見出し画像

【#創作大賞2026】一架の声が聴こえる?(三)

前回


   三


 電話を掛ける。出ない。印。電話を掛ける。出ない。印。電話を掛ける。出た。取材拒否。印。

 「あぁ、もう! アポなんて取れる気しない!」

 もうやだ! ピーチティーフラペチーノ飲みたい! いや飲む。

 ぬるくなったコーヒーの残りをごくりと飲み干しレジに走る。

 あまりにも会社の近くにあるこのコーヒーショップを私は入社以来社食のごとく使ってきた。

 失敗した日、うまく行った日、ややこしい仕事を任せられた時。昼食をとりながら作業する日も多い。

 「お、安藤じゃん」

 私がここを社食と思っているように、同じようにこの店を社食だと思っている社員は多い。つまり、よく同僚に会う。

 「おつかれ〜。なに、お昼?」

 「そうそう、ちょ、相席さしてよ」

 私がいいと言うより早く私の目の前に座ってきた男は同じ四月入社の同期だ。入社すぐこそ仲良くしていたが、彼は文芸、私は事件ルポと早々に配属先が分かれてしまったので一緒に仕事することはほぼなかった。

 それでも社食(仮)ではこうして時々顔を合わせるので、今日のように時間の許す限りはお喋りに興じることも多い。同期との情報共有。うん、かなり社会人っぽい。

 「そういえばこの前の巻頭の記事──」

 「安藤、お前最近なんかヤバい奴と仕事してるらしいな?」

 開口一番、すごい言われようである。

 「あ、藤波さん? 変ではあるけど別に虐められたりしてないよ?」

 いや、若干いじめられてるか。というか、出会ってから数日、なんというか徐々に遊ばれ始めている。

 初日、宮島結愛との面会の後しばらく連れ回されたかと思えば、みっちり走り書きされたの紙を渡され、「スケジュール立てて電話しとけ」と言い放つや否や彼はどこかへ消えていった。

 その後も帰ったかと思えば急に呼び出され、取材しては次の任務を言い渡される日々がここ数日続いている。それはまあいい。一番腹立つのは宮島結愛の母親の帰りを外で待っていた日のこと。

 「おら、飯喰っとけよ」

 何やら袋を渡され、珍しくいいとこあるじゃんなどと思ったというのに。

 「あんぱんじゃないですかこれ〜! また馬鹿にしてるでしょ‼︎」

 「なんで怒んだよ。名前もあんぱんなんだからありがたく喰えよ」

 「はあ? 普通に優しくしてくださいよ⁉︎」

 優しいどころかデリカシーの欠片もない。むしろパンを貰わなかった方が心穏やかだったかもしれない。

 「腹減ってっからイライラしてんじゃねーの。あん……」

 「……」

 「……」

 「今、あんぱんみたいな顔しやがってって言おうとしませんでしたぁ?」

 「言わなかったんだからいいだろうが! 暑いんだから騒ぐな!」

 最悪最低である。思い返したらムカムカしてきた。やっぱり虐められているな、うん。出るとこ出てアイツを無職にしてやった方がいいかもしれん。

 「アイツ、なんかヤバい噂あるけど大丈夫?」

 はっと気づくと目の前で同期がやや声を顰めて身を屈めている。

 「ヤバい噂……? パワハラとか?」

 それだったらまあ、全然ありそうか? というか、ここ数日の所業も私に対してのパワハラだろ。

 私が彼を許せているのは「大手週刊誌の新人はもっと辛いらしい」という大学同期を嘆きを真に受けているからである。「はぁ⁉︎」とか言っても許されているのでもはや彼には気を遣わなくていいのではとまで思っている。

 「いや、昨日あの人が出社してるの見たウチの部署の先輩がさ、〝うわ、人殺しじゃん〟って」

 「はぁ……?」

 「わかんないよ、わかんないけどなんか元恋人かなんかが自殺? してるらしいよ」

 あまりにも予想を遥かに超えることを言われると人間は何も発せないらしい。意味がわからなすぎて口を開いては、閉じる。何か返答しようとして、また閉じた。

 「……ガチ?」

 「知らないって! 噂だから!」

 「噂といえどなんかソースあるんじゃないの⁉︎ ちゃんと聞いてきてよ! 怖いでしょうが!」

 こちとらその男とこれから二人で仕事しなくてはならないのだ。

 ──安藤ちゃん。君の今回の指名は監視役だ。

 編集長の言葉が脳裏を掠める。え、なに。私何かとんでもないことやらされてる⁉︎ ペーペーの新人ですけど。やだよ、なに監視しなきゃなんないの!

 「まがりなりにも記者だろ、お前。そんなに噂に踊らされんなよぉ。取材しろ、取材。本人に」

 「できるわけないでしょ〜」

 あの藤波龍之介に「人殺したって本当ですか⁉︎」なんて訊けるわけがない。

 と言うか人殺しってなんだ。自殺ってことは彼女を自殺まで追い詰めたってことか? やっているに違いないとまでは流石に思わないが、かと言ってやっていないとは言い切れない。傍若無人だし。彼女にはモラハラとかDVとかしていたのかもしれない。

 突然、ティントン、ティントン……とスマホが震え始めた。

 「やば、時間だ。殺人疑惑男のとこ行かなきゃ……」

 同期はといえばこちらを怖がらせるだけ怖がらせておきながらもうすっかりケロッとした顔でアイスコーヒーを啜っている。

 「まあ、なんかあったら電話よこせよ。行けるとこだったら助けに行ったるわ」

 「日本全国、海外でも助けに来てよ〜!」

 散々喚きながら店を出たら出発の予定時刻を五分も過ぎてしまっていた。よし、考えない。考えないようにしよう。一旦全部聞かなかったことにして、午後の取材を頑張ろう。私にはできる。ほら、忘れた。

 気合いを入れなければならない。今日これから話を聞きにいくのは電話しても当然のごとく取材を拒否された重要人物、春村登喜男の妻なのだら。

   ***

 夏は暑い。というのは小学生の頃からそうだったが、年々ありえないほど暑くなっている。汗だくになりながら藤波の待つ車へと近寄る。

 「お疲れ様です、藤波さん!」

 声をかけると彼は力なく頷く。おおきなタオルで汗を拭きながらスポーツドリンクを豪快に流し飲んだ。

 「もしかして今日も……」

 「帰ってくるまで待ちだな」

 薄々わかってはいたが、改めて聞くとげんなりする。この待ちの時間がいかに辛いかはここ数日でいやというほど体験した。

 まず暇だ。いや、実際には他の記事の書き起こしなどやりながら待つので暇ではないが〝待っている〟というタスクが常にうっすらと進行している状況が辛い。

 集中できないので結果的に大した作業ができず「待ち時間暇だな〜」という気持ちになる。それでいていざその時が来たら一瞬のタイミングも逃してはならない。警戒されないように話しかける。不慣れな者にとってこの〝待ち〟は辛い。

 やっていることは刑事さんがやる張り込みと同じだ。そりゃあんぱん買ってくる気持ちもわからんでもないが、こんな状況であんぱんを食べたい奴など恐らくいないだろう。

 車のエアコンというのは長時間最大風速にしておくといけないらしく、藤波があまりにも緩やかな設定温度にしているせいでまた環境は最悪だ。あんぱんなんてこっくりしたもん食べていられるか。

 取材とは電話やメールでアポを取り、場所をセッティング、腰を据えてお話しを聞く……というのを想像していたのに入社早々全然違う。

 「お前がアポ取れねーっていうからだろーよ」

 「あれは何をどうやっても無理ですよー。ピシャリって感じですもん。鉄壁!」

 「ならしょうがねーだろー。あい、塩飴いるか」

 お母さんかよ。

 運転席でリクライニングをいっぱいに倒して寛ぐ藤波に目をやる。私は、この数日、藤波という男がどういう人間なのか全く咀嚼できずにいる。

 無愛想で、ぶっきらぼうで、たまになんかくれる。

 自分のペースで突然呼び出して、すぐ帰る。

 車の時はどっかの駅で降ろしてくれる。

 意地悪を言う。

 意味があるのかないのかよくわからないことをいっぱいさせてくる。

 あんぱんと呼んでくる。

 取材の時、少しだけいつもと違う藤波龍之介になる。

 宮島結愛と話している時にも思っていたことだったが、それは昨日仕事帰りの宮島母に話を聞きにいった時にも感じたことだった。

 宮島の母は一度離婚しており、女で一つで娘を育てるバリキャリだった。パンツスーツがよく似合い、四十代にしてはとても綺麗なロングヘアには思わず憧れてしまうほどだった。

 夜遅くに帰宅した彼女は私たちを見てただただ迷惑そうにしていた。

 「娘のことはわからないんです」

 「あの子、私になんでも相談するようなタイプじゃなかった」

 「普通の子です。部屋も普通、読む本も普通、夜もいつも普通に帰ってくる。なんなんですか、本当」

 とにかくハッキリとした口調で彼女は答え続けた。

 わからない。変わったところは特にない。知らない。とにかく明日も仕事だから早く帰ってほしい。

 たしかに記者からの取材に嫌悪感を持つ心理は理解できる。でも、彼女の場合はそれとも少し違った。

 「仕事だったんですよ! 帰るのも遅くて! その日は特に何も話してないってさっきから何度も!」

 半ば叫ぶようにそう答える宮島母に対して、藤波は差し込むように問いかけた。

 「娘さんとしたことを、何か僕らに教えてもらうことはできないですか」

 その言葉を聞いた彼女は一瞬目を見開いて、そして、心なしか表情を歪ませると絞り出すように言った。

 「必死で、一生懸命育ててきた娘です。こんな風に中傷されるような子じゃありません」

 わからない。知らない。何も聞いていない。

 宮島結愛がしまいこんだ何か。母親が取りこぼしてしまった何か。どこにその始まりがあって、どうしてこうなったのか。迷惑そうに受け答えしていた彼女が最後の最後に滲ませたのは娘に対する困惑と簡単には埋めることのできない過ぎてしまった時間の大きさだった。

 「宮島結愛はどうして犯行理由も動機も何も語らないんでしょう」

 「さあな。自分でも本当の理由はわかってないのかもしれん」

 何故ターゲットは春村だったのか。何故人を殺したのか。

 「理由もわからずあんなやり方で人殺す人なんているんですか」

 そう訊いてから急に昼のやり取りを思い出した。

 ──〝うわ、人殺しじゃん〟って

 また、この人のことがわからなくなる。

 頑なだった母親を少しだけ変えた。宮島結愛の見えない暗闇にそっと手をかざすような言葉をかけた。

 それが彼の誠実さなのか、それともライターとしての技術なのか。はたまた、「人を殺す」ということそのものに何かわかりあうものがあるのだろうか。

 「おい、来たぞ」

 「はい! 私が話しかけちゃっていいんですか⁉︎」

 「おう、早くいってこい」

 「はい!」

 春村氏の妻、春村絢佳(あやか)は毎週木曜日の昼、都議や民生議員との付き合いが深い生花教室に通っている。確実に外出し、外出するということはいつかは帰ってくる。その後食事などに行かれたら長丁場確定だったが、流石に夫を亡くしてまだ数日。挨拶だけして帰ってきたのだろう。想定より車上待機の時間はずっと短かった。

 「こんにちは、株式会社薫陶社の安藤と申します。春村絢佳さんですね」

 彼女は困ったようにたじろぐと震えた声で返事をした。

 「お答えできるようなことは、何もありません……」

 後からきた藤波も問いかける。

 「春村議員は以前はだいぶお盛んだったようですが、あの不倫報道以来そのあたりは随分クリーンになったとか」

 「家庭の事情ですので……。しつこいようなら警察呼びますよ」

 おっとりとした雰囲気の彼女は声を荒げることはなかったが、警戒した様子で私たちを見ている。言葉は優しく、それでいて何も語らないという意志の強さが窺えた。数ヶ月前の夫の不倫報道でもマスコミがどれだけ彼女を追い詰めたのか想像できるような気がする。

 「宮島結愛さんとご主人の接点などお心当たりはないですか」

 「知りません。なぜ主人が殺されなきゃいけないのかなんて私の方が知りたいです。もう、お引き取りください」

 絢佳はそう言って深々と一礼すると足早に自宅の中へ消えていった。私も藤波もそれ以上追いかけることはしなかった。そこそこ待って、収穫はゼロ。なにこれ。〝普通の女子高生〟宮島結愛と春村に交友関係なんてやっぱりなかったのかもしれない。

 「なんで刺されちゃったのか全然わからないって感じでしたねー」

 春村の自宅があるという高級そうなマンションに背を向け藤波に話しかける。

 「あぁ。嘘ついてる感じはなかったな」

 「ライターの勘って奴ですか?」

 「なぁ、アンタら週刊誌?」

 不意に背後から知らない声に呼びかけられ慌てて振り向く。

 立っていたのは高校生くらいの男の子だった。

 「母さんが、下でなんか話聞かれたって言ってたから」

 服装こそ特に気を遣っている様子ではなかったが、利発そうな雰囲気を持った男の子だった。部屋着っぽいスウェットに適当なサンダル姿で軽く息を切らしている。話を聞いて飛び出してきたのだろう。

 「ごめんなさい。お母様に不愉快な思いをさせたかったわけじゃないの。春村議員について調べてて」

 彼はそんなのわかっているという顔で話を続ける。

 「なんかわかった? 親父、女子高生にも手ぇ出してたわけ?」

 「まだわからん。証言はない。君の目から見たお父さんはどうだった」

 藤波の問いかけに対してムッとした様子で青年は視線を外す。深い溜息が一つ。その様子は「もうウンザリ」という感じだった。

 「やってたんだろ、どうせ。女に刺されるってそういうことだろ。自制の効かない動物。マジでクソきしょい」

 「そこまで言わなくても……」

 「迷惑被ってんの。俺も、母さんも」

 青年が凄む。その怒りが向いている方向がわかっているはずなのに、どこか自分も責められているような気持ちになる。

 「もし違うんだったら、ちゃんと調べてちゃんと書いてくださいよ」

 「あ、ちょっと待って。この後よかったらゆっくりお話しでも」

 「テスト期間で忙しいんで、じゃ」

 そう言って彼は踵を返すと重厚なセキュリティに守られた城へと帰っていった。

 迷惑被っている。連日飛び交う憶測と中傷に眩暈がする。痴女のもつれでナイフを振り翳したメンヘラ女。普通で素朴な女子高生宮島結愛。遊び放題で未成年にも手を出していた都議会議員。誰かの夫であり、父親であった春村登喜男。真実は何もわからず、人の言葉を伝ってまた何か新たな真実が生まれる。

 「春村はやっぱり宮島結愛と関係を持っていたんですかね」

 車までの数分の道で藤波に話しかける。

 「いや、その線はほぼほぼないな」

 「えっ、なんで」

 あまりの即答に拍子抜けする。藤波の「当たり前だろ」みたいな顔には無性に腹が立った。

 「おととい春村が入り浸ってたクラブにいってきた。聞くところによるとアイツのお相手は百発百中その店繋がりだった」

 「え、一人で遊びに行ったんですか?」

 「宮島結愛が出入りしているのを見た子はいなかったし、そもそも夜は普通に帰ってきていたと昨日母親も証言してる」

 おい、今無視しただろ。まあいいか。というかそれなら。

 「えー、じゃあさっきのなんだったんですか⁉︎」

 わざわざ春村妻に突撃して二人の関係を聞く。その前にもう答えは出ていたということか。というか、わかっているなら何故私には言ってくれない。というか散々待ってこんなのあんまりではないか。

 「まあ、一応確認?」

 「ひど〜! なんで先に教えてくれないんですか! まあでも絢佳さんも宮島結愛との関係は知らないって言ってたし証言としては合ってますよね!」

 「……あんぱん、お前面白い奴だよな」

 全然嬉しくないんですけど。そう思ったけど車に着いてしまったので口には出さなかった。多分助手席乗っていいだよな、とここ数日の経験で藤波の車に乗り込む。多分、今日もどこか丁度いい駅で降ろしてくれる。

 不思議な人だな、と思う。本当に人を殺したことがあるのだろうか。もしくは、本当に人を死に至らしめるまで追い詰めたことがあるのだろうか。恋人かぁ、あまり想像できない。この無愛想人間でも恋人の前では照れ笑いの一つや二つするのだろうか。

 会話のない車内でぼんやりとここ数日の日々に思い巡らす。藤波が駅のロータリーで車を停める数秒前、「あぁ、そういえば今日は普通に歩いても歩調があってたな」なんて、やっぱり彼という人間について逡巡してしまった。


続く

いいなと思ったら応援しよう!