【#創作大賞2026】一架の声が聴こえる?(四)
前回
(四)
夕暮れの空き教室で彼女は泣きそうな顔で笑っている。
「藤波先生」
先生なんてやめてくれ、そう言おうと思って口を開いてもうまく声が出ない。
「先生、なんで人を殺しちゃいけないんでしょう」
彼女が泣いているのか、笑っているのか。頭がクラクラしてよく見えない。眩しい。窓から差し込む西陽が痛い。
──法の力を借りず己れ自身の手にて制裁を加えるべきです。
ハッとして目が覚める。最低な寝起きだった。口がカラカラに乾いて、頭がグラグラする。心臓がバクバクと脈打つ音が聞こえるような気がした。
「チ、あんな手紙見たせいだ」
夢見が悪かっただけでなく寝坊もしている。まぁ、飯やらシャワーを手抜きすればまだなんとかなるか。俺は冷静。俺はいつも通り。全然オッケー。よし、いける。
準備をしながら、昨夜ウッキウキな声で電話をかけてきたあんぱんのことを思い出す。
「藤波さん! ようやくー件アポ取れましたぁ!」
面白い奴だなぁ、と思う。今まで綿貫から仕事を貰ったことは幾度とあれどオマケが付いてきたのはこれが初めてだった。
喧しいわ、経験はないわ、フラフラしてるわ、最初はどうしてやろうかと思ったが、意外とタフだ。素の声がデカくて度胸もある。ちんちくりんなので女に対して取材にあたるときは俺が話しかけるより遥かに警戒させないオーラもある。
とにかく思いの外働くし、へこたれない奴だった。
刑事事件ともなると重要な参考人たちは大抵疲弊している。週刊誌やら記者やら何やらにうんざりしていることがほとんどだ。電話でアポなんかほぼ取れない。それでもいきなり押しかけるよりよっぽどマシだからとりあえず挨拶しておく。そういう不毛な作業がこの仕事には発生するのだ。
しかしながら、今回はアイツがいるのでその分他のことに時間が使える。悪くねぇなぁ。あんぱんの一つや二つ買ってやるのもやぶさかではない。なんか似てるし。
「藤波さんの取材見てて思ったんですけど、やっぱりこう時々? ちょっと訴えかける? みたいなヤツ大事かなって。〝貴校の大切な生徒の尊厳を守るために!〟とか言ってみたら最終的に理事長さんが訪問許可してくれました!」
「お前、なんかすごいな……」
少々口数が多くギャンギャン煩いので目の前にいるとそれこそ口に食べ物を突っ込んでやりたくなるが電話だとそうもいかない。
まあ、「テレアポ辛くて……」などと泣かれても困るのでそのままでいいか。本音のところはアポなんて取れなくても掛けといてくれるだけで助かっているが、面白いのでこのまま本気でやらせておくことにした。
***
「藤波さ〜ん! 今朝送った文字起こし確認してくれました〜?」
「あんぱんお前、あれ朝っていうか深夜だろ。あんな時間に送ってくんな」
「でも、結局見るのは朝じゃないですか」
社畜の才能がありそうな新人を連れて向かう先は学校。このちんちくりんがアポを取ってきたのは宮島の担任教師への取材だった。
昌徳大学附属昌徳第一高校。母体の大学はわりかし優秀。高校受験はそこそこ頑張る必要がある、どちらかといえば真面目な校風。ここに入ったらそのままエスカレーターで大学に上がる生徒も多いだろう。校門を潜(くぐ)ると生徒たちも、学校全体もどことなく落ち着いた雰囲気があった。母体の大学のイメージがいいと高校のうちから得だよなぁ、と思う。
「なんか校舎綺麗ですね。宮島ママ学費がんばってただろーなぁ!」
「まぁ、もう払いたくても払えなくなっちまったわけだが」
さて、と受付で名乗り来賓カードとやらを受け取る。安全ピンのタイプのカードでやや萎える。首から下げるタイプであれよ。
子どもの頃は知らなかったが、一般的に〝学校〟に対して訪問する際は応接室として校長室とか理事長室に案内される。「理事長室ってなんかかっこいいですよね」と何故かウキウキしているあんぱんに「そんな理事長室は漫画の中にしかねぇよ」と心の中でツッコミを入れながら小綺麗な廊下を歩いていく。
夏休みかと思っていたが、教室や部室とは少し距離のある職員棟にもちらほらと生徒の姿が見えた。制服に身を包み、友達と駄弁ったり自習に勤しむ彼らを盗み見ながら数日前に面会室で対面した宮島のことを想った。
あの部屋の、ガラスの向こう側にいることがどこか異質だった彼女は、校則通り制服を着てここに立っていた時はきっとちゃんと本当の〝宮島結愛〟としてこの場所に馴染んでいたのだろう。
辿りついた先、理事長室とやらに入るとそこには異様な緊張感が広がっていた。
ふてぶてしい顔をしたオヤジが二人。一人は全体的に細長い印象で銀髪をセンターできっちり分けた厳格そうな容貌。
もう一人は小柄で小太りな眼鏡の男。その二人の間に挟まれて小さくなっている若い女性がどうやら担任教師らしい。
口元に微笑みを浮かべながら一切目の奥が笑っていない風神雷神どもの醸す雰囲気はこの理事長室という空間を完全に支配していた。さっきから横であんぱんが落ち着かないのを感じる。黙っているのにコイツは煩い。キョロキョロすんじゃねぇ。
「昌徳大学附属昌徳第一高校、理事長の相原(あいはら)と申します。本校生徒のために足をお運びいただいたようでありがとうございます」
「校長の嶋田(しまだ)です。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ突然ご連絡してこうしてお時間を作っていただき感謝しております」
そう挨拶すると中央に座った女性が「長谷川(はせがわ)です……」と蚊の鳴くような声で名乗り頭を下げた。
あんぱんに向かって「いけ」と目で合図をすると「安藤帆奈です‼︎」と空回りの馬鹿でか声で挨拶したのでかなりカオスな空間となった。これはこれでよし。雰囲気でかましておくのも大事。
「お若いのに、すごくしっかりされてて溌剌としてらっしゃいますね」
「うちの長谷川と同世代かな。まぁ、担任としても勿論だけどね、ほら、女性ならではの目線で今回の件も見てますから。僕らおじさんには見えてないことにね、気付けたりしますから」
色々聞いてください、と風神雷神は相変わらず笑っていない瞳で微笑んだ。胡散臭えな、という心の呟きは一旦胸にしまって。
「ありがとうございます。それではいくつかお伺いさせていただきます」
用意してきた内容からその場で気になったことなど、整理しながら訊いていく。しかし。
「宮島さんのご友人関係はどうでしたか」
「どう、と言われましても」
「特に親しい子や休み時間の様子などなんでもいいです」
「特別誰かと仲がいいとかではなかったと思います。孤立していたというわけでもありません」
何か変化があったかを訊いても。
「私の目から見て特に変化があったようには……」
とにかくすべてが曖昧だった。学年が変わる前の話は勿論、最近の話についても自信なさげにおろおろと答える。
なんだ、この違和感……。
「ありがとうございます。質問を変えますね。宮島さんが入学されてから先生方、学校自体に何か変わった点などないですか」
「そうですね、特に大きな変更点や事件などは思いつかないですねぇ」
答えたのは小太りな方の校長だった。
「彼女が今回ああいった行動に出たのも、もっとご家庭や彼女のプライベートに関係があるのでは?」
それ以上はもはや何を訊いても意味はなかった。
担任だという女教師はそこにいることこそが今日の仕事だとでもいうかのように終始空虚だった。暖簾に腕押し。糠に釘打ち。隠している、というよりむしろ今日のために連れてこられたバイトだと言われた方がまだしっくりくる気がした。
「流石にホームページに名前も顔写真もありましたよー。存在してんのかぁなんて、藤波さんドラマ見過ぎですよ」
お前には言われたくねーよ。
「確認だ確認。こういうのが大事なんだよ、後々」
理事長室から校舎を出るまでの間、良識ある大人だったら静かに歩くもんだろうが、あんぱんがあまりにもすべてを口に出すので次第にどうでもよくなってきた。
「っていうか、アレめっちゃムカつきました! なんなんですかね」
大声でこの学校の何かに苦言を呈すのはやめてほしいが、注意するために声を出すのが怠くて黙って聞き流す。
「あの〝女性ならではの目線〟ってやつ。ないっす、そんなの。あれマジで腹立ちますー!」
その一言だけでそんなにブチ切れられることなのか生じてピンとこないが、あんぱんは依然として沸騰中だ。
「そもそも! 女にも色んな人間いますから。で? こっちが頑張って出した意見になんか違うなぁみたいな顔すんですよ! すみませんね、女の中央値みたいな意見出せなくて! どうせ私なんか外れ値ですよ外れ値!」
「……お前も色々苦労してんだなぁ」
俺の一言を聞いたあんぱんは一瞬ピクンと固まると心底呆れたという顔で溜息をつく。
「藤波さんて、死ぬほどノンデリですよね」
そうなのか。どこら辺が今ノンデリカシーだったか? そもそも「そうだよなぁ、おまえ変わりもんだもんな〜」を飲み込んで寄り添ったかなり良い返しだっただろうが。
こういうやり取りから察するに俺も〝女性ならではの視点で〟的な物言いを無意識でやっているんだろうなぁと思う。それをそのまま言ったら沸騰中のこの女に「やってますよ? 自覚なかったんですか?」などと言われそうなので大人しくしておく。黙って直す、それくらいが丁度いい。
言われてみれば、俺が今若かったとして、上司やら偉い人間に「最近の若い子は音楽何聴くの」などと言われようものなら「人それぞれっすね」と言ってそのまま帰るかもしれない。
「あの長谷川先生、本当にあんな感じでよかったのかなぁ」
意志のないマリオネットか、それともそれを演じるしかないのか。
学校が取材を受けたのは彼女を矢面に立たせながら「学校は事件とは無関係である」とメディアに報道してほしかったから。あの風神雷神ペアの思惑はそんなところだろう。しかし。
「絶対まだなんかありますよ、この学校」
「同感だ」
昇降口でスリッパを返却しながら聴こえるチャイムに懐かしさを覚える。
「そういえば、昨日私あの手紙読み返してたんですよ。あの法ではなくて己で制裁! みたいなやつ、なんかの名言ですかね。検索で出てこなくて」
「あぁ、あれはイソップ……」
「あのー、すいません」
呼び止められたのは俺ではなくあんぱんの方だった。
「もしかして週刊誌の人ですか?」
「あ、週刊誌ではないですけど、事件記事のライターをしています」
ぺらぺら喋るなよ、と釘を刺すより早くあんぱんは声を掛けてきた男子生徒に名刺を渡す。
「うわ! 本物!」
男子生徒は名刺を見ながら目を輝かせて軽く飛び上がる。元気だな、DK。
流れるようにあんぱんが名前を訊ねると彼は若干緊張したような面持ちで「き、……菊池悠馬(きくちゆうま)っす」と名乗った。
夏服の制服にエナメルバッグ。部活で登校しているのだろうか……、などと観察している間に二人は「えー、バスケ部か! なんかわかる!」「先月の大会までレギュラーっす。引退して勉強!」などと盛り上がっていた。
「で、えっと、藤波さん? でしたっけ?」
ひとしきり喋り終えたのか悠馬と名乗った生徒がこちらを向き直る。
「宮島がなんであんなことになっちゃったのかもうわかったんすか?」
「宮島結愛の友達か?」
「いや、前クラス一緒で。あの人ああいうことするタイプじゃないすよ」
悠馬は眉間に皺を寄せてそう言う。もう完全にエナメルバッグを床に置き、話し込む気満々だ。あんぱんはというとやっぱりコイツも返却しようとしていたスリッパを履き直していた。似てるなぁ、コイツら。
「先生たちは? なんも言ってなかったっすか? アイツらなんも教えてくんねーんすよ」
「ね、学校ってなんであんな口硬いんでしょう。さっぱりですよね、まだ」
「こら、あんぱん」
「えー、記者でもさっぱりかよー」
この状況は一体なんなんだ。完全にペースが二人に傾いている。いい加減に帰るぞと声をあげようとしたその瞬間、悠馬がすかさず口を開いた。
「ねね、二人は逮捕された後の宮島に会ったんだよね」
「いやまあ」
答えるのかよ。
「俺も行ってみたい。連れてって」
俺たちはとんでもねーガキに捕まったらしい。お前のような奴は世の厳しさを知れってもんだ。
「ダメですよー、私たちこう見えて遊んでるわけじゃないんです!」
「どう見ても仕事してるだろうが。一人で行け。勝手に行け」
宮島が会ってもいいと思えば勾留中は友達だって恋人だって面会も差し入れも可能だ。裁判が始まれば状況が変わる可能性はあるが、少なくとも今ここにいる俺たちに立場の違いはない。会いたきゃ会いにいけという話だ。
「だってー、なんかどうしたらいいかわかんなくて怖いじゃないすか。あ、わかった」
次から次へと本当によくそこまで喋ることがある。男子高校生ってもっと寡黙じゃなかったか。俺だけか?
「特大の情報提供したら、連れてってくれる?」
自分から「特大のネタ」と言って記者の元を訪ねてくる協力者に特大ネタあらず、というのがこの業界の常識だ。ましてやそれを言うのは事件に全く関係ないそこらへんの高校生だ。聞くだけ無駄なこともあるが聞かないよりはずっといい。これもまたこの業界の鉄則。
「言うからね! 聞いてから判断してよ! 誠意見せてね!」
続く言葉にどれだけの価値があったか。それは今はまだ正確なところはわからない。
それでも、少なくとも俺たちが警察署のあの薄暗い部屋に一緒に行ってやってもいいかと思うくらいには菊池悠馬の証言は意味を宿していた。
続く
