【#創作大賞2024】いなくなったきみへ第十話
いなくなったきみへ
前回
九.遺書
まさか自分の人生で遺書を書く日が来るとは思いませんでした。
普通の家庭に生まれ育って、高校生になって、当たり前みたいに大学受験して、ストレートで大学生になりました。劇的な体験もなく、天変地異みたいな災害で生活が一変した経験もない、普通の大学生。
人生は分岐の連続、と父さんはよく言っていました。この選択をしたから母さんと出会えたし、お前たちが生まれたんだ。父さんの分岐は大成功の連続だ。そう言って僕ら兄弟を抱きしめていました。
〝人生は分岐の連続〟
じゃあ僕は、どこで選択を間違えたんだろう。
バイトを始めたときでしょうか。
最寄駅のカフェをバイト先に選んだ時でしょうか。
それとももっと遡って、上京する時あの街に家を借りたことでしょうか。
━━古河律子を好きになってしまったことでしょうか。
彼女は何も悪いことはしていない。
これから僕がここに書くことは本当に僕が勝手にやったことで、彼女に頼まれてもいないし望まれてもいないことです。
それだけは信じて欲しいのです。
きっかけは律子ちゃんと上がりの時間が同じだったある日のことです。去年の、五月か六月くらいのことでした。
その日、二人は要らない程度の閉め作業が残ってしまったので、僕が一人残り、律子ちゃんに先に上がってもらった筈でした。けれど、僕が着替えも終えて店を出るとまだ店の前に律子ちゃんがいました。
帰らないの? と声をかけると律子ちゃんが顔を曇らせて言ったんです。
「最近、追い回されてるから帰る時間ずらしてるの」
そういうことが実際にあるとは思っていなくて、初めは驚きました。でも、自分が知らないだけでこの世にはあるんだよな、女の子は大変だよなって思い直しました。
失礼かもしれないけれど、特に律子ちゃんはすごく可愛らしい人だったからある意味納得したというのはありました。容姿はもちろんですが、少し打ち解けてからのあの笑い方や話し方。〝女の子〟って感じで僕だって惹かれました。
それから彼女にそのストーカーのことをよく相談されるようになりました。
その人の名前は横山大輝といいます。立明大学の四年生です。
律子ちゃんは優しいからか純粋だからかそいつのことを〝ストーカー〟とは言いませんでした。僕に話す時も〝横山さん〟と呼んでいましたし、距離感が近いだけで悪い人じゃない、普通のクラスメイトぐらいの距離感になりたい、と話していました。
僕は認識が甘いんじゃないかと常々彼女に伝えていました。もっと危機感をもって対処した方がいいんじゃないかって。その度に彼女は大袈裟にしたいわけじゃないの、私も思わせぶりだったかも、と横山を責めませんでした。
それでも、話してくれるだけいいなと思っていました。律子ちゃんはあまり人に自分の話をするのが得意じゃないと言っていたから。
「こんなこと話せるの昴生くんだけだな」
「聞いてもらえるだけで少し落ち着けるの」
ストーカーのことだけじゃなくて、お母さんのこと、中学の時はクラスの女子に虐められたこと、彼女がどんどん弱みを見せてくれるようになりました。
頼るのが苦手な彼女が僕を頼ってくれることが嬉しかった。
そんな風に相談に乗る内にバイト以外の日もちょっとずつ会えるようになりました。
バイトに出勤してくるパーカー姿じゃなくて、花柄のワンピースを着たり、デニム地のオーバーオールを着ていたり。私服姿が可愛くて正直すごくときめきました。バイトに入ってきた当初のツンとした印象と今は違くて、そのギャップにやられてしまったわけです。
一緒にいるうちに律子ちゃんのことをどんどん好きになる自分がいて、でも、それは律子ちゃんを怖がらせるんじゃないかと常に葛藤しました。
僕は背も高いし、元々運動部です。今いる山岳部もむさ苦しい野郎ばかりで、彼女のように小さくて可愛らしい感じの女の子には不慣れでした。
パキパキしてて、話しやすくて、向こうも野郎と話すのに慣れてる感じの子なら上手く話せるのに。メッセージのやり取りも続くし、電話だって余裕なのに。
律子ちゃんに一度「電話は苦手なんだよね、ごめんね」と言われたら、声が聴きたくても掛けられませんでした。
彼女も恋愛とか得意じゃないと前に言っていたから、どうやったら上手いこと付き合えるか山岳部の飲み会で相談してしまうほどでした。
ズルズルと引き摺る片想いの中、ストーカーの横山の件も僕らは扱いに困り始めていました。横山の言動は少しずつですがエスカレートしていました。講義で過剰に話しかけるだけでなく、跡をつけてはバイト中ずっとガラス越しに見つめてきたりと目に余るものになっていきました。
しかし、じゃあ実際に警察に言おうという大きな事件があったわけではなく、どうしたら律子ちゃんに前向き考えてもらえるかというところがネックでした。
そんな時、彼女があるきっかけをくれたんです。
「一月十七日、私誕生日なの」
誕生日、まだ丸っと空いちゃってるんだ、と律子ちゃんから言われたんです。なんで自分はそんな日にバイトを入れてしまったんだと心の中で大暴れです。それでもめげずに誘ってみました。
それ、俺が誘ってもいいってこと? って。
彼女が耳を赤くして「うん」って答えてくれたんです。こんなん脈しかないだろうと大喜びしました。
だから、その時決めました。一月十七日、彼女の誕生日。家に呼んで彼女を祝って、ビシッと告白しよう。付き合えたその時はきちんと二人で警察に相談にいこう。
ただのバイト先の男の言葉じゃない、彼氏の言葉として横山大輝を切り離そう、と。
当日、僕のこと駅で待つ彼女を見て、なんて可愛い子なんだろうと改めて思いました。冬の寒さに頬を赤らめてマフラーに顔を埋める仕草が小動物みたいで思わず頬が緩みました。
僕は彼女に夢中で何も見えていなかったんです。
僕の部屋に着いて、二人で買ったオードブルを食べ終えて、誕生日を祝いました。来週か再来週、二人で遊ぶ約束をしました。ケーキはまだ早いよねなんて話しながら、ふつりと会話が途切れます。
よし、言おう。今、言おう。そう心に決めて彼女に話しかけようとした瞬間です。
インターホンが鳴りました。
有坂か、それとも別の山岳部の奴か。間が悪いなと苛つきながら画面を見ました。
そこにいたのは、バイト中にいつも遠くから僕らを見つめてくる、横山大輝の姿でした。
悩みました。律子ちゃんがいるんだからドアを開けないべきでしょう。
でも、ここで一度、直接ガツンと言えば……。
横山は明らかにヒョロヒョロとした気弱そうな見た目です。上背のある男の俺が怒鳴ればもう近寄らなくなるんじゃないかと思ったんです。
だから、ドアを開けることにしました。玄関と室内を遮る扉を閉めて。絶対出てきちゃダメだよと律子ちゃんに念を押して。
ドアが開いた瞬間、歪んだ笑顔で玄関に立つ横山は本当に気色が悪かった。
鳥肌が立った。
横山は妙に滑らかな動きで胸元から刃物を取り出し僕に向けました。その時、
「横山さん……!なんで……!」
何故か律子ちゃんが飛び出してきたんです。
それからの数秒間、いくつものことが同時に起きて何が何だかわからなくなりました。
律子ちゃんが「昴生くん危ない!!」と叫びながらこっちへ走ってきてしまうんです。
危ないのは君なんだよ。君が刺されてしまう。殺されちゃうかもしれない。君がこの最低な男に傷つけられていいわけがないんだ。僕は君と普通にささやかに幸せになりたいんだ。ドラマチックなことなんて別にいらない。普通に恋して、普通に隣で過ごしたかったんだよ。
もうやめてくれ。もう死んでくれよ。
何かの拍子に刺してしまったのではありません。
死んでほしいと思って、横山大輝さんを刺しました。殺そうと思って、刃物を奪いました。
自分がそんなことをしようと思う人間だったことに絶望しました。
僕が浅はかで短絡的な人間だったから、彼女をもっと傷つけてしまったのです。
彼女が泣いてるんです。
「私が死にたかった」
「昴生くんにこんなことさせたかったわけじゃない」
「私が代わりに死んでたらよかった」
独りで泣いてるんです。
君は何も悪くないよ。全部僕のせいだよ。そう彼女に伝えたかった。彼女に生きてほしかった。
だから言いました。
「全部俺が何とかするから。なかったことになるから」
だから生きて。ちゃんとどこかで生きて。幸せになって。
自分が彼女と幸せになるのはもう無理だろうけど。
彼女をここから遠ざける手伝いがしたくて渡せるだけのお金を渡しました。どこでもいいから、東京から関東から逃げて。君は全部忘れて生きて。
時間は僕が稼ぐから。
律子ちゃんは最後に虚な目をして僕に訊きました。
「私のこと好き?」
好きだよ、大好きだよと抱きしめました。
「こんな私のどこが好き?」
全部好きだよ。優しいところも、笑った顔も、泣き顔だってこんなに綺麗で、俺を助けようと部屋から飛び出してくるその強さも。全部愛してるよ。
とびきりの愛の言葉を贈ったつもりだった。彼女も抱きしめ返してくれると信じていた。
でも、彼女は僕を突き放した。
「違う! そんなの私じゃない!」
聞いたことのない大きい、強い声だった。
「私だって!」
「私だって、ちゃんと愛されたかった!」
意味がわからなかった。彼女がどうして泣いて怒るのか、僕には何も分かりませんでした。
ただ「ごめんね」という言葉を残して彼女の後ろ姿が小さくなっていくのを見つめていました。
僕は何のためにこんなことをしたのでしょうか。
僕はどうしてこんなことをしたのでしょうか。
どこで間違えたんでしょうか。
どの分岐まで戻ってやり直せば、彼女と幸せになれたでしょうか。
騒ぎになる前にレンタカーを借りて横山を捨てにいきました。
千葉まで一人で運転して、夜な夜な鋸山に死体を置いて、帰ってきて。バレるに決まってるだろうと我に帰りました。だって、殺人です。事故なんかじゃないんです。
しらばっくれるなんてきっと僕はできない。きっと律子ちゃんのことを話してしまう。
だから死のうと思います。
一人で死のうと思います。
***
ダメだ。こんな遺書じゃダメだ。
こんなもの誰にも見せられないじゃないか。
インターネットカフェの個室で頭を抱える。もう家には帰れない。あの玄関を怖くて見られない。
打ったばかりの文章を全て消去して、パソコンの画面を真っ新な状態に戻す。
書き直そう。もう一度始めから。そうだな、書き出しは……。
これは遺書です━━
最終話につづく
