【#創作大賞2026】一架の声が聴こえる?(二)
前回
(二)
編集長に呼び出されてドキドキしながらデスクに向かうとそこには見知らぬ怪しい男が立っていた。
「藤波くん、彼女は安藤(あんどう)さんね。今年久しぶりに新卒取ったんだよね」
意味もわからないまま私は流されるように「安藤帆奈(はんな)です」と挨拶する。
藤波と呼ばれた男はあからさまに機嫌悪そうに顔を歪めるとぶっきらぼうに「それがどうしたんすか」と答えた。髭面に無造作な髪。見るからに愛想のかけらもない。なんか怖ぁ。
私どうして呼ばれたんですか、と口から出ていきそうになった瞬間編集長が言う。
「彼女結構頑張る子だから。色々教えてあげて。安藤さん、彼はうちでライターをしてくれてる藤波くん。今日から君たち二人でこのネタ追ってみて」
え、嫌です! 編集長、私この人嫌です! なんか顔怖いし、デカいし、優しくなさそうだし嫌です! と、本当は言いたかったけど社会人なので黙って頷く。肯定も否定もしない相槌のふんふん。
「嫌ですね。一人で大丈夫です」
お前が言うのかよ。
藤波、と紹介された男はそう言うと手に持っていた資料をすっかり鞄にしまい、早足で編集部のフロアを出ていく。
「ほら安藤ちゃん、追って!」
「え、でも要らないって言ってますよ⁉︎」
「いいからいいから! ほら行って! いい記事あげてよ〜?」
言われるがままに猫背な背中を追いかけて走る間、昨晩急に「これ読み込んどいて」と編集長に渡された資料の記憶が駆け巡る。
せっかく刑事事件やらせてもらえると思って嬉しかったのに! よりにもよってどうしてこんなフリーのライターとニコイチなのか。てっきり今回のネタもこれまで指導についてくれていた先輩と組むのかと思っていた。先輩! カムバック先輩! というかあの人歩くの速っ。足長っ。
「あの……! すみません! 改めまして、安藤帆奈です。今年の四月に入社しました。よろしくお願いします」
社会人は挨拶が基本。第一印象が基本。お前は違うんだろうけどな!
ようやく追いついたので横断歩道を渡りながら息も切れ切れに自己紹介する。
「アンドウハンナ……、あんぱんだな」
「あんぱん⁉︎」
「俺は藤波だ。このまま会社に戻ってもらっても一向に構わんが、着いてくんなら邪魔すんな」
あぁ、神様。この男を処刑する力を私にください。
「宮島結愛の事件ですよね」
藤波は聞こえているんだかいないんだか、表情を変えずに歩き続ける。無視するな。置いてくな。ちょっとぐらいこっち見てみたらどうなんだ。
「あのこれ! 今どこ向かってるんですか⁉︎」
藤波は気怠げにモサモサの髪を左手で乱暴に掻き上げるとチラリとこちらを見下ろしながらこう言った。
「話聞いてなかったのか。宮島結愛に会いに行くんだよ」
***
「私、警察署なんて落とし物した時ぐらいしか来たことないですよ……」
警察署というのは不思議だ。何も悪いことをしていないのに、なんとなく近寄るだけで何か怒られるんじゃないかという気持ちになる。
総合受付の婦警さんは思っていたより朗らかに対応をしてくれたはずなのにやっぱりどこか緊張が取れない。生活課、交通課、地域課……。こういう時ってどこに行くんだろう。留置管理課……?
「おい、あんぱん。キョロキョロしてないで来い」
「そのあんぱんって呼び方、場合によってはなんらかのハラスメントになりますよ?」
「うるせえな、行くぞ」
学校とも会社とも違う、強いていえば区役所に近い雰囲気の慣れない廊下をおっかなびっくり歩いていく。
ビクビクしていると藤波に置いていかれるので、背筋を伸ばし、「まるでビビってなんかいませんよ?」という顔をしてヒョロ長い背中を追いかける。
というか、宮島結愛は家族からの面会希望すら拒否しているのではなかったか。こんな小さな出版社の誰とも知れない(しかも見た目も怪しい)ライターがいきなり行って会ってくれるわけない。
もっと作戦とか立てて取材っていくものではないのか。あぁ愛しの先輩、どうして私こんな男と組まなきゃならんのでしょう。先輩の元に帰りたい。
受付が済むとようやく藤波が足を止めた。待合のベンチに腰掛けたので、私も真似して座る。しばし待ち時間。こういう時下っ端は何か話した方がいいのか。それとも静かにしておくべきなのか。
「そういえば、あの手紙。〝被害者〟ってなんなんでしょう。まさか誤認逮捕? それかアレですかね、所謂指示役とされる男がいるとか……」
元々お喋りな方なので考えるよりも先に喋りかけてしまう。落ち着いて話しかけられたのはなんだかんだで今日初だ。
「というか、議員を刺すってどういうこと?って感じですよ。相手は政治家……ってことは犯人には何か主義主張があるのかも。やっぱり宗教とか?」
「……お前、面会中に余計なこと言うなよ? できる限り静かにしとけ?」
「え、はい! 邪魔しません!」
人がまるで余計なことを言いそうなお喋り人間みたいに言わないでほしい。失礼な。やっぱり仲良くなれない。
そもそも「面会中にぃ」とか言っちゃって本当に宮島結愛に会えるかもわからないのに。
「番号札一◯六の方〜、ご案内します」
いや、会えるんかい。
連れられていった部屋は外光の入るさっきまでの署内と異なり、どこか冷たさを感じた。あちら側とこちら側を隔てる大きなアクリルガラスを目の前にしてまるでドラマの中に迷い込んでしまったみたいな気持ちになる。手帳を開き、ペンを持つ。握った手が僅かに震えた。
カチャッという音がして向こう側の空間の扉が開く。
俯いた顔にかかる真っ直ぐな髪。細身の身体。抜け殻のような白い顔。
普通の子だ、と思った。
普通の、よくいる、グレてもないし、髪も染めてないし、学校にも普通に通う、普通の子、に見える。
アクリルの向こう側に座る宮島結愛は不貞腐れるでも怯えるでもなく、ただ無表情に俯いていた。
「藤波龍之介(りゅうのすけ)だ。ライターをしている」
藤波が静かに目の前のカウンターに名刺を置く。宮島結愛は置かれたそれには一瞥もくれず、どこでもないどこかをぼんやりと見つめていた。
「仕事だから君に取材をする。でももし──」
何を言うんだろうこの強面男が、と思いながら黙って藤波の言葉に耳を傾けた。黙ってろって言われたし。
静かにしてろと言うから静かにしているわけだが、かといって藤波一人でこの状況をどうこうできるようには到底思えなかった。無愛想だし。
黙って俯く宮島結愛は到底今日会ったばかりの私達に何かを話しそうな雰囲気ではない。こういうのは信頼関係とかを築いてから話すもんなんだろう。まずは、あれか? 仲良くなるとか?
「でももし、君が世界に何かを叫んでやりたいなら俺は全力でそれを書く」
端的で迷いのない、どこか覚悟めいた色を帯びて藤波の声は響いた。
宮島結愛は動かない。
でも、きっと聞こえていることが空気でわかる。
宮島結愛の真っすぐな黒髪がエアコンの風にあたって鎖骨のあたりで仄かに揺れている。部屋はあまりに静かで、髪の擦れ合う音さえ聞こえそうなほどだった。
「君は人を殺した。これから殺人犯として法廷で裁かれる」
十七歳という若さで彼女は人殺しとして生きることになった。
「あの日あの場所に居合わせた中で、恐らく会ったことも話したこともない春村議員を、〝選んで〟殺した。違うか?」
藤波はどこまでも落ち着いた調子で言葉を重ねる。
「君を、そこまで追い詰めたものがあるはずだ」
重い沈黙の中、藤波の方を盗み見る。それまでほとんど表情を変えなかった彼は少しだけ眉を歪めると「復讐か?」と小さく問いかけた。
彼女は押し黙ったまま、結局その日顔を上げることはなかった。
「まあ、何か話したくなったらこのちんちくりんに連絡してくれ。おら、あんぱん名刺出せ」
「はいっ! ってか、ここでもあんぱん……!」
宮島結愛の前でその呼び方はやめてくれないか。いや、いつだって許してないから。
さっき藤波がやったようにカウンターに名刺を差し出す。そう、私には安藤帆奈という立派な名前があるのだ。
「そろそろ……」と職員のような人に声をかけられ面会時間の十五分が経っていることに気づいた。人生初の面会時間はあまりにも重厚で、思わず深い溜息が漏れる。緊張した。結局私は名乗った以外に何もしていないのだが。
部屋を出ようと扉に手をかけたその時。
「違う」
消えいるような声が聞こえた。
「復讐なんかじゃない」
俯いた髪の隙間からあどけない彼女の声がした。
「そうか」
藤波はそれだけ答えると部屋を出た。私は中に向かってぺこりと頭を下げると急いでその背中を追いかけた。
私は何故だかこのたった十五分という短い時間の中で、藤波龍之介という男のことがわからなくなってしまった気がした。
「藤波さん!」
その気持ちをどうにもできずに呼びかける。
「宮島結愛は犯人じゃないんですかね、手紙の言う通り」
藤波は暫し思案するように視線を滑らせ、そして答える。
「刺したのは間違いなく宮島だ。目撃者も大勢いる。……ただ、何かあるはずだ」
彼女にそうさせた何かが。
不思議だった。朝出会ったばかりの藤波と今の藤波、何も変わらないはずなのによくわからなくて胸の内がモヤモヤした。傍若無人。無愛想。仕事にやる気がある風でもないし、歩くのが速い。
でも、宮島結愛への言葉はどこまでも真摯だった。彼女の前ではいい人ぶった? わからない。全部わからなかった。
私は同時にあることを何度も思い返していた。
今朝、藤波を追って急いで編集部を出ようと思った間際「安藤ちゃん、ちょっと」と編集長に呼び止められた。
置いていかれると焦りながらも無視できるはずもなくデスクにもう一度向かう。
「安藤ちゃん。君の今回の指名は監視役だ。藤波くんが変なことしそうな時は報告してね」
監視役……? 「それってどういうことですか」と訊く隙も与えられずにいってらっしゃいと背中を押された。
〝藤波龍之介〟私は彼のことをまだ何も知らない。
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