人生ではじめてびっくりドンキーに行ったのは、先生に殴られた日だった。
【⚠️】拳骨ですが、痛かった描写があります。
人生ではじめてびっくりドンキーに行ったのは、先生に殴られた日だった。
押しつぶされるように蝉の声が降ってくる中で、目の前に星が散った。
思わずうずくまって地面に手をつく。
てのひらに纏わりつく砂の感触が不快だ。頭頂部には、もう離れたはずのごつごつした骨の感触が、じいんと痺れるみたいに残っている。
滲んでぐにゃぐにゃになった視界の中で「おまえの責任だ」と言った先生の表情は見えない。
でも、背後から無数の視線に刺されている気配はある。
私の後ろには学年全員が立っている。
そんな場所で、たったひとり、先生にげんこつを落とされたのだ。
店の前で途方に暮れていた。
人生で2度目のびっくりドンキーを訪れたのは、家庭を持ったあとのこと。
「行きたくない」とだけ言い、その理由は説明できなかった。
おなかを空かせた子どもたちに手を引かれる。足が震えた。
でも入ってみると、なんてことなかった。
子どものものより先に自分の頼んだハンバーグが届いた。
鉄板のうえで、チーズがまっ白なマグマみたいにぐつぐつと音を立てている。かかっているというよりも、浸っているみたいで贅沢だ。降り積った新雪みたい。
ぐずりそうな子どもを見て、プチうどんを探し店内を見渡す。
はじめて行ったあの日のことは、食べたものも、内装も、記憶に残っていないことにふと気がついた。
10代のころである。
あの夏の宿泊研修は、今思い返しても信じられないようなスケジュールだった。2泊3日。そのあいだ、入浴の時間が一度もない。
最終日の朝だったと思う。
オリエンテーションの広場に向かうと、先生がひどく不機嫌そうに顔をゆがめて立っていた。とつぜん、名前を呼ばれておずおずと前に出る。
なんの前ぶれもなく、頭に痛みが振り下ろされた。崩れ落ちるようにその場にしゃがんだ。
「班長のおまえが悪いんだ」
先生は赤い顔で言った。
その研修では、5名1グループが組まれていた。わたしは班長で、同じグループには、学年でほんの数人しかいない“不良”の男子がいた。
不良といっても、彼から嫌なことをされたことも、言われたことも一度もない。けれども親しいわけでもなくって、別な世界の住人という感じだった。
体操服の裾はワイドパンツみたいに加工され、下着が見えそうな位置での腰履き。近くに来るとすぐわかる。香水の甘いにおいと煙たさが混ざった、彼の香りがあった。
「昨日、頭を洗った奴がいる」
先生の声が、朝の静けさを切り裂くみたいにびりびりと響いた。
日づけが変わったあとに宿泊施設を抜け出し、野外で髪を洗った人がいるのだという。先生が名を挙げたのは、わたしの班の不良男子だった。
そのあとのことは覚えていない。次の記憶は自由行動の昼。班の全員とびっくりドンキーの中にいた。
「悪かった」
彼は頭を下げた。テーブルにつきそうなくらい深く。窓ぎわの席で、陽の光を浴びた彼の、茶色っぽい短髪が金色にきらめいていて。
「……そもそもお風呂に入れないってやばいよね」
そう言ってへにゃりと笑ったら、目の端っこから突き落とされたみたいにぼろぼろと涙が落ちてきた。
それをきっかけに、不良の彼と親しくなった──なんていうことはなく。
翌年べつべつのクラスになり、二度と言葉を交わすことはなかった。
でも、先生の対応がなんとなくほかの生徒にも感染ったような、くるしい学生生活のなかで、彼には一度も傷つけられたことがない。
雪のマグマに沈んだハンバーグを小さく切って口に運ぶ。
チーズの風味がふわっと広がる。はじめて食べたびっくりドンキーのハンバーグはもっと塩味が強かったような……。
その意味がわかったとき、思わず家族一人ひとりの顔を見ながら今の幸福を噛み締めた。
(1,500字)
▼イトーダーキさん、はじめまして。参加させていただきます……!
あとがき
子ども時代のわたしはガリ勉で地味で、まじめなことくらいしか取り柄のない人間だった。
小学校のころは、先生に怒られたことすらなかったのではと思う。
けれども中学になると勝手が違った。
先生たちの半数は、些細なミスでも、あるいはなんの瑕疵もなくても生徒を責め罵倒するタイプで、フランクに生徒を殴る先生も少なくなかった。
同い年の夫はそんな経験がないらしい。となると、時代だとひとくくりにはできなさそうだ。
そんな殺伐とした環境だったものだから、わたしたちの学年には「不良」と呼べる生徒は少なかった。
むしろ翌年、学校は荒れに荒れたらしい。
高校生になったわたしがひとりで歩いていると、前のほうから金髪の不良が歩いてきた。ずんずんこちらに近づいてきて、わたしの目の前で止まる。
怖すぎてはくはくと声にならない悲鳴を上げながら逃げる算段をつけていると、とつぜん、目の前に金髪の、つむじ。
深く深く、頭を下げられている。
「おつかれさまっス!!!!!」
不良に、頭を、下げられている……?
なんのはなしですか、と困惑していたわたしは、ぱあっと顔を上げた不良の笑顔を見て驚いた。部活の後輩だった。のちに彼と同学年の女の子から聞いたのだけれど、彼は悪いことなんかしない。先生たちと戦っているのだ、レジスタンスのようだと言っていた──。
あの日、人生2度目のびっくりドンキーに足を踏み入れるすこし前。
30代になったわたしは、なんとなく目にしたWebニュースで、先生の顔を見た。見てしまった。
白髪交じりになっていたけれど、あの我の強い感じは変わらない。先生はもう先生ではなく、なんだか偉そうな肩書がついていた。
そのときに、いやだったことがぶわっっと一気に思い起こされて、ずっと胸にくすぶっていた。
だから、嫌な記憶につながる店に入るのが怖かったのである。
成人式を思い出したのもそのころ。
黒字に桜が舞う振袖を着ていたその日、めがねもなくなり、プロのメイクでわたしはすこしだけ華やかになっていた。
後ろから名を呼ばれる。
振り返ると、わたしを殴った先生がいた。
「活躍してるな。大学も、すごいじゃないか」
わたしはどんな顔をしたのか、覚えていない。
「先生のおかげだろう」
そう言うと先生はがはがはと豪快に笑い、頭に手を伸ばしてきた。きれいにセットされた髪の毛に無遠慮に触れた。
それはない。それだけはない。
この人は、あの夏の朝だけじゃなく、わたしのこころに育つはずだった自己肯定感を、徹底的に刈り取っていたのに。
あの窮屈な学校を卒業したあと、わたしはさまざまな先生に出会った。ある先生からは、留学に導いてもらった。それがなければ、夫とは出会っていないし、子どもたちはこの世にいない。
べつな先生からは、放課後によく書いたものを添削してもらった。それがけっこう大きな賞につながった。
強面の体育教師からは、難関大学に挑戦するために、背中を押してもらった。
ここには書ききれないくらいだ。
人生の節目にはいつも、いろんな先生がいた。
わたしは、さまざまな先生がつないでくれた縁をたどって、未来をつかみ、温かい家庭を得た。口がわるいけど、言いたい。
「あいつ」のおかげなんかじゃないのである。
いやな記憶はすっかり上書きされたので、わたしたち家族は、たまにびっくりドンキーに足を運んでいる。チーズハンバーグだけじゃなく、おろしそハンバーグも大好物である。

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