地に自生している食べ物はあっという間に底をつく。需要に供給が追いつかないのだから、当然そうなる。
そのため、兵士たちはジャングルを切り開いてサツマイモなどの畑を作った。だが、アメリカ軍は空からの爆撃でその畑をピンポイントで焼き払った。
自然の恵みと自力だけで数万人の胃袋を満たし続けることは、不可能であった。
2. 熱帯の病気が、体を「食べられない状態」にした
南方のジャングルで最も恐ろしかったのは、マラリアやアメーバ赤痢といった感染症である。
激しい高熱や下痢に襲われると、人間の体力は急速に奪われていく。この状態で食糧が不足すると、体内の調節機能が壊れてしまう「戦争栄養失調症」という拒食状態に陥る。
こうなると、目の前に食べ物があっても体が受け付けず、吐き出してしまう。知識があっても、自生する植物があっても、病気によって「食べられない体」に変えられていたのである。
3. 補給路の遮断により、移動しながら餓死していった
最も決定的な原因は、日本からの食糧を運ぶ船が、アメリカ軍の潜水艦や飛行機によってほとんど沈められたことである。
食糧が届かないため、部隊は食べ物を求めてジャングルの中を何百キロも歩いて移動しなければならなかった。道なき泥沼や険しい山を超えるには、膨大なエネルギーを消費する。
わずかな野草やトカゲを口にできたとしても、移動で消費するエネルギーの方が圧倒的に多かった。補給という命綱を断たれたまま歩き続けた結果、エネルギーが切れて倒れていったのである。
まとめ
日本軍の南方戦線における餓死は、知識の不足ではなく、数万人規模の需要に対して自然の供給が追いつかなかったこと、そして病気と補給の途絶が原因である。
緑豊かなジャングルは、兵士たちにとって恵みの地ではなく、出口のない巨大な監獄のようになっていたのである。
この時期、彼らの無念に思いを馳せて、平和の大切さを改めて認識する機会とすべきだと思う。
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