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青のぬけがら ─猫カフェに行った夜、ラブコメを観て泣いた理由─


世界がミルク色に染まっていた。
空は白濁し、糸のような雨が煙っている。

カーポートの中にまで雨は忍び込んでこない。でも、玄関を出てからたった数歩のあいだに、肌が霧吹きを浴びたように湿っていた。


花水木の枝が強い風でしなるように揺れ、新緑の葉がかすれるように音を立てている。
まもなく6月だというのにひどく寒い日だった。

半袖の腕をさすりながら、わたしは憂うつな気持ちで車のドアを開けた。
サイドステップに足をかけ、のろのろと車に乗り込む。

座席に座ると、つるりとしたガウチョパンツの裾が車外にこぼれ出した。
腰を浮かせて折りたたむように裾を隠し、ようやく扉を閉められた。


エンジン音とともに、視界が動き出す。
向かいの家の窓硝子に、車が静かに走り出す様子が映っているのをわたしはぼんやりと眺めていた。

夫が前を向いたまま、片手で音楽を流す。子どもたちは後部座席で囀っている。

わたしはさっき検索したばかりのページをもう一度開き、「猫スタッフ」と書かれたページをタップする。
たくさんの猫たちの写真が表示されている。


雨で行き先に悩んでいたその日、3年生の娘がどうしても猫カフェに行ってみたいと騒いだ。

わたしはあれこれ理由をつけて反対した。
けれども夫が県内の猫カフェをいくつか調べ、子どもでも入室できるところを探し、すぐに電話予約してしまったのだ。

助手席に座ってしまうと誰からも表情が見えないこともあり、わたしはむすっとした顔を隠せなかったと思う。

猫カフェには、──行きたくなかった。




その日の夜。
書きかけの小説をきりのいいところまで進めたわたしは、照明の熱でむわっと暑くなった書斎から出た。

ねむくて重くなってきた身体を引きずって洗面所へ向かう。

洗濯を干すのは、家事の中でも特に好きになれない作業なのだけれど、このときに映画やドラマを観ると少しは気が紛れる。

胸の奥がざわついていた。
いつもなら、洗濯物を干し終えるとドラマもそこで止めてしまうのに、その日は続きを観たくなった。なんとなく——というには、感情の波が静まらなかったのだろう。


夜遅くの寝室は、しん、と冷えていた。

わたしは一度リビングに降りた。ヘッドホンを取りに行ったのだ。

ふたつ並べたダブルサイズのふとんの上で、5歳の息子がアルファベットのFのようなかたちになって眠っており、音を出せなかったのだ。

暗い部屋で耳を塞いで、わたしはドラマの世界に没入した。

なにもせず、目の前に集中する。久しぶりの感覚だった。ここ半年以上、わたしにとってドラマや映画というのは、洗濯や洗いものの合間に観るものであって、決して、ほかに手を動かさずに観るものではなかった。

なにか能動的な作業をしていないと、落ち着かなかった。


笑ってキュンとしてちょっと切ないドラマを観ているはずだった。

それなのにいつの間にか視界が滲んでおり、涙が溢れ出した。
外の雨に似ていた。さらさらと静謐だった。






──約1年前。

「……っ」

画面の中に広がるおぞましい光景に思わず目を背けたわたしは、「なんだ?」というように顔を上げた猫のおなかに顔をうずめた。
灰色の毛をした猫なのだけれど、お腹の部分だけ生成色で、毛もくるんとカールしている。


その日の寝室はがらんとしていた。8畳ほどの寝室には、わたしと猫しかいなかった。

夫はリビングでゲームをしながら寝落ちしてしまうことも多いため、寝室で寝たり寝なかったりしているし、子どもたちが、それぞれ自室でねむりたいと言い出したのだ。

5歳の息子まで。
小学生の娘はともかく、息子に関しては予想外に早い旅立ちで、寂しかったからだろうか。──なんとなくすることがなくって映画を流した。

部屋の外に漏れない程度の小さな音を流して、22時を過ぎているのに電気をつけてふとんにごろごろ転がっていると、自分が母親であることをすっかり忘れてしまいそうだった。


その日観たのは、サスペンス映画だった。

昔からサスペンスが好きなのだけれど、子どもが生まれてからはぱったりと観られていない。


この日も雨が降っていた。
しゃらしゃら流れるような静謐な雨だった。

目を閉じ、耳を澄まさなければ聞き取れないくらいのその音に思いを馳せてみる。
実際に見えるわけでもないのに、家の前のごつごつしたアスファルトが濡れて、家々の外側につけられたたまご色の灯りを反射している様子が、思い浮かんだ。




──ごつっ。ぐしゃり。

嫌な音に意識を引き戻される。
目を細めて画面を見るでもなく見て、ぞぞぞと這い寄るような怖気と戦いながら、やはり、猫に顔をうずめた。

猫はわたしの顔を包み込むように抱いた。
やわらかな毛の向こう側から、ごろごろという安心しきった音が響いてくる。小豆色の肉球が、わたしの頬を揉むように動いていた。

この日、わたしははじめて知った。残酷な描写がある映像を観るのは苦手なのだ──と。


胸が嫌な感じにどきどきするたびに、わたしは猫にしがみついた。猫は薄目を開けてわたしを見ると、またとろりとまどろみの中に落ちていく。

あのころ、そういう夜を何度か過ごしていた。



残酷な死にまつわる映画を観たあと、灯りを消すと、わたしはいつか訪れるであろう最悪の日を、あるいは、その日が過ぎたあとの自分を想像した。

寝室の中にひとりっきりのわたし。
そこに猫はいない。

考えただけでもほろりと涙がこぼれた。



でもそれは、もっともっと未来の話だと思っていた。

ところが、わたしが寝室で残酷なサスペンス映画を見て震えていた夜から、ほんのふた月も経たないうちに、猫はあっという間に世界から消えてしまった。






猫カフェの扉をくぐると、たくさんの猫たちが周りに集まってきた。

つるりとした素材のガウチョパンツは、なぜか猫たちに人気で、みんな、その裾に潜りたがって困惑した。

オプション購入したチュールをスパチュラのようなものに塗ると、しっぽをぴぃんと立てた猫たちが、一気に集まってくる。子どもたちは、猫団子になった。

「ちゃいろばっかり!」

息子はクリーム色や煉瓦色の猫たちに囲まれて、にやにやしながら言った。彼は茶色の猫が好きなのだ。今でも家で暮らしている、もう1匹の猫が茶色だから。

いつも猫の本ばかり借りてくる娘の周りにも、たくさんの猫、猫、猫。


猫カフェの中には、ほんの短時間しか入室できない、子猫だけの部屋もあった。

そこでは猫じゃらしをほんのひと振りするだけで、あちこちから猫が飛びついてくる。
小さくて軽くって、踏まれても重みがないくらいの子猫たち。



わが家には2匹の猫がいた。

亡くなった猫も、まだ元気な猫も、夫とわたしが結婚した10年以上前からいっしょに暮らしており、シニア猫の域に差しかかっていた。
子どもたちは生まれてはじめて子猫と触れ合ったのだった。

わが家の猫たちはもう、あまり遊んではくれない。
子猫を見て思い出す。あの子たちの目もこんな色だった。迎えたときは淡いブルーだった瞳は、──そういえばいつの間に色が変わっていたのだろう。



アイスカフェオレをちびちびと飲みながら、窓の外に目をやる。真っ白な空から糸のように降る雨が煙っていた。

ぼうっと窓の外を眺めていたら、テーブルの上に大きな灰色の猫がゆっさりと乗った。

はっとした。
亡くなったわたしの猫にそっくりだったのだ。


確かに毛色は近い色味をしている。
けれども、猫種も大きさも、模様も性別も、なにもかもが違う猫だった。

亡くなった猫の1.5倍はある大型の猫だ。顔周りにはまるでライオンのようにりっぱな毛が生えていたし、髭も長い。
でも、きりりとした顔立ちがそっくりだった。


猫は同じ猫種でもよく見るとまったく顔立ちが異なり、わが家の2匹の猫はちっとも似ていなかった。

だからこそ、どきりとした。
でも似ていても、この子は、毎晩わたしが抱きしめてねむったあの子ではないのだ。


そっと手を伸ばす。
巨大な猫は、いくらでも触らせてくれたけれど、あの子なら、触れた瞬間から聞こえてくる喉を鳴らす音がいくら待っても聞こえてはこなかった。

猫は薄目を開けてちらりとこちらを見ると、またまどろんでいった。




猫カフェに行ったことに後悔はない。でも、そのひとときは、嫌でもわたしにあの子の不在を思い起こさせた。

1時間ほどのふれあいを終えて、すっかり毛まみれになったわたしたちは、念入りにコロコロをして店を出た。

相変わらず、曖昧な曇り空だったけれど、雨は上がっていた。
帰り道、どの猫に特に心惹かれたのか、どの猫じゃらしが人気だったのかという話が車内でぽんぽんと飛び交っていた。

そのときは、わたしも純粋に笑えていた。



その夜、わたしはねむいのになぜだか眠りたくなくて、ずっとラブコメを観ていた。

いつの間にか視界が滲んでおり、涙が溢れ出した。それは外の雨に似ていた。
さらさらと静謐だった。

胸の奥から込み上げてくるものがあった。かつての夏の夜のような、ぞわりとする恐怖ではない。確かにあったものがここにない不安定さだった。足元に薄い氷が張っていて、それが割れたら引き込まれてしまいそうな、グレーの曖昧な感情だった。

でも、怖くてすがりたくなってわたしが手を伸ばしても、あのふわりとした毛玉には届かない。
顔をうずめて、目に毛が入って痛くなることもない。

わたしは寝室の、ふとんを見下ろせる位置に置いた骨壺に、目をやった。




結局、明け方までラブコメを観て泣いていた。
こんな時間まで起きていたのは、猫が亡くなった夜以来だった。

はじめは困ったし涙を止めようともしてみたけれど、そういう日もあってもいいのかもしれないとふと思った。むりに前を向くのではなく、ふとあの子のことを思い出して涙を流す日があったってきっといい。


ドラマの最終話を観終えたとき、北の空が青く澄んでいくのに気がついた。夜が明けはじめたのだ。空は少しずつ彩度を上げていった。

雨の音はもう聴こえなかった。青のぬけがらだけが、胸の奥に降り続いていた。








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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡