書くことは、今日のわたしに「おかえり」と言うこと。─毎日更新をしていたときの、ほんとうの気持ち。
「毎日書いてる人って、どんな気持ちなんだろう?」
そう聞かれて、あの日のわたしが思い出された。
ヤスさんに届いた質問に、同じく、毎日更新がとぎれてしまった私が回答したいと思います。
「ヤスさん、放課後ライティング倶楽部のみなさん、こんばんは。
33日間がんばって毎日記事を投稿しました。けれどそこでぷっつりと糸が入れたように書けなくなってしまったのです。みなさんはどんな気持ちで毎日更新をしているのか知りたいです」
33日間、毎日投稿をされたとのこと。
それって本当に、すごいことだと思います。
「毎日更新」と聞くと、ストイックな挑戦のように聞こえるかもしれませんが、私にとっては、もっと生活に近いものでした。
たとえばそれは、「おかえり」と言うようなこと。
自分に、今日という日をちゃんと通過したよ、と伝えてあげるような。
誰に見せるでもない日も、「今日のわたしはこうだった」と記録しておくことで、
なんだか少し、呼吸が深くなるような感覚がありました。
更新を続けていた日々には、いろんな気持ちがありました。
「今日も書けた!」と、ちょっと誇らしい気持ち。
「正直、ネタがない……」と、笑ってしまう夜。
「誰かに届いたのがうれしい」と、静かにじんわり喜ぶ朝。
でも、一番大きかったのはたぶん、
「書くことで、自分の輪郭が少し見える気がした」ということかもしれません。
人のことばかり考えて、あっという間に過ぎていく日々の中で、
たった数百字でも、「これはわたしの言葉」と感じられる時間が、すごく大事だったんです。
だから、毎日更新していた気持ちは──
「書かなきゃ」じゃなくて、
「書きたいから、今日も帰ってきた」に近かったのだと思います。
けれど、そんな日々のあとに、私も更新が止まりました。
認定司書論文という、別の「書くこと」に向き合っているから。
書く方向がちょっと変わっただけ──と、自分に言い訳をしながら、でもやっぱり、どこか「戻れなくなってしまった」ような気がしていました。
そんな中、ヤスさんの記事で、こんな言葉に出会いました。
「それって、“連続ホームラン33本”みたいなものです。」
「毎日何かを生むのは、ゼロからこの世界に出現させるもんなんで。」
「だから、そのあと糸がぷっつり切れたのは、むしろ当然というか、プロセスとしてきれいかもしれません。」
─これを読んだとき、ちょっと泣きそうになった。
糸が切れた自分に、どこかで罪悪感を抱いていたから。
あんなに続けられたのに、また“書けない人”に戻ってしまったのかもって。
けれど「それでもいい」と言ってもらえた気がして、ふっと肩の力が抜けたんです。
毎日じゃなくてもいい。
途切れてもいい。
戻ってきたときには、ちゃんと“わたし”が待っていてくれる。
そう思えるようになったのは、あの33日間があったからです。
だから、三十三日坊主さん。
もしまた書きたくなったら、ぜひ戻ってきてください。
「ぷっつり」のあとに続くのは、終わりじゃなくて、
ちゃんと「ふわり」かもしれないから。
今度は、また別の気持ちと、別の言葉に出会えるかもしれません。
喜木 拝
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