毒親|親が嫌いなものを、私も嫌いだと思っていた——自分の「好き」を取り戻すまで
両親の呪縛が少しずつ解けてきて、変わったことがあります。
それは、「自分が何を好きなのか」が分かるようになったことです。
そんなこと?と思う人もいるかもしれません。
でも私にとって、「好き」を自分で決めることは、
当たり前ではありませんでした。
私の家庭では、
父や母が嫌いなものは、お前も嫌いであるべき。
そんな暗黙のルールがありました。
食べ物、芸能人、服、インテリア、異性の趣味。
両親が「嫌い」「趣味が悪い」と言ったものを私が好きだと言うと、単なる好みの違いでは終わりません。
人格まで否定されました。
「そんなものが好きなんておかしい」
「趣味が悪い」
「センスがない」
「アホ」
だから子どもの私は、
両親が嫌うものを嫌うしかありませんでした。
正確には、嫌いになったというより、
好きになることを許されなかったのだと思います。
■食べたこともないのに「嫌い」だった
食べ物もそうでした。
父が嫌いだった、しいたけや牡蠣。
母が嫌いだった、レーズンや赤身の肉や魚。
私は長い間、それらをほとんど食べませんでした。
食べたこともろくにないのに、
「嫌いなもの」に分類していました。
ところが大人になって自分の意志で食べてみたら、
どれも普通に好きでした。
なんだ、好きだったんだ。
そんな小さな発見を何度もしました。
■母が望んだ「娘像」と、いまの私
母は、私に「女の子らしい格好」を求めていました。
お嬢様っぽくて、ゆるふわで、パステルカラー。
でも、いまの私はまったく違います。
機動性重視のパンツスタイルに、
身体にフィットするタイトなトップス。
色もパステルカラーより、黒や濃い色が好きです。
玩具の好みもそうでした。
母は私にシルバニアファミリーやリカちゃん人形を買い与え、それで遊ぶ私の姿を写真に収めていました。
おそらく母の中には、「娘とはこういうもの」という理想像があったのだと思います。
しかし、当の私は特撮や怪獣映画が大好き。
本当に欲しかったのは、ゴジラやガメラ、モスラのフィギュアでした。(笑)
『スター・ウォーズ』も好きで、誕生日には父にねだってライトセーバーを買ってもらったくらいです。
リカちゃん人形やシルバニアファミリーで一切遊ばない私を見るたび、母はまるで自分にちっとも懐かない猫か犬を見るような目をしていました。
「思っていた娘と違う」
口に出さなくても、
そんな落胆が伝わってくるようでした。
けれど、服や玩具以上に強く影響を受けていたのが、
異性の好みでした。
■母が好きな男が「イケメン」だと思っていた
母には、分かりやすく男性の好みがあります。
細身。むしろガリガリなくらい。
眉毛は太めで、二重のパッチリした目。
少し大きめの鼻に、厚めの唇。
どちらかというと中性的な顔立ちです。
幼い頃から母の、
「この人カッコいい」
「こういう人を選びなさい」
という言葉を聞き続けていた私は、いつの間にか、
それが世の中における「イケメン」の正解なのだと思うようになっていました。
でも、テレビで母の好きな芸能人を見るたび、
心の中には微妙な違和感がありました。
私は、そこまでカッコいいと思わなかったのです。
むしろ、私が惹かれるのは逆でした。
肩幅があって、腕もしっかりしている。
目は鋭く、鼻筋はスッとしている。
そして、色気と華がある。
年上で、どこか男臭い感じの人が好きです。
そういう男性を見て、
私は「カッコいいな」と思っていました。
ところが、私がいいなと思う芸能人を、
母はことごとくテレビの前でボロクソに言いました。
勇気を出して、
「私はこの人、カッコいいと思う」
と言ったこともあります。
返ってくるのは、
「気持ち悪い」
「趣味が悪い」
「見る目がない」
という言葉でした。
ただ、好みが違うだけなのに。
今でもよく覚えているのが、豊川悦司さんです。
私は昔から彼が好きでした。
常盤貴子さんと共演した『愛していると言ってくれ』は何度観たことか。
還暦を過ぎた現在の豊川さんを見ても、
私は普通にドキドキします。(笑)
でも母は、テレビに彼が出るたびに、
「カッコよくない」
「嫌い」
と言っていました。
そのため私は長い間、
豊川悦司さん=母が嫌いな男=好きになってはいけないタイプの男性
と、自分の脳内で変換していました。
本当は好きなのに。
他にも、真田広之さんや吉沢亮さんなど、
私が素直に「カッコいい」と思う俳優さんがいます。
しかし母に言わせれば、
「背が低い」
の一言で終了です。
いま考えれば、別に母が彼らを好きになる必要なんてありません。
母には母のタイプがあり、私には私のタイプがある。
たったそれだけの話です。
でも子どもの頃の私は、母に愛されたくて、
母の「好き」と自分の「好き」の間に境界線を引くことができませんでした。
母が「カッコよくない」と言えば、
私もカッコいいと思ってはいけない。
母が「趣味が悪い」と言えば、
自分の感覚のほうが間違っている。
そんなふうに、何度も自分の「好き」を否定しているうちに、私の中にはひとつの公式が出来上がりました。
私が選ぶ男性=趣味が悪い。
私には、男を見る目がない。
そしてこの思い込みは、芸能人を見て楽しむ程度では終わりませんでした。
やがて、自分自身の恋愛やパートナー選びにまで入り込んでいくことになります。
■恋愛なのに、母の顔色を見ていた
だから20代の頃は、母が好きそうな男性を選んでいたような気がします。
もちろん、
当時の私はそんなことを意識していませんでした。
「自分で選んでいる」と思っていました。
でも今振り返ると、男性を見るとき、
いつも頭のどこかに母がいました。
この人なら母はどう思うだろう
親に紹介したら、どんな顔をするだろう
「いい人を選んだね」と言ってもらえるだろうか
恋愛相手を選んでいるはずなのに、いつの間にか、親に提出する答案を選んでいたような感覚です。
当然、心はついてきませんでした。
だって、私のタイプではなかったからです。
そして、すべて破綻しました。
もちろん、
相手選びだけが原因だったとは思っていません。
自己肯定感の低さ。
見捨てられることへの恐怖。
相手に合わせすぎること。
これまで書いてきたような、
アダルトチルドレン的な私自身の問題もありました。
それでも、ひとつだけ確かなことがあります。
私は、自分が好きな人を選んでいませんでした。
■親と逆を選びたいわけではない
今の私が両親と違うものを好きなのは、
両親に反発したいからではありません。
母がパステルカラーを好きだから、
私は黒を選んでいるわけではありません。
父がしいたけを嫌いだから、
意地になって食べているわけでもありません。
母が好きなタイプと反対の男性を、
わざと好きになったわけでもありません。
そうではなくて、
やっと、自分の「好き」が分かるようになった。
それだけなのです。
ここは、私にとってかなり重要な違いです。
親から自由になるというと、
親と正反対の人生を選ぶことのように思われることがあります。
でも、それもまた「親」を基準にしています。
親が右と言ったから左へ行く。
それでは方向が逆になっただけで、
人生の中心にはまだ親がいます。
本当に呪縛が解けていくと、
「親ならどう思うか」
という基準そのものが、少しずつ必要なくなっていきます。
右でも左でもいい。
私はどちらへ行きたいのか。
それを自分に聞けるようになります。
■「好き」は、自分を取り戻すための感覚
毒親育ちというと、
もっと深刻な傷に目が向きやすいです。
暴言や支配、自己肯定感、人間関係、恋愛、仕事。
もちろん、それらも大きいです。
でも最近の私は、「好きなものを自分で選べる」ということも、回復のかなり大切な部分なのではないかと思っています。
以前、
という記事を書きました。
当時の私は寿司屋ですら、自分が本当に食べたいネタを素直に選ぶことができませんでした。
そして今回、この記事を書いていて、寿司の話も、服も、食べ物も、男性の好みも、結局は全部同じところにつながっているのだと気づきました。
「私は、何が好きなのか」
それを自分に聞いて、自分で答えることです。
今日は何を食べたいのか。
どんな服を着たいのか。
どんな部屋に住みたいのか。
誰をカッコいいと思うのか。
誰と一緒にいたいのか。
一つひとつは、とても小さなことに見えます。
けれど、人生は結局、
そういう小さな選択の積み重ねでできています。
誰かに「それは趣味が悪い」と言われても、
「そう?私は好きだけど」
で終わらせていいのだと、
やっと思えるようになりました。
好きなものに、プレゼン資料はいりません。
誰かを納得させる理由もいりません。
だから今、自分の「好き」がひとつ見つかるたびに、
人生の小さな領土を取り戻しているような感覚があります。
私には、ちゃんと私の好みがあった。
見る目がなかったわけでも、
趣味が悪かったわけでもありません。
ただ、自分の感覚を信じることを許されてこなかっただけでした。
親と同じでも、違っても、もうどちらでもいい。
「私はこれが好き」
そう思ったときに、誰の顔も思い浮かべなくていい。
私にとって、両親の呪縛が解けるというのは、
たぶんこういうことなのだと思います。
最後に赤坂お気に入りの
豊川さんの作品をお届けします。(笑)







