【#創作大賞2024】いなくなったきみへ第九話
いなくなったきみへ
前回
knot
小さな頃からきちんとした子になるよう育ててきた。女の子だし、将来お嫁に行く時にきちんとしたお家の子だと思われた方がいいもの。
あの子は要領が悪いから、一通り自分のことができるように育てないと。
まだ洗濯終わってないの? お母さん一人であなたを育ててるんだから、もっと気を遣いなさい。いつまで部屋に籠ってる気なの。いいわね、学生はお気楽で。
遅い。何分かかってお皿洗ってるの? 流しっぱなしの蛇口に手を浸し、パッと娘の顔に水を掛ける。驚いた顔で娘が固まる。お水、勿体無いでしょ。いい加減にしてね。
大学も大丈夫かしら。あの子抜けてるとこあるから。デザイン科の学校に行きたいなんて夢みたいなことを言い出した時にはどうしようかと頭を抱えたけれど、きちんと将来の話をしたらわかってくれた。お母さんがしっかりあなたに向き合ったから、一流とまではいかなくても有名私立に行けたの。きちんと卒業するのよ。必ず。
何、その眼は。バイト? 誰のおかげで毎日ご飯が食べられて綺麗な家に住めていると思ってるの? 遊ぶお金がほしいのはわかるけど、まず家族にその感謝を返すべきでしょう?
言い聞かせたら、あなたを愛していることが伝わるように行動で示さなくちゃ。
手を撫でてあげようと触れると振り払われる。
自分、自分、いつも自分。そうやって反抗的になっちゃって。やっぱり遊びに行く暇があるなら、お母さん家のこと手伝ってほしいな。
ほら律子、どうするの。自分で決めなさい。
八.墜落
古河律子、君に伝えたいことがあります。
君に出会った瞬間から僕の人生は途端に色づき始め、味気なかった日常は漫画のワンシーンよりもずっとドラマチックに輝きだしました。
僕は君に感謝を伝えたい、と常日頃から思っていました。今がその時だと思うのです。僕は君のためだったら何だってできるし、どこへでも行けるのです。
初めて会った日のことを覚えていますか。
君は本当に優しかった。人から優しくされるより冷たい視線を贈られることの方が多かった僕は舞い上がってしまいました。
学部の、少人数講義の第三回。四月の二十五日のことでした。前の年、その講義の単位を取りこぼしてしまった僕は就活の合間に同じ講義をやり直していました。勿論、再履修ですから友達はいません。君ら三年生の輪になかなか入れなかった……。
そんなとき君は、たまたま隣にいた僕と発表を受けての意見交換をしてくれましたね。君に話しかけて本当によかった。僕の人生を前向きに変えてくれたんだから。
今でも覚えています。初めて会った日に言ってくれたことを。浮いてる僕と組んでくれてありがとうと伝えると、「いえいえ。私も中学の頃、友達できなかった経験あるので」とはにかみながら言ってくれたね。僕のこと、気遣って。
つぶらな瞳と派手すぎない容姿が控えめで可愛らしかった。その緊張した、ぎこちない笑みを見て僕は確信したよ。君も僕を気にかけてくれてるんだって。
それから講義でペアを組めることはなかなかなかったよね。いつも誰か邪魔が入る。君は人気者だから。二人で話そうとしても君はいつも忙しそうだった。これから部活だとか、バイトに行かなくちゃとか。頑張り屋さんなんだね。
カフェのバイト、よく似合ってると思う。何かの用事のついでにあの駅を通るとガラス張りの店内が見えて、君が愛想よくコーヒーを提供してるの、いつも見守ってた。そんなに感じがよくちゃ危ないよ。君は誰より綺麗なんだから。変な男が寄ってきてしまう。
それでも、僕は他の誰より君と時間を過ごしていたと思う。君も忙しい合間に「すみません、いつも」と寂しそうに笑っていたね。僕も一緒に照れ笑いした。
わかるよ。君もあの講義では友達が少なかったんだよね。だから、一人でできなそうな課題や休んだ講義のこと、僕にメッセージで聞いてきたんだよね。それが僕らのきっかけになった。
そんなところも僕たち似た者同士だね。
可愛らしく笑う姿も、大教室で居眠りしながら講義を受けている姿も、かっこよくベースを弾きこなす姿も全部見てたよ。全部好きだ。
あの、客席をチラッと見上げて僕を見つけて笑う顔が好きだ。僕にここにいていいって言ってくれているみたいで。
僕の人生は古河律子という恋に真っ逆さまに落ちていったんだ。
君がそうやって応えてくれるのが嬉しかった。その度に、あぁ、同じ気持ちなんだと幸せになれた。
だからね。君の傍に悪い男がやってきたら。どこにいても必ず僕が駆けつけて、もう近づかないようにしてあげるからね。
あの男、絶対君のこと狙ってるよ。バイト中に君のこと小突いたりして、嫌な男だよ。危ないよ。
君が学校で困った時、甘えたように僕を頼る上目遣い。あれは誰にでもやっていいものじゃないんだ。僕だけにして。でないと皆んな勘違いしてしまう。
あぁ、断れないんだね。君は忙しいのに。お母さんのお手伝いやサークルがあるのに、その男の為にバイトのない日まで電車に乗ってバイト先に来いって言われてるんだ。
寒いね。寒い中、アイツが終わるのをひとりぼっちで待たされてるなんて。僕が今すぐ隣にいって声を掛けてあげたいけど、ダメだよね。こんな街中の目立つ場所でアイツが逆上でもしたら。君は被害者なのに、そうやって注目されたら余計に傷つくよね。
安心して。僕は君がどこにいても君を守るから。たとえアイツの根城に乗り込まなければならなくなっても、少しも怖くないから。
アイツがよからぬことをする前に僕が駆けつけるから。
律子、律子には本当に感謝してる。出会ってくれてありがとう。
インターホンを押す。オートロックなんてない、お部屋直通のインターホン。
「こんばんは。馬場さんですよね」
僕、今日ここへ律子に呼ばれていて。
ドアが開く。
さあ、律子の前だ。優しく笑わないと。
「横山さん……!なんで……!」
律子の驚く声が男の後ろから聴こえる。
愛する律子、会いにきたよ。
僕が君を守るからね。
続く
