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エッセイ │ ”毒”のある料理をたべた


その人は、なにかを憎むように包丁を動かしていた──。




行事尽くしだった5月を駆け抜けた。
小学校と幼稚園。ふたつの運動会を無事に乗り越えて、あとは参観日を残すばかりになったその日。

連日のイレギュラーに疲れ切っていたわたしは遠出・・をした。
電車に揺られて、ひとり海に向かったのだ。目的地は──高松港。


四国の入り口・JR高松駅(写真の中央付近)。
駅前がすぐ海になっている。


じつはここからは、往復700円、たった20分で離島に行くことができる。
けれども港に着いた瞬間、汽笛を鳴らして船は出港してしまった。


女木島は20分、
男木島は40分で行ける。
ほかにもたくさんの島が。


でも、いい。わかっていて急がなかったのだ。
きょうは島に行くだけの体力を持ち合わせていなかった。



潮の匂いがふわりと漂ってくる。
つい先日まで人が溢れかえっていたのに、瀬戸内国際芸術祭の春会期を終えた港には、ぽつりぽつりとしか人がいない。

椅子に座ってぼうっと海を眺めながら、手元のスマホでぽちぽちと小説を書いていた。強い陽射しが、シアーブルゾン越しにもじりじりと肌を焼いていくのがわかった。

書いて、ぼうっとして、書いて。
そのくり返しをどれくらい続けただろう。


ふとおなかが空いてきた。
電池残量が10%しかないスマホでなんとか近隣の店を検索する。いくつか候補を決めたけれど、絞りきれずに、そのままわたしは歩きはじめた。



港から数分歩いたところに、琴平電鉄の駅がある。

香川に来てからいろいろな駅で降りてみたけれど、ここが一番好きかもしれない。ホームのすぐ裏手に高松城の堀が見えて、ぼうっと眺めていても飽きないし、風通しがよく涼しい駅だ。


まるで水に浮かんでいるような駅の雰囲気が好き。
ちなみに水は海水でたまにフグが泳いでいる。


すぐに電車が出発した。

ほんの数駅で降りてみた。
はじめての場所をうろうろと歩き回る。第一候補のお店は、この日貸し切りだった。第二候補の店に入ってみる。イタリアンのようだ。

硝子張りの店構えだったけれど、ブラインドに覆われており、中の様子はうかがい知れなかった。

おそるおそる足を踏み入れると、とても洒落た店だった。
自然光だけだとほんのりと薄暗い店内は、黒を基調としたインテリアで揃えられており、モダンな雰囲気があった。


ふだんは、ひとりのときにランチをしないと決めている。
自分だけ食べるのに気が咎めてしまうのだ。でも、連日がんばったし、……許されるだろうか。

オープン直後に着いたこともあり、まだ客はわたししかおらず、それも余計に罪悪感を掻き立てた。

数年前とは逆だな、と思った。
新しい店に飛び込むのをやめたきっかけになった、あのときのことだ──。




今は小学生の娘が、まだ2歳だったころ。
わたしたちは東京で暮らしていた。

ひとりで電車に乗るのは久しぶりだった。
都心部で買いものをすませ、カフェに向かったのはお昼どきを過ぎてから。

その店は、思いのほか混んでいた。
数回、友人とお茶をしたことはあるけれど、ランチを食べるのははじめてだ。

通されたのはカウンター席。友だち連れのすき間にちょこんと収まった。
オープンキッチンだった。20畳ほどあるのだろうか、広い厨房の様子がはっきりと見えた。

包丁を使ってリズミカルに刻む手。鍋をゆする手。繊細な盛りつけをする手──。白い調理服に身を包んだ人たちのさまざまな作業が見えて、家事の本を書いているという仕事柄もあり、心躍った。


ややあって、一人の女性に目が止まった。遠目に見ても美しいと感じる若い女性だった。

でも、気になったのは綺麗な人だからではない。
その人は、なにかを憎むように包丁を動かしていたのだ。


はじめに気になったのは口もとだった。ガムを噛んでいた。彼女は厨房の最奥にいるのに、くちゃくちゃと噛む音が響いてきそうな食べ方だった。細い眉毛は左右非対称につり上がり、時折ため息をつくような仕草が見えた。

盛りつけをする手の動きは繊細なのに、使い終えた調理道具はがしゃんと放るように置く。

──あの人の料理だけは食べたくないな。
そう思わずにはいられなかった。

集中しているだけかもしれない。力みすぎてるのかもしれないし、本当にいやなことがある中で厨房に立っているのかもしれない。

でも、あの表情で料理がつくられていると知ってしまったら、それを口に含むことが、自分自身に彼女の怒りを取り込む「毒」のように思えてならなかった。


そうやって意識していたからだろうか、何人もいるシェフの中で、私のもとに運ばれてきたのは彼女の料理だった。


繊細な盛りつけに目を奪われた。

恐る恐るフォークを口に運ぶ。
口の中に入れた瞬間ふわっと檸檬の香りが広がった。──おいしい。

あんな表情をしていた人が、雑な扱いをしていた人が、どうして、こんな味をつくれるのだろう。パスタの茹で加減も素晴らしく、クリームのコクのある後味もいい。
ちょっと高めのお値段にもうなずける味で、すぐに食べ終えてしまったのがもったいないくらいだった。



その夜、お腹が痛くなった。

ほの暗い照明で判断がつかなかったのだけれど、鶏が少し赤かったような気がして、どうしても気になって最後にひとかけら残してきたせい……なんてことはあるだろうか。

いや、あの憎々しげな表情につられての思い込みなのかも。


いずれにせよ、その料理は私にとって”毒”になってしまった。

あれからなんとなく、はじめての店にはひとりで入りづらくなっていた。

その店が”当たり”かどうか、店員の人となりを知ってから入りたくて、口コミばかり確認しているうちに、馴染みの店にしか行けなくなっていた。




平日の昼間。街に小学生の姿はない。
琴電を降りたあと、後ろめたさを孕んだ開放感と、口コミを見ていない不安を抱えて店に入った。

メニューを見てしばし悩み、ランチパスタを注文する。前菜とスープとパンがついて1,000円と良心的な値段だ。はじめての店特有の落ち着かなさを感じながら数分待つ。

前菜とスープが提供された。

スプーンでひと匙すくって驚いた。
ほんのりした甘さと、かぐわしい冷たさが喉をすべっていく。冷製スープだ。なにが入っているのだろう。料理の説明はなかった。
食べながら想像するのがたのしい。

具材はふたつだけ。
水分が抜けてくしゃっと小さくなった、とろとろの白菜。柔らかいけれど煮崩れていない、ちょうどいい硬さの大根。どちらも和の食材というイメージがあったけれど、洋風のスープにも、当たり前のように馴染んでいた。

それにしても、これまで食べたことのない味だった。
おいしいけれどなにが入っているのかわからない。黄金色というには少し淡い色だ。きりりと冷えていて、ベーコンの香りがふわっと立ち上るのだけれど、脂っぽさはなかった。

結局スープの正体はわからないまま、家でも冷製スープをつくろうと決意しながら、こくりと最後のひと口を飲み干してしまった。



運ばれてきたパスタは、お値段以上だった。

口にいれるとふわりと特徴的な香りが立ち昇った。ああ、これなんだっけ。ハーブだということはわかるのだけれど、どのハーブなのか思い出せない。

トマトソースではないパスタとして食べるなら、はじめての味わいだった。

目をひくのは、はまぐりくらいの大きさの、りっぱな浅蜊。こんな浅蜊は見たことがない。肉厚でジューシーで、きちんと砂抜きもされている。オイルでコーティングされたつやつやした麺にはたらこが絡んでいる。

気持ち程度に入っている野菜は水菜とキャベツで、家でなにかをつくるときは、とにかく具材をどっさり入れてしまうわたしにとって、なるほど、これがプロのバランスなのだろうなと思わされた。

予定もないのに外でひとりランチをするのは、終業式と始業式の日だけと決めていたけれど、──こんなふうに「料理をしたいきもち」が湧いてくるのなら、時折行ってみてもいいのかもしれない。



だれとも会話をせず、スマホを見ずに食べていたので、頭の中で点と点をつなぐように、過去のさまざまな記憶が浮かび上がっていた。

大学に入ったばかりのころ、得意料理はパスタだと言っていたギャルのこと。いろんなパスタを日替わりでつくるのが楽しいのだと笑っていた。
母親との買いものの合間に立ち寄ったチェーンのパスタ店。なにを食べたのかはさっぱり思い出せない。
メニューがものすごく豊富でいつも迷うのに同じものばかり頼んでしまう、学生時代に住んでいた街のイタリアンには、いろんな人といっしょに出かけたっけ──。

そうして最後に浮かんできたのが、あの日の檸檬クリームパスタだった。


店の雰囲気が少し似ていたというのもある。

料理をつくっていた彼女の表情を思い出して、ふと考える。
料理を毒に変えてしまうことは、私たちにもあり得ることなんじゃないか、と。


大人は、日々、なにかと戦っている。

それは理不尽な上司だったり、非協力的な家族だったり、子どもが汚した服だったり、掃いても掃いても湧き出してくるほこりだったり、思うようにならないホルモンバランスだったり、育児の説教をしてくる通りすがりの女性だったり、わけもなく孤独に感じることだったり──。

わたしも例外じゃない。混沌とした感情の中で料理をつくる日も多い。

でもそのとき、たぶん、自分の表情は見えていない。あの彼女と同じような顔や仕草をしていないとも限らないのだ。

知らなければただのおいしいごはんだ。
でも、もし気づいてしまったら、子どもにとっても”毒”のような料理になってしまうのかもしれない。


実際に毒を食べた身としては、あんなひやりとした気持ちで食べる料理は出したくない。だから、ごはんしたくをはじめる前に、まず、ひと呼吸おくくせをつけることから始めようと思っている。

そしてそれでもどうしても気持ちが収まらないときは、マックを食べに行ってしまってもいいのではないかとすら思えるのだった。




(4,000字)

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