書けない日まで受けとめてくれた場所へ。#ことばとさんへ2026
またしても、出遅れました。
しーなさんがあたたかく音頭をとってくださって、
みなさんのことばが集まりはじめて、
さらにことばとさんご本人の返信まで届いてしまって。
「ああ、もうこれは完全に乗り遅れたな」と思いながら、
それでもやっぱり、語らずにはいられませんでした。
去年のわたしは、こんな記事を書きました。
そのとき私は、
「書く部に所属したら、書かなくてもよくなった」と書きました。
少し変な言い方かもしれません。
でも、あのときの私には、それがいちばん正確なことばでした。
書かなきゃ。
続けなきゃ。
ちゃんとしなきゃ。
そんなふうに、自分で自分を追い立てて、
勝手に疲れて、勝手に書けなくなっていた私にとって、
書く部は、努力不足を責められる場所ではありませんでした。
むしろ逆でした。
書けないなら、書けないでいい。
今は読むだけでもいい。
しんどいなら、ちょっと休んでいい。
そんな空気が、ちゃんと流れていた。
その安心に、私はとても救われたのだと思います。
あれから一年たって、
前回の記事に、そっと追伸を書き足すような気持ちでいます。
私は今も、たぶん、しょっちゅう出遅れています。
書きたい気持ちはあるのに書けない夜。
寝かしつけのあと、そのまま自分も寝落ちしてしまう夜。
今日は何も出せなかったな、と小さくしょんぼりする朝。
そういう日は、相変わらずあります。
でも、以前の私と少し違うのは、
そんな日があっても「もう終わりだ」とは思わなくなったことです。
一日書けなくても、戻ってきていい。
何日か空いてしまっても、またここから始めていい。
その感覚を、私は書く部で覚えました。
ことばとさんは、
文章の書き方だけじゃなくて、
書けない自分との付き合い方まで、
じわじわ教えてくれた人だと思っています。
うまく言えない日のこと。
焦る気持ちのほどき方。
誰かのすごさに圧倒されても、
自分の速度で書いていいのだということ。
ことばとさんの文章や、そこに集う人たちのやさしさの中で、
私は少しずつ、
「書くこと」を競争ではなく、
呼吸みたいなものとして取り戻していった気がします。
書ける日だけが、書く人の証明じゃない。
書けない日を抱えたままでも、
ことばのそばにいていい。
それは、当たり前のようでいて、
私にはなかなか出会えなかった許しでした。
ことばとさん。
前回の記事で私は、
書く部は「書かなくてもいられる場所」だと書きました。
あれから一年たった今も、その気持ちは変わっていません。
むしろ、前よりもっと深く、そう思っています。
書けなくてもいていい場所だったから、
私はここまで書いてこられました。
うまく書けた日だけじゃなく、
書けなかった日、遅れた日、黙っていた日まで、
まるごと受けとめてもらえた気がするから、
また言葉のほうへ戻ってこられました。
たくさん引っぱられたわけじゃないのに、
気がつけば、ちゃんと前に進んでいた。
それって、すごいことだと思うのです。
ことばとさんが作ってくれたこの場所は、
言葉のうまい人だけの場所ではなくて、
まだうまく言えない人、
今はちょっと黙っていたい人、
それでもどこかで書くことを諦めたくない人のための場所でもありました。
そのことに、何度も救われました。
しーなさんが集めてくれたこの花束に、
遅ればせながら、私も一輪まぜてもらいます。
華やかな花ではないかもしれません。
でも、去年より少しだけ根を張った、
私なりの感謝です。
ことばとさん、ありがとうございます。
書ける日だけじゃなく、
書けない日まで受けとめてくれて、ありがとうございます。
だから今日も私は、
少し遅れてでも、こうして書きに戻ってこられました。
喜木 拝
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