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小説:老人ホーム デスゲーム4


「キヨシさん、危ないから座っててください!」
 イチカちゃんが大きな声を出す。キヨシさんはちょっとだけイチカちゃんを見る。
「心中したかったんだよ」
 キヨシさんがつぶやいた。
「え?」
「心中」
 そう言いながら杖歩行でゆっくり向かったのは、セツコさんのところだった。セツコさんは、ホーム内のマドンナ的存在で、かわいらしい風貌と愛嬌のある笑顔で利用者さんたちの人気者だ。キヨシさんもその一人で、いつでも何をするときでも、セツコさんの近くにいたがった。キヨシさんがホーム内で名前を覚えているのは、たぶんセツコさんのことだけだ。
「セツコさん、ご機嫌いかがですか?」
 キヨシさんが話しかける。車椅子に座ったセツコさんがゆっくりキヨシさんを見る。ゆるいパーマのかかった白髪はくはつがきれいだ。ゴールデンウイーク中に家族が新しく持ってきた、淡いピンクのひざ掛けをしている。
「あらあ、ごきげんよう。どなたかしら」
 セツコさんが笑う。
「若い頃、好きだった人にそっくりなんですよ、セツコさん。でもね、どんなに好きでも、むすばれない運命ってあるんですよ。セツコさん、いや、あなたはやっぱりマミさんなのかな。マミさん、どうして僕の前から去ったんだい。今度こそ、一緒になろう、マミさん。苦しくないように、するからね」
 昔の記憶と現在の状況が混在しているようだ。
 そういえば、キヨシさんが「若い頃、好きだった人には許婚がいた」と話してくれたことがあった。あれは、僕がここで働き始めてすぐのことだった。
「よお、タロウ。ここに座れ」
 デイルームでキヨシさんに声をかけられた。ちょっとぶっきらぼうなしゃべり方をする人だった。痩せた手で白髪交じりの頭髪を撫でながら、将棋盤をいじっていた。最初は少し怖い人なのかと思った。
「タロウには、好きなやつはいるか? わかるか、恋愛って。わからねえかな。俺にもそういう時代があったんだよ。昔はな。今じゃ、杖がないと歩けないもうろくジジイだが、昔はモテたんだ。特に、そう。一人の女がな。大事だった。でも、むすばれないこともあるんだよ」
 相手のいない将棋盤に駒をパチンと並べながら、僕に向かって、キヨシさんは思い出話を語った。最初にキヨシさんに持った怖いという印象は、すでに薄れていた。
「許婚って知ってるか。昔は、そんな風習があったんだ。あいつは良いところの娘だったから、俺みたいなどこの馬の骨ともわからないような男じゃ、相手にしてもらえないんだ」
 そう言いながら、パチンと将棋の駒を並べた。
 あのときの話の女性が、「マミさん」だったのかもしれない。若い頃に思い残したことを、高齢になってからも抱えている人は多い。少なくとも僕には、そう見える。僕はまだ若いから、その気持ちはうまく理解できない。
 キヨシさんが少しずつセツコさんに近づいていく。セツコさんの車椅子の横まで来た。セツコさんは何事かわからず、にこにこしている。
「今度こそ、一緒になりましょう」
 キヨシさんがゆっくり包丁を振り上げた瞬間、ドンっとぶつかる音がした。カツンと杖の倒れる音がして、キヨシさんが尻もちをついた。セツコさんの反対側に座っていたイワオさんが、車椅子ごとキヨシさんにぶつかっていったのだ。
「セツコに手を出すな」
 そうだ。セツコさんに思いを寄せていたのは、キヨシさんだけじゃない。イワオさんも同じだった。イワオさんは、このホームの中ではまだ意思疎通がとれるほうの人だ。状況を自分なりに理解しているらしい。キヨシさんがテーブルにつかまりながら何とか立ち上がる。杖を落としてしまったから、つかまっていないと立っていられない。尻もちをついてしまったけれど、大丈夫だろうか。痛くないだろうか。高齢者の転倒は骨折のリスクが高いから怖い、なんて場違いな心配が頭に浮かぶ。今の状況なら、骨折で済んだほうがマシなのだ。
「邪魔するならお前から殺すぞ!」
「やめろ!」
 そう叫んだイワオさんに、キヨシさんが倒れ込むようにして覆いかぶさる。
「二人ともやめてください!」
 ハルトが立ち上がりそうになるが、大男がニヤニヤして見ているため、まだ動けない。
「うわあああ」
 大きな声をあげて床に倒れたのは、キヨシさんだった。さっきの尻もちとは比べ物にならないほど激しい倒れ方で、横向きに寝転んでお腹を抱えるように縮こまっている。
「痛ぇ、痛ぇよお!」
 キヨシさんの悲痛な叫びがデイルームに響く。ほかの利用者さんたちも、キヨシさんの悲鳴に、さすがに注目する。真っ赤な血がリノリウムの白い床に広がっていく。イワオさんは、赤く染まった包丁を握っていた。そして、床に倒れたキヨシさんが動かなくなると、イワオさんはみるみる若返り、精悍な中年の男性になった。イワオさんが恐る恐る立ち上がる。もう車椅子は必要なさそうだった。イワオさんは自分の両手を見つめ、動かなくなったキヨシさんを見下ろした。悲しい顔をしていた。
「もう人が死ぬところなど見たくない」
 イワオさんは子供の頃に、戦争を体験したことがあると、僕に話してくれたことがあった。デイルームでひなたぼっこをしながら、ぼそぼそと語ってくれた。それは壮絶なもので、身の回りの人たちがどんどん死んでいったそうだ。僕には想像もつかない世界。今の日本にいたら、まるで他人事みたいな話だった。空から爆弾が降ってきて、そのたびに防空壕に逃げ込んだ、という話を何度もしてくれた。そして、その爆弾でイワオさんのお母さんも死んだと言っていた。
「最近のことはすっかり忘れちまうのに、死んでいくおふくろの顔だけは忘れねえんだ。不思議だよな」
 戦争の話をするたび、イワオさんは僕にそういった。僕は何も言えず、ただそばに座って話を聞くことしかできなかった。
 そんなイワオさんが、人を殺してしまった。正当防衛だ。僕はそう言いたかった。やらなければやられていた。イワオさんは、自分とセツコさんの両方を守ったのだ。でも、そんな言葉が意味を持たないことは、真っ赤な返り血に汚れた両手を眺めるイワオさんを見れば、僕でもわかった。
「私は、いったい何歳若返ったのだ……キヨシは、まだ何十年も生きる予定だったのか」
 イワオさんはぼそりとつぶやいてから、覚悟を決めた顔でセツコさんの前に立ちふさがった。
「セツコ、死なせないからな」
 勇敢な男は、愛する女性を守ろうとしている。
 デイルームの奥のほうで、シゲルさんとヒロシさんが言い争っているのが見える。あの二人は普段から相性が悪かった。今どっちが包丁を持っているのかはよく見えない。
「タロウ、みんなの縄がほどけた。みんなで一斉に動くぞ。タロウと俺は、トメさんを探しに行こう。イチカちゃんに大男を見張ってもらって、リクとツムギでカズコさんとサチコさんの避難だ。シゲルさんとヒロシさんは包丁を持っているみたいだから、状況を見ながら保護だ」
 ハルトがデイルームに残された利用者さんたちの名前をあげる。僕は、わかったとアイコンタクトをした。
「イワオさん」
 ハルトは小さな声で若返ったイワオさんを呼んだ。大男に気付かれてはいけない。
「僕たちが動き出すと同時に、セツコさんの車椅子を押して詰所に逃げてください。正当防衛であっても、これ以上誰も死なせないでください」
 イワオさんは、ハルトの言葉に無言でうなずいた。
「準備はいいか?」
 ハルトが小声で合図を出す。みんなが少しだけ腰を浮かす。
「今だ!」
 ハルトの声とともに、職員たちが動き出した。イワオさんがセツコさんの車椅子を押して詰所へ走る。イチカちゃんはデイルームで大男を見張り、リクとツムギはカズコさんとサチコさんを助けに走った。大男は「はあ?」と素っ頓狂な声を出し、すぐには動かない。僕はハルトと一緒に、トメさんを探しに寝たきりの利用者さんたちのいる部屋へ走った。トメさんのものと思われる血の足跡が、廊下に続いている。
 

5へ続く

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秋谷りんこ(あきや・りんこ) おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!