その瓶の蓋は、誰かには開けられない|自分には簡単なことが、誰かには難しい
筋トレを習慣にしてから、物理的に頼られることが増えた。
運ぶ、持ち上げる、引っ張る。大抵の力仕事は、涼しい顔で解決できるようになった。
人に頼られる。
感謝してもらえる。
軽い筋トレにもなる。
誰かの役に立てるのは、素直にうれしい。
けれど、筋肉がつく過程で、私はある視点を失いかけていた。
力がつくと、物理的な問題は簡単に見える。
いつの間にか、自分のものさしで、他人の「できない」を測っていた。
蓋が開けられない
そう気づいた出来事がある。
ある日、ジャムの瓶を渡された。
「これ、開けてもらえませんか」
わざわざ私に頼むくらいだ。
よほど固く締まっているのだろう。
絶対に開けてやる。
そう身構え、両手で瓶を握った。
一気に力を込めて、ひねる。
ポンッ。
驚くほどあっけなく、蓋は回った。
入れた力の半分も使っていない。
「え、これ元々開いてた?」
心の中で疑ってしまうほど、余裕の作業だった。
けれど、相手は笑いながら、「ありがとう、助かった」と、丁寧にお礼を言ってくれた。
似たようなことは、他にもあった。
祖母に、ペットボトルの蓋を開けてほしいと頼まれたときだ。その瞬間、正直に思ってしまった。
「こんなものも、開けられないのか」
蓋を回すと、やはり簡単に開いた。
祖母は喜んでいた。
その顔を見たとき、自分の中に浮かんだ言葉が、急に恥ずかしくなった。
自分のものさしで、人は測れない
私にとっては、何の造作もない蓋だった。
けれど、祖母にとっては、誰かに頼らなければ開けられないものだった。
もともと力が弱い人もいる。
年齢を重ねれば、筋力や握力も落ちていく。
ジャムの瓶が開かなければ、その日のトーストには何も塗れない。ペットボトルの蓋が開かなければ、目の前に水があっても飲めない。
自分には一ひねりで終わることでも、誰かにとっては立派な問題になる。
自分の強さをものさしにして、他人の弱さを測ってはいけない。
いくつかの蓋を開けて、私は忘れかけていたことを思い出した。
私にも、開けられないものがある
誰にだって、自分には難しくて、他人には簡単なことがある。
私は、吃音を抱えている。
言葉を滑らかに出せないときがある。
とくに、自分の名前で詰まる。
電話口や受付で名前を聞かれても、最初の音が出てこない。
言わなければならないことは分かっている。
それでも、声にならない。
多くの人にとって、自分の名前を言うことは難しくない。
名前が出ず、うろたえているときに、「え、自分の名前すら言えないの?」と笑われたら、私は深く傷つく。
「こんなものも、開けられないのか」そう思った自分と、「自分の名前すら言えないの?」と笑われる自分。
二人は、同じ場所に立っていた。
自分には簡単だからといって、他人の困りごとまで軽いとは限らない。
私は、瓶には強い。
言葉には、立ち止まることがある。
たった一ひねり
もちろん、マッチョとして頼られる以上、多少のプレッシャーはある。
もし瓶の蓋を開けられなければ、「その筋肉、見せかけやったん?」と思われるかもしれない。
見せ筋認定だけは避けたい。
だから瓶を渡されたときは、表情こそ平静を装いながら、心の中ではかなり本気である。
それでも、この筋肉が誰かの役に立つのなら、遠慮なく頼ってほしい。
瓶の蓋が開き、料理がおいしくなるのなら。
ペットボトルの蓋が開き、喉を潤せるのなら。
たった一ひねりにも、価値はある。
私は、瓶の蓋を開けることができる。
その代わり、私が自分の名前を言えずに詰まったときは、言葉が出るまで待ってもらえたらうれしい。
自分にできることで、誰かを助ける。
自分にできないことは、別の誰かに助けてもらう。
人は、そうやって支え合っている。
そのうち、頼まれる物の規模が大きくなり、「地球へ接近する隕石を押し返してほしい」と言われるかもしれない。
さすがに、一人では厳しい。
そのときは、全世界のマッチョを集めよう。
瓶の蓋を開けるように、軽く押し返せるかもしれない。
筋肉と人が同じ場所にいる、もう一つの話です。
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