掌編小説 │ ドールハウスを飛び出して #三題噺
子うさぎを丁寧にくるむ。家も、家具も、小物も。家にあるシルバニアファミリーの中からいくつかを選び、柔らかい紙で包んでいた。
姪ののんちゃんにあげるためだ。
のんちゃんは夫の妹の子ども。3歳の女の子だ。
遊びにくるといつでも真っ先にシルバニアファミリーを目指して走っていくものだから、毎回義妹に「使っていいですかって聞いた?」と叱られている。
「かーしーて」
たどたどしい感じでそう言い、返事も待たずに戻っていく。義妹が目をさんかくにして「お義姉さん、ごめんね」と謝る。
私は心から「ぜんぜん大丈夫」と伝え、のんちゃんの様子に見惚れる。
目をきらきらさせて、いくつもある家具の中から、ああでもないこうでもないと見比べて、その日の気分にぴったりと合った住まいをつくりあげるのがのんちゃんの日課だった。
「おててを、あらおう!」
小さな洗面台の前に子うさぎを立たせる。蛇口をひねる動作をしたかと思うと「ざあざあ」と音を口で付け足していた。
母うさぎは、キッチンに立っている。
「じう、じう」
指先でつまめるくらい小さなフライパンを慎重にキッチンに置き、のんちゃんはそこに目玉焼きをぽとんと落とす。それから皿にていねいに移す。
のんちゃんの頭の中には、小さな世界ができあがっているのだ。きらきらしたまんまるい目の中にはきっと、等身大のうさぎたちが生き生きと動いているのだろう。
娘の櫻子は今7歳だ。でものんちゃんよりもずっと早く、2歳でシルバニアを卒業してしまった。
はじめて買ったのは、アンティークな雰囲気の洋風の家。
家とお人形だけではなく、私はいくつかの小物セットを買い足していた。おままごとができるようにしたくて、爪よりも小さな食べものや食器を。着せ替えを楽しめるようにアンティークなドレスたちを。
櫻子は夢中になって遊びだした。
何日も、何日も。着せ替えを楽しみ、料理を楽しんだ。
それを見ていた夫の慎一は、次の日、大量のシルバニアファミリーの箱を抱えて帰ってきた。会社帰りに玩具店に寄ったのだという。私はむっとしたが、言葉を飲み込んだ。
予想は的中した。はじめこそ喜んで、たくさんの箱を開封していった櫻子だったが、翌日から、ぱったりとシルバニアで遊ばなくなったのだ。
この家には、洋室1室分を埋めつくすくらいたくさんのおもちゃがある。けれども、櫻子はほとんど遊んでいない。
のんちゃんが帰ったあと、ピアノの下のすきまから小さな靴を見つけた私は、シルバニアファミリーのグッズをまとめた箱の中から、薄い透明なケースを取り出した。
中が40個ほどのスペースに仕切られたケースの、仕切りひとつに小物ひとつを入れていくのだ。

どのパーツも小さくて、指で一つひとつつまんで片づけていくのはなかなか大変だ。
ふと、自分が子どもだったころを思い出していた。
実家には、年の離れた兄のために買われたおもちゃばかりが並んでいた。電車に車。私のものはほとんどなかった。猫のぬいぐるみが一つだけ。
おもちゃがほしいとは、なぜか言えなかった。でも、ひとこと言えば買ってくれただろうか……なんて、大人になってからときどき思う。
女の子らしいおもちゃは、叔母からのクリスマスプレゼントだけ。
シルバニアファミリーも、叔母にもらったものだった。もらった時は、感動した。けれどもそのスターターキットで私はうまく遊べなかった。
服が1着しかないから着せ替えができない。家の本体と家具がいくつかしかないから、ままごともできない。
家具の配置をいくら変えてみても、その先にストーリーがあるような気がしなくて、すぐに埃をかぶってしまった。
このとき思ったのだ。
少ないものでうまく遊ぶためには、きっと想像力が必要なのだと。当時のわたしはそれを持ち合わせていなかった。
だから櫻子のためにシルバニアファミリーを買うときは、もっと長く、楽しく、かんたんに遊べるようにと、ちょっとした小物をいくつか追加購入したのだ。
ベンツの背もたれをわずかに倒して、私はうとうとしていた。
夕方の光が閉じた瞼をつついていた。カタンという音で覚醒した。飲みかけの紅茶のペットボトルが足元に転がっていた。
前髪が肌に貼りついている。車内はじんわりと暑い。そろそろエンジンを切ったまま車内にいるのは厳しいかもしれない。
でも、どうしたら。バレエのレッスン日は、見学もできなければ、近隣に時間をつぶせそうな場所もないのだった。
櫻子は月曜日にテニス、火曜日にスイミング、水曜日にバレエ、木曜日は英語、金曜日はピアノを習っている。
私は日々の送迎と待ち時間だけで1日2時間を費やしていた。
毎日がものすごいスピードで過ぎ去っていく。気がつくとまた月曜日がはじまっている。
習い事はすべて櫻子本人が習いたいと言い出したものだ。夫は二つ返事で了承した。
けれども、練習が必要な習い事があってもいっこうに練習をしない。ぶっつけ本番で臨んでいるのに身につくのだろうかと疑問に思っていた。
私が子どものころは、習い事を2つやっていた。当時はそれでも少なくはなかった。
ひとつはピアノ。新しい曲を弾けるようになるのがたのしくて、夢中になって練習した。
もうひとつは公文式。いずれの習い事も両親が送り迎えをしてくれるようなことはなく、学校から帰ると、ひとりでレッスンバッグを準備して、ひとりで歩いて向かうのだった。
学校に居場所のない私にとって、週に3回の習い事の時間だけが、そしてそこで出会う、嫌われ者の私を知らない人たちだけが、居場所であり、心の支えになっていた。
公文式の教室は、家から30分歩いたところにあった。
日が傾いていく道を、家が近所の少し年上のおねえさんとふたりで帰ったあの時間を今でもたまに思い出す。
私たちはバッグを揺らしながら、好きな歌手だとか他愛のない話をして歩いていた。道の端に固まって咲いている野の花に目をやったり、恋の相談をしたりした。
彼女との付き合いは、大人になっても続いていた。
スマホが水没して、過去の連絡先が消えてしまうまで、ずっと──。
勉強に没入していたらやがて、公文式の先生から県外の学校について話を聞く機会があって。そこは全寮制で、受験に合格したら誰でも通えるのだという。私は両親に頼み込んで、なんとか奨学生として入学し、地元を離れた。12歳の春だった。
そこで同じクラスになったのが今の夫だ。
公文式のおかげで、きっと、人生が一瞬も交わることのなかったであろう彼と出会い、櫻子が生まれた。
けれども、奨学生である私以外は、裕福な家庭で生まれた人が多かった。服にかけるお金も、外食にかけるお金も違う。
つまりは、価値観が違うのだった。
それは、夫についても同じだ。彼にとっては、たくさんの物に囲まれて、人から教養を得ることが正しく幸せなことなのだ。
夫とはうまくいっていると思うけれど、どんなに良い人でも、そこだけはすり合わせることができなかった。
「もう、行きたくない」
「え?」
「ピアノ。やめたい」
その日、ピアノのレッスンがはじまる直前に櫻子が言った。車はもう、あと10分もすれば教室に着いてしまう。
櫻子は面倒くさがりな性質で、本気じゃなくよくこういうことを言う。やる気さえ出れば爆発的な集中力を出せるのだけれど。
でもこの日はいつもと様子が違った。
なにが違うのかと問われれば答えることができない。しいていうなら、勘のようなもの。
ちょっと嫌なことがあればすぐに涙を見せる櫻子が、赤い目をしてじっと我慢していることこそが、ただ事ではないのだと知らしめていた。
車を飛ばして教室の前を通り過ぎた。
どうするのが最適解なのかわからないまま、どんどん西へ進む。そうして気がつくと、私たちは港に立っていた。
「島行きの船、出港は10分後です」
アナウンスに引き寄せられるようにふらふらと近づいていき、なんとなくチケットを買った。櫻子は困惑していたが、黙って着いてきた。そうして10分後、私たちは海の上にいた。
スカートの裾が、はたはたと揺れる。足を風になぞられているみたい。風が強すぎて、視界が髪の毛で遮られていた。
制服姿の娘に、観光客らしき人たちは怪訝な目を向けていた。
セーラー服の衿もとの薄紫のスカーフが、ひらひらとなびいている。娘は帽子を手で押さえていたが、やがて外してランドセルの中へしまい込んだ。
ああ、どうしてこんなことをしてしまったのだろう。ついさっきまであそこにいたのに。
ぐんぐん遠くなっていく港を、その周りに立ち並ぶ高いビル群を眺めながら思った。
海はどこまでも青く、ダイヤモンドが明滅しているようにきらきらと光っていたが、船が通ったあとだけは、翡翠色に濁っていく。
その絶妙な色味が美しいと思った。
地上は暑いくらいなのに、船の上は風のせいでひどく寒かった。
手ぶらで乗り込んだ私たちは、もう少し外を眺めていたかったが、平日の午後のがらんとした船室に入り、一番前の席に座った。
「あ、ピアノ」
私は慌ててピアノ教室の会員ページを開き、欠席ボタンをタップした。
「ああ、間に合った……」
無事に欠席できたことに安心して、ぼうっと窓の向こうを眺めていたら、ふたりとも寝入ってしまった。
気がつくと、船は”終着点”にたどり着いていた。

私たちは、人の波に押し流されるようにして島に降り立った。
山の斜面がずらりと街になっている。

「ママ、どうするの、これから……」
「どうしようね……」
私たちは途方に暮れていた。この船は、2つの島に向かうものだ。途中で寝入ってしまったので、30分以上も船に揺られて終着点までたどり着いてしまったのだ。
スマホの充電が切れていた。モバイルバッテリーも持っていない。車も港に置いてきた。私たちは降り立った観光客についていくことにした。少し離れたところから。
みんな山の斜面を登っていく。入り口にどん、と大きな鳥居が鎮座していた。

端に寄るようにしてそっと鳥居をくぐると、私は息を飲んだ。まるでヨーロッパの路地裏のような町並みがそこには広がっていた。

「ここって、車通れなくない?」
櫻子が言った。
人がやっとすれ違えるくらいの細い路地だ。家と家の間を縫うように道が続いており、観光客たちはどんどんその道を進んでいく。

「なんか、冒険してるみたい」
櫻子の目に、光が戻った。しばらく歩いていくと猫がいた。
真っ黒な猫だった。野良猫なのだろうか。毛艶がとても良い。金色の目をした、綺麗な顔立ちのその猫は、私たちの姿を見とめると「にゃおん」と言いながらすり寄ってきた。

娘が破顔する。
それからも、私たちはただ目的もなく街を歩き続けた。歩いても歩いても、コンビニは見つからなかったが、島のあちこちに猫がいて、その都度私たちは足をとめ、しゃがみ込んだ。

途中でカフェを見つけて恐る恐る入る。山の上にあるそこは、海が一望できた。

いつの間にか日が傾いていて、海にじゅわっと溶けていく音が聞こえそうなくらいだった。
櫻子の目から、ほろりとひとしずく、涙がこぼれた。つられて私も。
「やだ、ママ。なんでないてるの」
「……わかんない。櫻子は?」
「櫻子もわかんない」
私たちは落ちてくる涙をそのままにして、空が暗くなるまでぼうっと向こうを眺めていた。
こんなにゆっくりした時間を過ごしたのは、いつぶりだろう。ふと思った。
毎日、習い事の時間に追われていた。ふたりとも不機嫌だった。目まぐるしいスピードで変わっていく日々についていけなかった。
こうして徐行運転するみたいにゆっくりと、目的もなく彷徨ってみると、それも案外悪くはないものだと思った。
「……船の最終便、出ちゃったね」
港を出ていく船を眺めながら、櫻子が言った。
普段なら「どうするの? ねえママ!どうするの」と怒るだろうに、ぼんやりと、それでいて悲愴な感じなく娘はつぶやいた。
「泊まるとこ、探そうか」
「その前にパパに連絡したほうがいいんじゃない?」
それから私たちは民宿を探した。
「櫻子! 藍子!」
ふと後ろを振り返ると、息を切らした夫が立っていた。帰宅したら家が真っ暗で誰もいない。櫻子のGPSを見たらなぜか離島にいるし、私には連絡がつかない。
慌てて飛んできたのだという。
怒られるかと私たちは身構えたが、夫は「よかった」とだけつぶやいた。私たちは夫に抱きしめられて、それからもう一度泣いた。
「パパ、でも最終便はもうなかったでしょ。どうしたの」
「海上タクシーを頼んだんだ。帰りもまたせてるから早く行くぞ」
「やだ」
櫻子が言った。
「もっと、ゆっくりしたいの。確かにどの習い事も櫻子がやりたいって言ったことだけど。やってみて思ったの」
私たちは3人で民宿に泊まった。
疲れが溜まっていたのか、翌朝目を覚ますとまだ夜明け前だった。飛び起きてしばらくは混乱していたが、幸い土曜日だった。
一度身体を起こしたので二度寝することができなかった。
部屋の窓からぼうっと外を眺める。海の彼方が燃えるように赤い。
水平線に添うようにして淡紫の雲がたなびいていた。その上端が、赤くきらめきはじめたかと思うと、雲のすきまにきらりと赤い、ルビーのような色が見えた。
十字にクロスしたように光が飛び散る。少しずつそのルビーが大きくなり、雲を割るようにして顔を出した。日が登ってきた。
その日私たちは、習い事のうち2つの解約手続きをした。
その代わり櫻子には、気軽に新しいことをはじめない約束もしてもらった。じっくりと吟味して、それから家族で話し合って決めようということで落ち着いたのだ。
練習しろとか勉強しろとかガミガミ言われなくなった櫻子は、ふと手持ち無沙汰になったのか、久しぶりにシルバニアファミリーを出してきた。いやに静かにしているので、私は冷蔵庫から少ししなびた野菜を取り出し、常備菜づくりに勤しんだ。
島で食べた、たこめしを作っていく。千切りにした生姜に、牛蒡と人参が入っていた。

「ママ、見て!」
櫻子に手を引かれて見に行くと、のんちゃんにほとんどあげてしまったはずなのに、そこにはきちんとした家ができあがっていた。
家具は元からあったものだ。けれども、テーブルの上には、紙に小さく精緻に描かれてカットされたのであろう料理の絵が並べられている。
足りないものを、想像力で生み出したのだと知って、なんだか、感動した。
夫が「櫻子、絵画教室に通うか?」と尋ねた。
そういうところだよ、と思ったけれど、私はなんとか飲み込んだ。
普段なら即座に「行く行く!」と飛びつきそうなところだし、櫻子も「うん」と言いかけていた。
でもそれからなにを思ったのかゆるゆると首を振り、「ちょっと考えてみる」と答えた。
「100日経ってもやってみたかったら、そのときに決めてもいい?」
夫は困ったように笑って「パパよりしっかりしてきたな」と言った。
シルバニアのおうちの外にテーブルが置かれ、母うさぎと父うさぎ、それから小さな女の子のうさぎが、並んで食事を囲んでいた。
『ドールハウスを飛び出して』(完)
(6,000字)
《今週の三題噺》
1.シルバニアファミリー
2.徐行運転
3.公文式のおかげ
今週も参加します。
▼作中の収納方法
▼半年ほど前に読んだ桜井花さんのこちらの作品が、島✕小説✕写真で素敵で印象に残っていました。今回、島が出てくる小説を書いたので、わたしも写真を入れてみました。私が舞台にしたのは、花さんと同じく香川県の島ですが「男木島」です。
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最後までお読みいただき、ありがとうございます♡